戦史

ドイツ駆逐艦入門

 光人社NF文庫、広田厚司著、「ドイツ駆逐艦入門」の感想です。
 ドイツ駆逐艦の活躍・・・と呼んで、え!?活躍なんかしたっけ?と思ったのですが、「活躍」ではなく、「活動」と書かれていました。それなら納得です。いや、失礼。まったく活躍しなかったというつもりはないのですけれど、ドイツ駆逐艦と聞くと、やられ役、トラブル多発、15cm砲搭載して大失敗、とか、余り良いイメージがないもので。(^^;
 一通り読み終えての感想は、「高速機雷敷設艦」です。いや、だって、活躍したのは、機雷敷設だけですから。勿論、いくつかの小海戦では勝利を収めてはいますが、それを除くと、機雷敷設以外はまともな活動出来ていません。機雷敷設は十分な戦果を上げていますけれど。
 後は、対空機銃は結構充実、でしょうか。高角砲は少ないですが、対空機銃はわりと多く、個艦防空力は相応に充実していますし、撃墜もしています。
 とはいえ、後はイメージ通り(苦笑)。日本や英米の駆逐艦と比べると元々が沿岸作戦用に作られているのですけれど(速度はそれなりにでるけど、航続距離は短い)、機関のトラブルは多いわ、海が荒れるとあちこち壊れる、流される。悲惨です。機雷敷設やりまくった報いか、結構、触雷で失われていますね。潜水艦にぼこぼこ沈められた日本とどちらが酷いかと言われると、微妙なところですけれど(苦笑)。
 それとこれはこの本を読むまで知りませんでしたが、ドイツ駆逐艦は魚雷の次発装填装置を持っていたのですね。余り注意をはらっていなかったというのもあるのですけれど、知らなかったことは結構、書かれており、読んだ意味はありました。

 ただ、文章からして、翻訳(英語をカタカナにしたままの部分があったので、ドイツ語からではなく、英語から)と思っていたのですが、最後には書き下ろし作品と書かれていました。いやあ、どうみても、元ネタの本があるでしょう。参考文献としてでも記載すべきではないかと思いますが・・・・。著者が海軍専門じゃないので、違和感のある訳としか思えない部分が多々ありましたし。まあ、復水器をコンデンサとカタカナで書いたりするように酷いのはありませんでしたけど。でも、Sゲレイドは聴音機でもレーダーではなく、アクティブソナーか探信儀でしょう。重対空砲は高角砲または対空砲、軽対空砲は対空機銃または高射機関砲とでも訳して欲しいと思います。海軍での師団も変でしょう。DIVISIONの訳なんでしょうけど、この場合は、戦隊とか駆逐隊だと思います。空軍なら師団も使われますが・・・。

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結局、あわせて400両?

 防衛大綱が発表されましたが、戦車は300両に減らし、機動戦闘車を99両調達するようです。結構、戦車と機動戦闘車合計で400両になるようで・・・財務省押し切り?もっとも大綱には戦車何両という記述はありませんし、機動戦闘車が99両で調達終了という訳でもないようですが。

 防衛大綱:平成26年度から平成30年度
http://www.mod.go.jp/j/approach/agenda/guideline/2014/pdf/chuki_seibi26-30.pdf
http://www.mod.go.jp/j/approach/agenda/guideline/2014/pdf/20131217.pdf

 戦車は44両を調達となっていますね。10式は既に53両調達しているから、合計97両。ということは、90式が約200両。10式が約100両。九州の戦車は方面隊直轄の戦車部隊に集中するようですね。
 それと師団、旅団の内、2個師団及び2個旅団を機動運用を基本とする機動師団及び機動旅団に改編するそうです。機動戦闘車はこの機動師団及び旅団に廃部されると。
 Wikiによると90式と10式の戦車中隊は12両になっているそうなので、それを元に再度考え直すと教育用は別にして
 90式:16個中隊
 10式:8個中隊
 機動戦闘車:8個中隊
位?
 90式は全部北海道なので、第7機甲師団を現状のままとするとそれだけで15個中隊。まあ、コア部隊になっている第73戦車連隊は無くして、2個戦車連隊、1個機械化普通化連隊にするしかないでしょうね。まあ、どうなるかはわかりませんが、私だったら、2個連隊に減るので、6個中隊編成に変更。残りの4個中隊は第2師団。旅団には戦車無し。
 でも、10式は西部に8個中隊では多い気がしますね。4個中隊か6個中隊程度。ふむ、6個中隊にして、残りの2個中隊は第5旅団と第11旅団でいかが?
 機動戦闘車はとりあえず最大でも8個中隊分しかありませんから、それを3個機動師団、3個機動旅団(4個中1個は第12旅団でこれは空中機動化されているので、機動戦闘車はないでしょう)に単純にわりふると師団に1個中隊ずつで、2個師団だけ2個中隊?まあ、今後追加調達もありえなくはないのでしょうね。
 戦車関係以外で大きいのは、陸上総隊の創設。機動師団と機動旅団はそちらに隷属するようで。また、火砲も北海道以外は方面隊直轄の特科部隊への集約の方向とか。
 別表によると機動運用部隊は3個機動師団、4個機動旅団、1個機甲師団、1個空挺団、1個水陸機動団、1個ヘリコプター団で、地域配備部隊が5個師団、2個旅団だと。
 そうなると方面隊の下には少数の軽歩兵師団と軽歩兵旅団、方面特科隊(西部方面隊には戦車部隊もだけ)。単純に考えれば一個方面隊に基本1個師団だけ(旅団は沖縄と四国でしょう)。重装備の部隊は基本的には陸上総隊の直轄部隊。ということは、陸上総隊はフォースプロバイダー、方面隊がフォースユーザーということになるんでしょうか?有事には担当の方面隊に陸上総隊から部隊が派遣されるということでしょうね。
 その他、空自は、戦闘機が260機から280機に増えて、13個飛行隊になるそうなので、本当に増えるのですね。まあ、元々13個でしたからね。でも、航空偵察部隊は無くなるようなので、F-4の退役に伴い501飛行隊が解散して、戦闘機飛行隊に改編するのでしょうか?海自は護衛艦が6隻(2個護衛隊)増えますが、LCSのようなものをイメージしているようですね。しかし、なんとなく、米の真似というか、追従というか。まあ、実際の船が登場しないと分かりませんけれど。

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戦車300両まで削減

 マセラッティは一日お休みして別の話。
 400両に減らされた戦車の定数が更に300両に減らす話があるようですね。少し前に検討中という記事が新聞に出ていました。現有の90式だけで約340両。10式も既に50両は調達していますから、74式を全部退役させても、400両は残ります。それから更に100両減らすとすると、しばらく前に述べた機動戦闘車は、戦車とみなさないという判断がされたということでしょうか?機動戦闘車も戦車だとして、総数300両だと、90式はほとんど退役、10式と機動戦闘車で300両になってしまうでしょうから。
 ここまで減るとしたら、もう第7師団も戦車を削るしかないでしょうね。師団の戦車も中隊規模にするしかないでしょう。1個中隊14両として、90式約200両14個中隊、10式約100両7個中隊。それぞれ教育用に1個中隊分とるとして、実戦部隊にはそれぞれ13個中隊と6個中隊。第7師団を1個戦車連隊減らして2個戦車連隊にするとしても、1個連隊5個中隊として、10個中隊。残り9個中隊。もう師団、旅団に1個中隊配属も無理ですね。北海道2個、東北1個、東部2個、中部2個、西部2個ところでしょうか?いやあ、これは戦車をばら撒き直ぐでしょうねえ。
 機動戦闘車をどれだけ調達するかにもよりますが、元々が400両というのを念頭におくと財務省からすると100両程度を考えるでしょうね。1個中隊14両なら、7個中隊。教育用に1個中隊とられると6個中隊。もう一度考え直すと
          北海道 東北  東部 中部 西部 中央即応集団 教育用 合計
90式中隊     13  0    0   0   0   0         1    14
10式中隊     0   1    2   1   2   0         1    7
機動戦闘車中隊 0   1    1   2   1   1         1    7
こんなところでしょうか。90式は北海道集中配備。第7師団に2個連隊10個中隊、他に1個中隊ずつを想定しています。東部に戦車が2個中隊あるのは、富士の演習場があるので。西部の2個は対中にらみです。しかし・・・機動戦闘車も含めて、北海道以外は方面隊に1個大隊(しかも小さい)程度。いいのかなあ、これで。確かに当分、本土決戦なんてありえないでしょうけれど・・・・。

 でも、こうしてみると、なんか90式が他と比べると多すぎるようにも見えてしまいますね。特に財務省的には!機動戦闘車も戦車だ!とか言われて、
          北海道 東北  東部 中部 西部 中央即応集団 教育用 合計
90式中隊     6   0    0   0   0   0         1     7
10式中隊     0   1    2   1   2   0         1     7
機動戦闘車中隊 0   1    1   2   1   1         1     7

なんてこともあるかも・・・・。もう第7機甲師団ではなく、1個戦車連隊を有する機械化師団か、機甲旅団化するしかないですね。

 とここまで書いていて、もう少し見直してから書き込もうと思ったら、11月21日の朝のNHKのニュースで、戦車300両まで削減、北海道と九州に集中配備、機動戦闘車は200両調達の方針と言っていました。護衛艦を増やすという話もしていましたが。なるほど、そうきましたか。では、とりあえず機動戦闘車は戦車ではないということで話はついたのですね。
 そうすると
           北海道 東北  東部 中部 西部 中央即応集団 教育用 合計
90式中隊     13   0    0   0   0   0         1    14
10式中隊     0    0    0   0   6   0         1    7
機動戦闘車中隊 0    2    3   3   0   3         1    14

 というところでしょうか?機動戦闘車中隊は大隊編成をとるのか、師団機動戦闘車隊にするのか、即応集団は減らして方面隊分を増やして大隊編成もありでしょうが。

 いや、10式の調達数が100両に届かず、
          北海道 東北  東部 中部 西部 中央即応集団 教育用 合計
90式中隊     15  0    0   0   0   0         1    16
10式中隊     0   0    0   0   4   0         1    5
機動戦闘車中隊 0   2    3   3   0   3         1    14

なんてこともあるかも?この場合、90式は第7師団に2個連隊5個中隊、第2師団に1個大隊3個中隊、第5及び11旅団に1個中隊ずつ、です。西部は2個中隊編成の2個大隊。まあ、別に北海道にも10式を配備しても良いのですけどね。

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遊就館

 先週の出来事を今頃書いています(苦笑)。先週の土曜日にエリーゼのバッテリーを交換したのですが、これは日曜日、相方がお料理教室だったので、ほぼ一日自由になる・・・はずだったからです。エリーゼで出かけられるように準備していたのですが、土曜日も予報にない雨が降り、日曜日も遅くなると雨が降るとの予報。こりゃ、きっとエリーゼで出かけたら午後には降られるぞと思って、相方に送迎するよと言ってしまいました。
 なので、日曜日はクーガ。相方を都心のお料理教室まで送り届けた後、終了予定時間まで6時間ほどあったので、まずは、前から一度行ってみようと思って一度も行っていなかった靖国神社の遊就館を見に行くことにしました。まあ、2時間もあれば見終わるだろうし、その後、オーセンさんにでもいって、12ヶ月点検の相談でもするかなと、軽く考えていました。
 いったら、たくさんの観光バスはとまっているは、骨董市やっているは、想像以上の人出。ちょっと驚きました。七五三もやっているようでした。外国人観光客も結構いましたね。白人系だけではなく、中国人(言葉から)と思われる人も。大灯篭には色々な戦闘の場面を描いたレリーフがはめられているのですね。
Ykreleaf1Ykreleaf2
 別に参拝する訳ではないので、遊就館の方へ。軍用犬と軍用馬、それに軍用鳩の慰霊の銅像がありました。
Ykdh
犬は当然シェパードです。
Ykdog
靖国神社や戦前の日本軍の是非はとりあえずおいといて、動物も忘れないのは日本の良いところだと思います。それから海防艦も。
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なかなか良く出た青銅製?の海防艦の模型と戦没艦の名前が刻まれていました。海防艦なんて忘れ去られることが多いですが・・・。まあ、それを言うと海上護衛に駆り出された各種艦艇の名前も同様に刻んで欲しい気はしました。
 さて、遊就館です。有名だと思いますが、玄関入って1階には零戦が展示されています。回収された複数機を元に復元されたもので、52型。
YkzeroYkzerocokpitYkzeroengineYkzerogearYkzerogearinYkzerowingYkzerofuck
  まあ、零戦そのものはそれなりの数残っているので、目玉というほどではないですね。横にあった九九式20粍機銃の方が興味深かったです。
Ykzero20mm
ドラム式弾装がちゃんとついていました。
Ykzero20mm2Ykzero20mm3
 泰緬鉄道で使われていたC56蒸気機関車もありましたが、私は鉄ちゃんじゃないので余りよくわかりませんが、これは結構きれいでした。
Ykc56Ykc56iYkc56w

 そして、八九式十五糎加農砲と九六式十五糎榴弾砲です。旧陸軍のこのクラスの砲は見たことがありません。どちらも15センチですが、当然、カノンの方が砲身が長いです。どちらも戦場から回収されたものなので、あちこちに傷があります。どちらも砲の尾栓がちゃんとありましたが、これは復元したものなんでしょうか?それとも破壊する余裕もなかったのか、操作していた兵員もろともにやられてしまったのか・・・。十五榴のタイヤにはゴム(だと思いますが)が残っていましたが、十五加農にはありませんでした。
十五榴

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十五加農
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 さて、以上はいわばロビーに展示されているもので、本当の有料の展示室は2階(から入る)です。ただし、展示室は撮影禁止なので、以降、写真はありません。動画を上映する部屋が二つあり、一つは50分のドキュメント、もう一つは2時間の映画を上映していましたが、時間がかかるので今回はパスしました(後でこれは大正解だとわかる)。
 展示室は1から19と、大展示室、それと特設展示室、特別展(一度外にでる)と22個もあり、時間がかかります。古代の鎧、兜、太刀などから中世へ。本来は武器ではありますが、刀身は見ていると引き込まれそうになる時があります。そして、戊辰戦争、西南戦争へ。この辺からは、戦争のパネル展示と遺品、遺書が中心でした。というか、これ以降は、基本的にそういう展示です。日清戦争、WWI、シベリア出兵、満州事変、上海事変、日中戦争(展示上はシナ事変)、そして太平洋戦争(展示上は大東亜戦争)。いずれも同じスタイルでした。全体的に今時の博物館風の展示形式でしたし。
 意外とというとおかしいかもしれませんが、展示、説明は客観的で、説明のパネル展示は概ね国博での展示と同等と思えるものでした。戦争を正当化、美化するようなものは余りありません(戦争の名称はとりあえずおいときます)。日中戦争中のニュース映画を上映していましたが、この中身は当時の宣伝ですから、そういう内容なのは当たり前です。正当化の主張を感じられたのは日露戦争で黄色人種が白人に勝ったと各国で歓迎されたという記述(ただし、これはこれで事実に反する訳ではないので、正当化というといいすぎ)と太平洋戦争の結果、アジア諸国の独立につながったという記述(これも日本の戦争目的がアジア諸国の解放ではなかったにせよ、結果的にその手助けをしたのも事実)、それと満州は元々漢民族の土地ではないという歴史的経緯の説明位でしょう。最後のもまた事実ではありますが、とはいえ、それは日本が作り上げた満州国を正当化出来るものではありません。もっとも、満州国そのものを明確に正当化する記述ではありませんでした。
 後は、A級戦犯の展示の評価は議論を呼ぶでしょうが、これは合祀問題と同一なのでここでは論評を避けます。後、パール判事の展示は・・・本人には嫌がられるかもしれませんね(苦笑)。
 九七式中戦車が展示されている、ということ以外は余り前知識を持たずに行ったので、予想と結構違っていました。大展示室を除けば武器の展示はほとんどありません。小銃や拳銃も展示されていたのは戦場から回収された(遺骨収集の際に)ものだけでした。意外と言えば意外ですけれど、よくよく考えてみれば、靖国神社はその手法、形式には議論の余地があるとはいえ、慰霊のためのものですから、当たり前かもしれません。九七式中戦車を見に行くためにやってきた私の方が不謹慎だったかもしれません。ただ、空襲などの一般人の犠牲者や日本人以外の犠牲者についてふれた展示が見当たらないのは残念でした。それがあれば、よかったのですが。
 さて、大展示室です。ここは彗星と桜花のところに撮影禁止の表示があったので、それ以外は撮影しても良いのではないか、とも思えたのですが、展示室内は撮影禁止と最初に書かれていたこともあり、悩みました。係りの人がいれば聞けばよいのですけれど、ここが普通の博物館と違って、特に展示室毎にだれかいるわけではありません。
 今回の主役の九七式中戦車。実物を間近で見たのは初めてです。以前も文章を書きましたが、批判ばかりされている九七式中戦車ですが、これはこれで悪いものだとは思いません。1938年(九七式なので、1937年のはずですが、生産開始されたのは1938年)当時の戦車として見れば、駄作ではありえません。これはあくまで歩兵支援のための戦車であって、対戦車戦闘用の戦車ではありません。対戦車戦以外で評価すれば、実績も含めれば、傑作とまではいえないかもしれませんが、十分評価出来ます。
 さて、実物を見た感想ですが、まず意外と大きい、と思いました。九七式中戦車が大きい?はい、大きいです。勿論、戦後の戦車と比べれば小さいです。けれど、自分と比べれば、小さいとは言えません。例えば、自分が歩兵で九七式中戦車と対峙したとします。一人の人間と比べれば十分巨大で圧倒されます。仮に携行対戦車火器を持っていたとしても、これを攻撃するには度胸がいります。自分でやれるか?といわれると・・・怯みます。なので、歩兵支援戦車としてみれば、十分有力だと思います。1938年当時には、バズーカ砲の類はありませんでしたからね。対戦車砲(37mm程度が当時の標準)か対戦車銃程度。そう見れば、決して非力な戦車ではありません。歩兵支援戦車というコンセプトはその後、誤りだとわかりますが、当時は他国でも見られたものです。
 ただし、それを終戦まで使い付けたというのは問題ですけれが・・・。せめて1941年には97式中戦車改に生産が切り替わっていれば。そして、1942年には一式中戦車に切り替わり、1943年から三式中戦車の製造が開始されていれば・・・。でも、これは対ソ戦から対米戦にかわってしまったためでしょう。ときときしか出番の無い戦車にそれほど投資出来ません。その分、陸軍は航空機に投資したのですから。対米戦ならそれが正解でしょう。
 ちょうどそばに陸軍の75mm高射砲と海軍の3インチ高角砲が展示されていましたが、どちらもこの車体に旋回砲塔形式で搭載するのは無理があります。同じ75mmでも山砲なら砲等を大きくすれば載りそうです・・・実際に載せたのですけれど。そういう意味では、もう一回り車体を大きくしておけば・・・と思いますが、これでも当時は大きい方を選択していますからね。また、そうであるが故になんとか、一式中戦車、三式中戦車や砲戦車に発展することが出来た訳ですが。
 装甲は最大25mmですが、車体の接合部分や砲等の端を下から見るとその程度の厚さであることがわかります。また、車体前部のハッチは操縦手の視察口などがやはり防御上の弱点と思えます。それと車体から立ち上がってその上に砲塔が載っているのですが、立ち上がった部分(操縦手の視察口や車体機銃がある部分)は被弾しやすそうです。まあ、どの道、戦車と撃ち合えばどこでも貫通されますが・・・。
 それと車体機銃がある反面、主砲の同軸機銃はないのですよね。その代わり、砲等後部に機銃がついていますが。これはやはり同軸機銃は欲しいところでしょう。
 車体後部を横から除くとエンジンルーム上部側面にスリットがあり、エンジンが見えます。シリンダーの数を数えたら、片側6個で、あー、そうか、V12だったんだとその時に思い出しました。空冷エンジンなので、車体後部の防御力は低いといわざるを得ませんが、まあ、メルカバを除けば、どの戦車も後部は弱い(相対的に)でしょう。
 陸奥の14cm副砲は実物を見ると巨大です。15cm野砲と比べても大きく見えます。回天は小さいような大きいような。当然ながら海龍と比べると小さいですが。これで体当たり・・・震洋や桜花よりはましですけれど・・・。
 彗星は実物は初めてみました。隙間から見ると倒立V12が見えました。実物をみてから、あれ?倒立なんだと思い出しました(苦笑)。何故か、着艦フックはついていませんでした。7.7mm機銃はこうしてみると決して小さくはありませんね。ここに12.7mmは無理か。でも、7.7mmじゃ、よほど運が良くないと効果はありませんよねえ。
 壁際に沖縄戦の航空特攻のジオラマ。そこにも出てくる桜花は天井からつるされていますが、コクピットが飛び出していて、空力的に十分考えられたとは思えない代物。仮にどうしても特攻せよといわれたとしても、せめて、零戦か彗星にしたいです。桜花じゃ死んでも死に切れません。震洋もそうです。20kt台の速度でどうしろというのでしょう。まあ、似たような速度の魚雷艇もあったのですけれど。
 そのほか、現在のソロモンという写真展示もありました。遺骨収集にいった先での現地の様子です。そういえば、内戦していたところもあるのですね。
 一度外にでて特設展「大東亜戦争七十年展II昭和17年ミッドウェー作戦から昭和19年」へ。太平洋戦争中盤(ガダルカナル撤退やアッツやキスカ)関係の展示でした。内容は本展示と似たようなものです。目に付いたのは戦死者の残した日記。一つは米軍が資料として収集し、英訳したのだけが残っていたのでそれをまた和訳したものでしたが。
 本題とは関係ないですが、一つ。戦死者の階級がわかりにくいです。死後、特進しているのですが、展示で明記されている階級が特進前か後か、それをはっきりさせた方が良いと思います。一部は明らかに戦死前の階級でした(知識がある人物)が、特進後のものと思われるのもありました。統一するか(戦死当時)とでもした方が良かったと思います。
 結局、ここだけで4時間以上いました。外を見てまわったのとあわせて5時間以上過ごしてしまいました。そのため、もう相方をお迎えにいかないといけじ、結局、他にはいけませんでした(苦笑)。まあ、相方ときたらここまでゆっくりは見られなかったからいいのかなあ。

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機動戦闘車

 試作車が公開されましたね。
http://news.nifty.com/cs/domestic/societydetail/yomiuri-20131009-00995/1.htm

 本家に画像が複数
https://picasaweb.google.com/115305223408918522377/MCVManeuverCombatVehicle#5932575838962622114
 動画もあります。
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=2XSELk_p2g0
 車体の対して砲塔がかなり大きく見えます。最後の方で横(斜め後ろに近い?)への行進間射撃シーンがありますが、結構安定していますね。10式並とはいかないかもしれませんが、砲安定装置の性能は高そうです。

 この手の装輪戦闘車両はあっても良いと思いますが、果たして国産する意味はあるのでしょうか?予算は限られるのですから、何でも国産する必要は無いと思います。まあ、輸入するとしても、この手の車両だけの輸入では余り意味はないですよね。装輪装甲車ファミリーは輸入しても国産にしても同じファミリーでないと意味はないですから。そういう意味では、ベースの装輪装甲車が国産だから仕方ないのかなあ。もっとも、96式のファミリーではなく、将来の装輪戦闘車両というまだ完成していないシリーズのファミリーのようですけれど(96式は小松だし)。APC、ICV、偵察型などなど色々計画はされているようですが・・・しかし、戦車砲搭載機動戦闘車型が先に出来るというのは?普通は基本のAPC型を作ってそのバリエーション、だと思いますが・・・・。また、機動戦闘車としての性能を優先しているっぽいので、車体は共用できず、サスペンションや駆動系程度でしょうか?エンジンもそのままではないにせよ、一応は同じなのかなあ?
 性能、能力は十分かどうかは、よくわかりませんけれど。まあ、機動力と火力は十分でしょう。問題は防御力でしょう。戦車じゃないので、最良で砲塔前面は歩兵携行対戦車兵器に耐える程度の防御力でしょうか?車体は、精々、12.7mm機銃程度?96式の防御力はよくわかりませんけど、砲弾の弾片または小銃弾耐弾程度でしょうから、同じ程度かもしれません。96式も増加装甲をつけたバージョンもあるので、同様に増加装甲はつけられるか、それに等しい程度の防御力はあるかもしれません。車体の写真を見ると何か箱状の装甲が取り付けられているように見えなくもありません。
 でも、これは、本当に必要なんでしょうか?もちろん、あれば役立つでしょうけれど、予算が限られる中で新規に開発して調達する必要がある装備でしょうか?離島防衛やらゲリコマ対策に役に立つという話ではありますけれど、25-35mm機銃やらグレネードランチャーじゃ駄目なんでしょうか?戦車砲はそりゃ、威力はありますし、対戦車戦闘ですらこなせるから良いでしょうけれど、その分、砲塔は大きく重たくなります。だったら、必要な武器を搭載したコンパクトな砲塔にして、その分、防御に重量を回した方が良いのではないかと思います。元込め式の迫撃砲でも良いでしょう。まあ、74式と弾薬を共有するという名目はあるようですけれど。これとは別に40mmテレスコープ弾を使うICV型や偵察型の開発もするようですけれど、それがあれば、後は自走砲型があればいいような。自走砲型も開発するようですけれど。
 まあ、あれかなあ。74式を全部10式と置き換えるのは無理(お金が無い)から、一部は10式で置き換えて、残りはこの機動戦闘車で置き換えるということなんですかね。まあ、それならわからないでもないです。もっとも、そうだとすると価格が安くないと駄目ですけれど、でも、やっぱり、3、4億円はするのかな?90式は9億位、96式は1億位のようですが。
 なお、その場合には、陸自の戦車部隊の編成も大きく変わるのでしょうね。第7師団と第2戦車連隊などに戦車は集中配備して、他の戦車大隊、戦車中隊は、この機動戦闘車で置き換えていく、ということが考えられます。各方面隊に1個大隊ずつ位は戦車を残すかもしれませんが。
90式が340両ほどなので、戦車連隊が5個中隊で約70両(1個中隊4x3=12+2=14として)として、4個戦車連隊で280両。教育用に30両程度として、もう30両残るか。じゃあ、北海道の旅団にそれぞれ1個中隊配備しましょう。これで、90式は基本北海道専用車。10式は東北、東部、中部、西部各方面隊に配備ですね。現段階で50両ほど調達されていますが、防衛大綱で戦車は約400両にするということになっているらしいので・・・あれ?もうこれでほぼ22大綱で定めた400両ですね。(^^;ふむ。教育用のを除けば、10式は精々3個中隊。(^^;初期調達の90式を10式で置き換えることはあるかもしれませんが。
 そうすると機動戦闘車はどうするのでしょう?財務省は戦車だ!というでしょうから・・・・。うーん、やっぱり必要性が良くわかりません。まあ、防衛省と財務省の綱引きの結果次第かもしれませんね。本格的な侵攻事態が生起する可能性が低いとして戦車、火砲を減らす訳ですから、戦車、火砲の枠外で、ゲリコマ、島嶼防衛用装備を持たせろ!でなんとか。
 とりあえず、機動戦闘車は戦車じゃないとして(なんか、歩兵が戦車を持っていたので、騎兵が実質軽戦車である装甲車を装備した時みたいにですが・・・)考えて見ます。
 前述の様に戦車は北海道の4個戦車連隊に90式を集中配備。初期調達の90式は10式で更新。90式は教育用(教導隊含む)とあわせて、約310両。残り90両が10式。教育用約20両、1個中隊14両として、5個中隊で70両。東北方面1個中隊、東部方面1個中隊、中部方面2個中隊、西部方面1個中隊。以上で戦車約400両。
 16大綱では戦車600両だったので、200両減る分を機動戦闘車で置き換え。教育用に30両として、1個中隊14両で12個中隊は編成出来ますね。師団には大隊(3個中隊)、旅団は中隊として、空中機動したいな旅団の第12旅団はなしとして、北部方面以外に配備するとしたら、東北6個中隊、東部3個中隊、中部8個中隊、西部7個中隊、合計24個中隊。戦車が配備される5個中隊を除いても19個中隊必要。全然足りません(苦笑)。仕方ないので大隊は2個中隊にすると、戦車中隊分を除けば、東北3個中隊、東部1個中隊、中部5個中隊、西部4個中隊、合計13個中隊。まあ、1個中隊位はおまけしてもらいましょうか(財務省に)。もしくは、現状と同じ第15旅団にはなしで、それでちょうど12個中隊。ま、こんなところでしょうか。でも、西部方面普通化連隊を基幹に新編されるという水陸両用戦部隊にも1個中隊程度は必要かもしれませんね。まあ、1個中隊程度ですからなんとかなるでしょう。1個中隊13両に減らせば1個中隊は増やせるし。
 しかし、96式装輪装甲車が360両程度しか生産されていないのに(今後も改良型含めて追加されるとはいえ)、200両も作れるかなあ?まあ、戦車の方がAPCより多いのは日本の伝統だから、それよりはましですか(笑)。しかし、10式があること、戦車が400両とされていることを考えると、やっぱり開発、装備する意義が良く分からないですね。その分の予算で96式まどの装甲車を調達すべきではないかと思います。

 もし、財務省があくまで機動戦闘車も戦車だと言い張ったら?その時は機動戦闘車を開発する意味はないですよねえ。10式と機動戦闘車で残り60両程度の枠をあわそうのでは・・・。勿論、10式や機動戦闘車の調達ペースは遅いでしょうから、古くなった90式と置き換えることはありえますが。10式の調達がどれだけの期間継続するかわかりませんが、10年先なら、初期の90式は30年近くなるますから、10式で置き換えてもおかしくないでしょう。
 総数で教育用は別にして、400両だとすると1個中隊14両として、28個中隊。すくな。(^^;これだと基本、師団と旅団は1個中隊ずつですね。第7師団ですら、5個中隊連隊3個なんて無理(それだけで半分以上の戦車を配備することになるので)。4個中隊連隊3個(それって、大隊やん・・というのはとりあえずおいてて)。後は、一部師団(4個師団)だけ2個中隊で、8個。後は第12と15旅団以外に1個ずつで、合計28個中隊。戦車は北海道分16個中隊、後は北海道以外の師団の内、2個中隊配備の場合1個中隊戦車として3個だから、19個中隊が戦車(266両)、機動戦闘車が9個中隊(126両)。そんなところでしょうか。最終的には戦車は過半は10式で置き換えになるのでしょう。まあ、機動戦闘車を減らして(あくまでニッチなものだから)、その分、10式ということもあるかもしれません。逆に第7師団は3個連隊はやめて、2個連隊(10個中隊)にして、減らした2個中隊を他(水陸両用戦部隊とか)に配備の方がいいかもしれません。また、連隊なんだから、6個中隊連隊2個で中隊数は同じとか。

 話を戻して、次期装輪装甲車ファミリーが実現化するとして、それはどこに配備するかでしょう。現状は、演習場などの関係もあり、北海道中に配備されていますが、さすがに輪装甲車はそうではないですよね?もっともその場合、第7師団の装備がそのうち旧式なまま更新されないことになってしまいますが・・・。89式は70両程度しか結局、生産されておらず、第11普通化連隊ですら全部の中隊に装備されていないという代物です。なんか89式の後継は次期装輪装甲車ファミリーになりそうな感じもしますが、そうすると戦車以外は装輪装甲車?それはそれでも良いのですけれど・・・・うーん?すると一部だけ10式戦車で、後は最終的には全部装輪装甲車系ということもあるのかな?考えて見れば、73式の後継車は開発されず、96式にで置き換えられていますからね。だとすると第7師団もそのうち、装輪式が中心?それはそれでいいのかなあ?装軌式は?装軌式で必要な気もしますが・・・・。まあ、割り切りかなあ。結局、日本の国土を考えたら、装輪式で走れなくて、装軌式が走れるところがどれだけあるか?もし、装輪式でファミリー化によりコストダウンできるのなら、それはそれで一つの手でしょうね。ただし、もし、敵のMBTと戦う場面が出た時に備えて、戦車だけは維持と。

 そうであれば、90式が引退した後は、400両の戦車枠のうち、半分程度は10式、残り半分は機動戦闘車ということもありえますね。90式はMBTというよりも自走対戦車砲・・・戦車駆逐車的な運用になるかもしれませんが。

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チャンドラ・ボーズ

 光人社NF文庫稲垣武著「革命家 祖国解放に燃えた英雄の生涯 チャンドラ・ボーズ」を読みました。この本はボーズについて書かれているので、当然のように、ボーズは偉大だったという内容になっていますし、この本を読んでいるとインド独立はボーズとインド国民軍の功績が大きいと受け取れます。
 が、私は興味深かったのはそこではなく、ガンディーについてです。ガンディーのイメージは非暴力非服従運動で、なんとうか、聖人、それこそ仏陀の生まれ変わりみたいなものがあると思います。ですが、この本で、いわば、ボーズのライバル(直接のライバルはネールかな?)として描かれているガンディーは、一言で言えば、「強かな政治家」です。ボーズが理想と理念の人だとすると、ガンディーはしばしば英と妥協し、理想よりも現実を選ぶ人であり、政治的な駆け引きに長けた人物です。そして、結果的に、ガンディーは独立にほとんど寄与することなく死んだ、という風に受け取れます。どちらが正しいかは別にして、視点が変われば、その人の評価も変わるということだなと思いました。
 どちらが好きか?個人的に付き合うならボーズですね。でも、公的に付き合うのならガンディーでしょう(あくまでのこの本の描写の)。理想のために信念を持って突き進む人は良い人でしょうが、一緒に仕事をすると大変です。現実には妥協が必要ですから(別にボーズがまったく妥協しないという意味ではないですが)。ガンディーはうさんくさいですが、仕事上の付き合いならうまくいきそうです。

 ボーズとは直接関係ないですが、面白かったのはインド国民軍の将兵が英国式で訓練を受けてそれになれていたので、車両ではなく、徒歩で移動させられた時に日本軍は自分達を冷遇していたと感じた下りです。いや、まあ、優遇していたとはいえないのでしょうけれど、何せ、帝国陸軍では一部の機械化(というか、正確には自動車化か)部隊を除けば、徒歩で移動は当たり前ですからね。勿論、車両や列車も使いますけれど、常に車両で移動ではありません。双方の文化・風習の違いで軋轢もうまれたようです。

 インド国民軍がインドへ突入できた可能性はほとんどありませんが(日本にその意思と能力が無かったので)、仮にボーズが早いうちに日本に亡命していて、開戦後、マレー半島へいって投降を呼びかけまくり、インド国民軍がより早期に成立、整備されていたらどうでしょう?日本にその意思があれば、1942年のうちなら、インドへ突入も絶対無理だったとはいえないようにも思います。
 ただ、そうなった時にそれがインド独立にどれだけつながるかは別の話でしょうけれど。もしかすると逆効果になったかもしれませんし。
 また、ボーズが独立インドの首班であったとしたら、どうなったでしょうね?ボーズは宗教対立を解消して一つのインドを目指していたので、印パ戦争は発生しない代わりに長い内戦に突入したのかもしれません。

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いずも

 結局、そのまま「いずも」でした。海自衛のサイトにはまだでていなかったので新聞のですが。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20130806-OYT1T00922.htm
 しかし、これで空母じゃないというのは無理がありますね。飛龍型どころか、ヨークタウン級なみですからね。時代が違うとはいえ・・。それにVSTOL空母として建造された空母と比べても最大級。

 さて、24DDHはなんと命名されるでしょう?前回は「かが」にしておきましたが・・・うーん、改めてみるとバランスが悪いような・・・。「やまと」くるのかなあ・・・。

 少し変わって、沖縄でHH60が墜落しましたが、同型機を飛行停止にするとか。同型って・・・・HH60だけ?まさかxH60全部?やっぱりHH60だけかな?こういうごまかしみたいなこと、私も仕事でやる時ありますけれど(苦笑)。反対反対というなら、その位は突っ込まないと・・すでにしているのかな?

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いずも!?

 22DDHの命名式が8月に行われるそうですが、艦名が「いずも」だという話が流れています。どうもミスで漏洩してしまったようです。
http://obiekt.seesaa.net/article/369426422.html
もちろん、それが事実かどうかわかりませんし、正しかったとしても、漏洩したから変更、ということもあるかもしれません。
 また、「ながと」の案もあったものの、安部首相の地元であるが故に流れたという話も。
 更に、民主党議院から「しなの」にしろという意見もあったとか。政権交代がなかったら「しなの」だった!?
http://obiekt.seesaa.net/article/369872726.html

 まあ、ともかく、正式発表されるまではわからないのですけれど、「いずも」だとすると24DDHはどうなるのでしょう?「ひゅうが」「いせ」「いずも」とくると神話シリーズか?という声もありますが、そうなると・・・まさか、「やまと」?いや、いくかなあ。でも、温存しても仕方ないともいえますね。次に「やまと」にふさわしい艦を建造するとしたら、「ひゅうが」か22DDH型の代艦ですからかなり先です。また、もし、それが本格的な空母であるとしたら、「しょうかく」「ずいかく」がふさわしいでしょう。であれば、ここで、「やまと」もありえるかもしれません。ただ、周辺各国の反発というのもあるかもしれませんね。それだけ、意味のある名前ですから。後は神話シリーズで言えば、宇佐神宮がある「ぶぜん」というのもありますが、前例がないので難しいでしょう。個人的には「ぶぜん」が良いですけどね。いや。私は豊前の国の生まれなので。(^O^)うーん、以前の私の予想のように結局、「かが」だったりして。神話シリーズというのは勝手な思い込みで。

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日本の護衛空母と海上護衛その2

 英は戦局は次第に改善されていますが、日本は逆に悪化しています。英の護衛戦力の拡充が最初余り進まなかったのは戦局の悪化もあったのではないでしょうか?本土決戦か!という時に海上護衛戦力ばかり拡充する訳にもいきません。英本土航空戦に勝利して、とりあえず、当座、独の英本土への直接侵攻はなくなってから、ようやく海上護衛戦力の拡充に着手できたのではないかと思います。
 日本には英にとっての米のように護衛艦艇を供与してくれる味方はいませんでした。それを考えれば、ベストを尽くしたとはいえないまでも、悪化する戦局の中で、まずまず、がんばった方ではないかとも思います。
 装備にしても初期設計の海防艦は、北方警備用の占守型を元にしており、高角砲ではなく、平射砲を装備したことが批判されますが、英で初期に大量に建造されたフラワー級コルベットも高角砲なんてものは装備しておらず、平射砲1門と少数の機銃を装備していたにすぎません。これは、当初想定されていた脅威が潜水艦だけだったからでしょう。実際にはコンドルが脅威になりましたし、後の対ソ船団は色々な航空機による攻撃を受けましたが。後期設計の海防艦は、英の過半の護衛艦艇よりも装備は充実しています。ヘッジホッグの有無を除けば、装備は海防艦の方がむしろ上でしょう。ヘッジホッグについても、致命的な問題とは思いません。問題は、ソナーやレーダーといった電子機器、センサー類、そしてそれらを統合的に運用する技術などなどのレベル差でしょう。
 改善の余地があったのは否定しません。もっと早期に海上護衛に力を入れることは不可能ではなかったでしょうし、同じ戦力をもっと有効に使うやり方もあったでしょう。
 実際に1944年には泥縄式であったにもかかわらず、約百隻の海防艦を竣工させています。なので、戦前にちゃんと研究・準備していて、開戦直後から海防艦の建造に着手していれば、米潜水艦が猛威を振るいだす戦争2年目に相応の数の護衛艦が用意出来ます。また、建造計画を効率化し、無駄を省けば、数はもっと増やせるでしょう。鵜来型や1号型及び2号型は短期間で大量に建造を行えています。もし、この設計を開戦前に終わらせていれば、1942年の後半から続々と竣工させることは不可能ではないと思います。まあ、実際に戦う前にそれが出来ていた?というと疑問は残ります。
 実際には戦争1年目は被害がほとんど無かったので、最初の甘い見込みのままで大丈夫と思ってしまったでしょうから、やっぱり、2年目に入る頃に海防艦が続々と竣工、とはいかないでしょうね。それに、なんだかんだいって、戦訓を反映して海防艦の装備は変更されているでしょうから、1号型の早期大量建造は無理があるでしょう。建造能力そのものはなくはないでしょうけれど、ちょっと判断・決断を変えれば出来た、というほど簡単ではないように思います。
 備えていたとしても、私は最良でも御蔵型の設計を開戦前に終わらせて、開戦後に早々に建造に着手、1942年後半から竣工というところではないかと思います。掃海具は不要でしょうが、多分、それは開戦後でないと分からないでしょう。そして、途中から掃海具を省いた鵜来型へ移行でしょう。で、更に量産するために1号型及び2号型の建造も始まるでしょうが、これはせいぜい史実よりも半年早い程度にとどまるのではないかと思います。まあ、それでも、1943年前半には30隻程度(史実では、1943年末で占守型4隻含めて19隻・・戦没艦は除かず)が竣工できる程度かと思います。1944年の半ばまでには更に100隻程度は建造数出来るとと思いますが。
 また、仮に開戦と同時に鵜来型や1号型及び2号型の建造に着手したとして、1943年前半に100隻程度竣工させたとしましょう。しかし、残念ながら、日本の技術力では、米潜水艦を制圧することは出来ないでしょう。
 ヘッジホッグはなくても致命的だとは思いません。爆雷だけでも効果はあります。ヘッジホッグ自体は当時の対潜攻撃兵器としては素晴らしいものですが、万能ではありません(万能なら、英米の護衛艦は爆雷を廃止しているはずです)。それにヘッジホッグやそれと同等の前方投射兵器を装備していたとしても、潜水艦を探知出来ればければ、攻撃は出来ません。正確な位置が判らなければヘッジホッグは無意味です。闇雲に攻撃するしかないなら、爆雷の方が効果的でしょう。撃沈は出来なくても、制圧効果はあります。海上護衛で大事なのは見方の輸送船を守る(攻撃させない・されない)ことであって、敵潜水艦を撃沈することではありませんから。
 しかし、ソナーやレーダーなどの改良、開発には時間がかかります。戦前から研究開発に力を注いでいれば早期に相応のレベルには到達できるでしょう。しかし、センサー類だけではなく、それらの情報を統合的に運用する装置・技術の確立にも時間はかかります。また、個々の性能は英米に匹敵するものが出来ても、それを安定して高い品質で量産することは難しいです。いくら、海防艦がどんどん竣工できても、探知能力(センサー・運用技術のレベル)が低いままなら、護衛艦としての能力は限られます。
 逆に探知能力が英米並みであれば、ヘッジホッグがなく、爆雷だけでもかなり有力でしょう。また、ヘッジホッグに代わる前方投射兵器を装備することも不可能ではありません。史実では迫撃砲を装備したものの威嚇程度の効果しなく、撤去されたりしたようですが、位置がわかるのなら、迫撃砲を複数装備して連射すれば、相応に効果はあるでしょう。対空噴進弾は実用化していますから、それを対潜用に転用することも出来るでしょう。また、91式徹甲弾を応用すれば、敵の深度が深くなければ砲撃も効果はあるでしょう。
 対空砲火も似たようなものですね。12.7cm高角砲は、砲としてはそれほど悪いものではなかったと思いますが、高射装置、レーダーの能力が低いので効果が低かったのだと思います。

 では、護衛空母はどうでしょう。実際に使用されたのは、前述の通り、元々は海上護衛用に建造されたものではありません。しかし、それでも5隻は建造できています。どうせカタパルトがないことを考えると、海上護衛、特に対潜用に特化すれば、もっと小型のものをより多く建造出来た可能性はあります。また、しまね丸をもっと早期に建造するということもやろうと思えば出来るでしょう。思いつくかどうかは別にして。この想定は技術的可能であったことは全部やるというものなのでいいでしょう。実際には英国でMACシップが出来るまでかなり時間がかかっていますので、難しいでしょうけどね。水上機を活用する方法もあるかもしれません。ある程度速度が必要かもしれませんが、特設水上機母艦を護衛に使えば、相手が潜水艦なら護衛空母に準じる効果があるでしょう。帰還した水上機の収容に停止する必要があり、そこを狙われると弱いですが。
 ともかく、護衛空母またはそれに準じるものがより多く用意できたとして(搭載機の問題もありそうですが、ともかく用意)、それでどうなるか?護衛空母は有効ではありますが、史実でそうであったように夜間は護衛艦ではなく、被護衛艦になってしまいます。それを考えたら、空母は対潜掃討をやらせた方が良いのかもしれません。それと大西洋と違って島は多いので、直接護衛は陸上機をより活用する方が良いかもしれません。重要な船団には空母の護衛をつけるべきでしょうが。逆に言えば、船団護衛のために簡易空母を量産する必要があったかと言えば、効率考えたら、陸上機の方が良いように思います。もちろん、そのためには南方からフィリピン、台湾、沖縄を保持し続ける必要がありますが。でも、それらが奪われれば、どうせ、護衛空母があっても守りきれません。
 言い換えると海上護衛が成立するのは、制海権と制空権は握っている地域(海域)だけでしょう。そう考えると連合艦隊優先は正しい判断であるとも言えます。海上護衛総隊だけ充実していても、連合艦隊が弱体化していれば、どのみち海上交通路は失われますから。
 結局、いつもの話になってしまいますけれど、当時の日本には決戦部隊と海上護衛部隊の両方を充実させるたけの国力は無かったのです。個々の出来る範囲内ので工夫、努力は足らなかった面もあるかもしれませんが、米相手に戦争をするということは、短期決戦で終わらない限り、いつかは負けます。逆説的に言えば、海上護衛を重視するのなら、むしろ、艦隊決戦に力を注いで、もし勝てなかったら戦争は諦める、の方が良い結果が得られる可能性があると思います。決戦で勝って講和出来れば、海上交通路は失われませんから。
 なので、私は帝国海軍が対米戦を艦隊決戦主義で軍備を整えたのは正しい判断だったと思います。無論、艦隊決戦が起こらなかった時に備えなくていいのかという批判はあるでしょうし、それはそれで正しいとは思います。ただ、対米戦に勝利する、勝てないまでも降伏しないで講和するためには、艦隊決戦で勝利して講和するか、米が出血に耐えかねるまでひたすら受身で守り続けてなんとか講和に持ち込むしかないでしょう。しかし、どちらも米次第です。前者は艦隊決戦に勝利すれば講和できるとは限りません。日本は艦隊決戦に敗北すればそれで終わりですが(二度目はない)、米は持久して戦力を回復させ、再度の決戦を挑むことが出来ます(決戦ではなくても良いですが)。後者は米が諦めなければ必敗です。大義名分があれば、米は(米国民は)戦争を継続することが出来ます。いつまでも守りきれる訳ではなく、徐々に戦力を失い、最後は負けるでしょう。とはいえ、可能性があるとしたらその二つのシナリオ位だと思いますし、より可能性が高いのは艦隊決戦だと思います。持久といっても、米が決戦を挑んできたら、それを正面から受けるなら、艦隊決戦主義と同様の軍備は必要です。言い換えると持久体制をとるとしたら、艦隊決戦主義+海上護衛+通商破壊などなどの軍備が必要ですから、それを持つ国力が必要でしょう。国力が限られていれば、それぞれに備える軍備が薄くなってしまいます。なら、国力が限られる日本にとって、艦隊決戦一本やりで行くというのは間違いではなかったと私は考えます。
 また、結果論から言えば、日本がより海上護衛に力を入れて、海上交通路がより長く保持されていたら、本土決戦は避けられなかったかもしれません。通商破壊戦だけでは日本は屈服しないと考えれば、上陸してきたでしょう。少なくとも戦争が長引いて、犠牲者が増えた可能性はあると思います。まあ、実際には本土に迫られる頃にはどうがんばっても海上交通路は遮断されますが。
 ただ、海上護衛を無視して良いという意味ではありませんし、やることは全てやるべきではあります。決戦戦力とともに可能な限り整備べきでしょう。しかり、資源が限られる場合には優先順位をつけて整備せざるを得ません。それは国家戦略により変わるでしょうし、仮想敵国によっても変わるでしょう。対米戦を主に考えるのなら、優先されるべきは決戦戦力です。それは抑止力になりえます。海上護衛が完璧でも、決戦戦力が貧弱なら、米は日本を容易に攻撃出来ると考えるでしょう(実際にするかどうかは別にして)。しかし、少なくとも太平洋では同等以上の決戦戦力を有していれば、容易に攻撃出来るとは考えないでしょう。まあ、日本から先に攻撃してしまえば、抑止も何もありませんが・・・。
 もし、対ソ戦を主に考えるのなら、優先されるべきは海上護衛戦力でしょう。ソ連には元々決戦を挑めるような戦力はありませんが、少なくとも数の上では有力な潜水艦部隊を保有していました。なので、欧州における英独の海軍戦力の力関係に近いでしょう。であれば、決戦戦力の優先順位を下げても問題ありません。
 実際には前述の通り、平時から海上護衛戦力を保有することは難しいですから、平時は決戦戦力を整備し、有事の海上護衛戦力はその基本設計や計画を立案するにとどめざるを得ませんが。そして、開戦後は、相手に戦力整備の方針を考える必要がある、ということです。

 まとめると、海上護衛を軽視して良い、やらなくても良かったと主張しているのではなく、日本が出来た範囲内では、史実以上にがんばったとしても、結果はそれほど変わらなかったと考えます。とはいえ、万の単位、少なくても千の単位の戦死者が減った可能性はあるので、ほとんど変わらないというのには抵抗ありますが、戦争全体の推移はほとんど変わらなかったでしょう。海上護衛戦力だけ拡充しても、決戦戦力(正面戦力)が失われ、制海権、制空権を奪われば、海上護衛はなり叩くなると考えます。そして、資源の制限で両方出来ないのなら、決戦戦力により重点を置くのは仕方ないと考えます。もちろん、資源が許す範囲で(出来る範囲内で)、海上護衛にも力を注ぐべくですし、史実で、出来ることは全てやったとは言えないとは考えます。

 後世の人間が批判する際には、それが可能であったかどうかを考えるべきだと私は思います。やれば出来た、努力すれば出来たことをやらなかった、努力しなかったという批判ならそれは正しいでしょう。しかし、その当時、やろうとしても出来ないことをやらなかったと批判するのは不適切だと思います。

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日本の護衛空母と海上護衛その1

 通勤時に光人社NF文庫、大内健二著「護衛空母入門」を読みました。その感想文・・・のはずでしたが、書いているうちに長くなり、別の文章になってしまいました(苦笑)。日本が海上護衛に力を入れるのが遅く、商船改造空母もカタパルトがなかったので米護衛空母と比べると余り役に立たなかった・・・というような記述が当然のようにあったのですが、でも、良く良く考えるとそんなに駄目だったのかが疑問に思えてきました。
 日本の商船改造空母は、元々護衛空母ではなく、あくまで艦隊決戦の際に正規空母を補うものとして建造されたものの、隼鷹型二隻以外は、カタパルトが無かったため、本来の役割では使い物になりませんでした。後方に配置され、攻撃隊を発進さえ、装甲空母を中継基地にして・・・という話もあるようですが、それにして、爆(雷)装した攻撃機を発進させるのは簡単ではありません。なので、その指摘は正しいです。建造計画が航空機の発展を十分考慮していなかったためとも言えますね。カタパルトは無視していた訳ではなく、当時の日本の技術では開発出来なかったというべきでしょうから、もしかするとカタパルトが出来るつもりで、将来はそれを装備すれば良いと考えていたのかもしれませんが、そこまでは私は知りません(正規空母にはカタパルトを装備出来るようにする用意はあったようですが)。もし、そうだったとしたら、単にカタパルトの開発に失敗した、ということになりますが。
 そのため、ほとんどは航空機の輸送に使われています。それはそれで有益だったでしょう。そういう意味で空母に改造した意味が無かったということではなく、有用に活用されたとは思います。それは当初の意図とは違う使い方でしたが。もちろん、その際にカタパルトがあれば、いちいちクレーンで吊り上げてはしけに積み替えてということをせずにそのまま発艦させられたというのはありますが、輸送を効率化するためだけにカタパルトを装備すべきだった、というのは言いすぎでしょう。あればより良かったとは思いますが。
 では、船団護衛では、有効ではなかったのか?それもそうでもないようです。昼間であれば撃沈した潜水艦はほとんどないにせよ、やはり哨戒機が飛んでいると攻撃はやりにくかかったようで、損害率を下げる効果はあったようです(護衛空母入門の記述)。潜水艦だけが相手なら、英がやったようにある程度の数の航空機がいれば相応に効果はありますし、必ずしもカタパルトは必要ありませんから。
 さて、護衛空母だけに限らず、日本の太平洋戦争中における海上護衛をどう評価すべきでしょうか?まず、結果から言えば、多数の船舶を失い、海上交通路は遮断されました。ですから、失敗した、以外の評価は出来ません。何がどうあれ、結果が全てですから。
 もちろん、個々の要素や経過について評価する意味がない訳でしょう。護衛空母として使われた商船改造空母は、少なくとも昼間であれば有益だったと思います。防空には非力ですが、対潜水艦であれば、相応に有益だったと考えます。もし、戦争前から、もし、戦争になったら海上護衛のために簡易な護衛空母を短期間で改造または建造する計画は持っているべきだったかといえば、持っているべきだったでしょう。それは海防艦も同様ですね。
 それはやれるのにやらなかったのか、やろうとしてやれなかったのか、によって評価は変えるべきでしょう。出来なかったことをやらなかったのが悪いと言っても仕方ないですから(極端に言えば、核兵器を太平洋戦争前に開発しておけば戦争に勝てた、というようなことも言えますが、そんなのは意味の無い批判ですから)。
 少し見方を変えて、英国と比較してみたいと思います。英国は開戦後、独の潜水艦に苦しめられ、その後、次第に護衛戦力を拡充し、新兵器を投入し、最後は独潜水艦を圧倒しました。米の支援(良く知られているように旧型の駆逐艦や護衛艦、護衛空母などの供与など)もありましたが、英は海上護衛戦に勝利し、海上交通路を守り抜いたと言えます。それに比較して日本は、護衛艦の拡充が遅れ、技術開発でも通り、実施に装備した対潜兵器でも劣ったと言われます。ソナーやレーダーの性能だけではなく、前方投射兵器(ヘッジホッグ)の有無などが良く指摘されます。そのほとんどは事実でしょう。なので、結果だけではなく、経過を比較しても、日本は駄目だった、力を入れていなかったということになりそうです。でも、本当にそうでしょうか?
 英の海上護衛戦力が拡充され、損害が減少してきたのは概ね戦争開始後4年が経過した1943年です。1942年半ばから改善はされていますが、それでも約3年は経過しています。それを日本に当てはめるとどうでしょう?開戦は1941年12月ですから、3年経過したのは1944年12月、4年だと1945年12月で終戦後です。1944年12月と言えば、戦争の結末はほぼ決まっています。仮に日本が英並みの能力(米からの供給分も含めた生産力と技術力)を持ち、同等以上の労力を海上護衛に費やし、戦争4年目(3年経過後)には米潜水艦を圧倒出来たとしましょう。それで何が変わるでしょうか?潜水艦により海没した陸軍部隊は史実よりも減少します。マリアナ諸島やフィリピンなどの守備隊は史実よりも増えるでしょう。でも、制空権を握られているのは変わりませんし、米空母機動部隊の猛威も変わりません。マリアナ諸島はほぼ史実通りの時期に陥落し、B29による本土空襲は始まります。潜水艦を封じたとしても空襲と機雷投下(海上交通路の遮断の効果は非常に大きかったと思います)により、やはり日本の海上交通路は失われます。
 では、出来る出来ないは別にして開戦と同時に海上護衛に力を注ぐとしましょう。米潜水艦の諸問題(主に魚雷の不発問題)もあり、戦争一年目からほぼ米潜水艦を圧倒し、潜水艦により被害は少数にとどまったとしましょう。それで戦争に勝てますか?トラック、ラバウル、ニューギニアなどへの補給や輸送は史実よりも被害が減るので改善されるでしょう。
 しかし、ガダルカナルは潜水艦による被害は少数で過半は空襲によるものです。ああ、もちろん、海上護衛に力を注いでいるということは、史実よりも護衛は強化されるでしょう。正規空母なども護衛に投入されることでしょう。それにより、史実よりはガ島の状況は改善されます。餓島と言われることはないかもしれません。しかし、それだけでガダルカナルで勝利出来るとは限りません。また、ガダルカナルでの戦いが史実よりも長引きますから、航空機の消耗は史実よりも激しくなることも考えられます。
 仮に最終的にガダルカナル島を確保したとしても、それを維持するためには労力(物資、人員、艦船、航空機などなど)が必要です。そうこうしているうちに1943年後半から戦力を拡充させた連合軍の反撃が始まります。マーシャル、ギルバートを奪われ、やはり1944年半ばにはマリアナが失われるでしょう。下手にガダルカナルを確保したが故により多くの戦力を失っているかもしれません。
 これはずるい言い方かもしれません。でも、結局のところ、海上護衛に力を入れていても、戦争には勝てません(勝敗には影響がほとんどない)。また、力を入れたくても、日本には米のように援助してくれる国はありませんから、100%力を出し切っても、英にはとどきません。その英ですら、護衛戦力の拡充し、損害が減少し始めるまでには3年、4年かかっています。
 日本で海防艦の増産が始まったのは戦争開始後3年目です。確かに早いとはいえません。備えておけば、戦争開始と同時に海防艦の大量建造(まあ、あくまで日本にとっての、ですが)に着手(建造開始ではなくて、建造準備開始位は)出来たでしょう。それでも実際に海防艦が建造され、就役するのは1年終わって2年目に入ってからでしょうが。海防艦といっても、結局、建造には一年近くかかっていますから。
 史実でも何の備えもしなかった訳ではなく、状況が悪化して戦争近いと思われた1941年には海防艦30隻の建造が計画されています。これらが竣工し始めたのは1943年でのんびりとした建造ペースではありましたが。また、これらは必ずしも海上護衛用ではなく、小型警備艦という代物でした。それでも途中から計画は改定されて、海上護衛用艦になっていきます。
 逆に言えば、開戦前からしっかりした計画はほとんどなくても、3年目で海防艦の大量建造が始まったのは、言われるほど遅くもないように思います。戦争一年目は、米側の不手際のせいもあり、潜水艦による被害は少数にとどまりました。輸送船の喪失は、ガダルカナル攻防戦が中心で、ここは海防艦の出番はありません(輸送船の護衛の不手際、はありますが)。
 2年目に入り、損害が増大してきて、慌てて、海防艦の大量建造を計画し、当初の計画艦は構造がまだ複雑で、装備面からいっても問題は多かったですが、第一号艦型及び第二号艦型は、比較的短期間で大量に建造を行えています。泥縄式といえば、そうです。でも、もし、戦争1年目から米潜水艦が猛威を振るえば、もう少し早くそこまでたどり着けた可能性はあります。
 英も元々の戦力が日本よりも大きかったので、護衛用に使える旧式駆逐艦や開戦前に建造したスループやコルベットが相応の数ありました。また、開戦後に米から旧式駆逐艦の供与も受けています。が、新規建造艦に限れば、1年程度はやはりかかっていますし、数がそろってくるのは2年目以降です。日本が米潜水艦の脅威を受け止めてから1年程度で大量建造が始まったのは、そう遅いとは言えません。
 また、元々は違う用途のために計画されたとはいえ、戦争開始1年で日本は3隻の護衛空母に使える空母を手にしています。2年目で4隻目、3年目に5隻目が改造完成しています。英はどうでしょう?米からの供与も含めて、護衛空母をまとまった数、手にしたのはかなり後になってからです。英国海軍最初の護衛空母であるオーダシティーが就役したのは戦争開始からほぼ2年経過した1941年6月です。これは格納庫をもたず、MACシップと大差ない代物です。格納庫をもったアクティビティが1942年9月、プレトリア・キャッスルで1943年4月、ヴィンディックスとナイラナが1943年12月、カンパニアは1944年3月です。米から供与された最初の護衛空母であるアーチャーの完成は1941年11月で、海上護衛任務についたのは1942年2月からです。既に戦争開始から2年半が経過しています。その後はアヴェンジャー級3隻が1942年半ば、、アタッカー級が概ね1943年からと供与され拡充されてます。CAMシップでも1941年半ば(戦争開始から2年後)、MACシップなら1942年半ばから。国産護衛空母が少ないのは、米から供与を受けたためでしょうが、それにしても、護衛空母がまとまった数就役するのは戦争開始から3年経過した1942年半ば以降に過ぎません。簡易空母のMACシップですらそうですから。最終的には追い越されるとはいえ、戦争開始から2年以内で比較すれば、日本の方多いのです。純国産空母だけ見れば、MACシップと大差ないオーダシティーを除けば、日英5隻ずつで同じです。勿論、英国産護衛空母が少ないのは米から大量に供与されたことが影響していると思いますが。
 日本が海上護衛を怠った、力を入れるのが遅かったと批判されますが、英の場合、第一次世界大戦であれだけ独潜水艦に痛い目にあっておきながら、第二次世界大戦が開始された段階で、貧弱な護衛戦力しか有しておらず、戦力の拡充にも時間がかかったのは、英国ファンの私が言うのは心苦しいですが、日本よりも悪いと言えませんか?
 もちろん、英は開戦後、怠けていた訳ではありません。英は出来ることはやりました。それでも護衛戦力の拡充には時間がかかるのです。平時から大量の護衛艦艇を保有することは英ですら出来ません。この手の艦艇は戦時にしか必要ありませんから、どうしても、整備は開戦後になってしまいます。英にしても、全てにおいてベストを尽くしたとは言えないでしょう。しかし、怠慢というのは当てはまらないと思います。英ですらそうなのです。日本に開戦と同時に大量の護衛艦艇を用意しろ、というのは無理があると思います。
 長いので2回に分けます。

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