書籍・雑誌

1/31/20’:最近読んだ本

 もうすぐ本当にBREXITしてしまいますね。まさかなあ。どこかで踏みとどまるのではないかと期待していましたが・・・・。
 

さて、本題。

中公新書
 友原章典著「移民の経済学 雇用、経済成長から治安まで、日本は変わるか」
 必読です。イメージだけで語られていることが多いですが、移民が増えることのメリットとデメリットを経済学という観点から既存の説を消渇しつつまとめて述べたものです。どういうことかがよーーくわかります。どういうことか?モデルの作り方によりどうとも考えられるということです(笑)。そもそも「移民」の定義も色々です。どうデータをとるか、どこの国のデータを元にするのか?どういうモデルで考えるのか?それでまったく違ってきます。
 一つだけ言えるのは、治安の悪化はほぼなさそうだということだけです。雇用は現状で低技能(教育)の人は移民に取って代わられたり、賃金が低下する可能性が高いというのもほぼ間違いないでしょう。ただ、日本の場合、その労働力は不足しているので、それを移民で補う意味はあるとは思います。もっとも移民というよりも外国人労働者というべきかもしれませんが。
 日本は人口減少・高齢化という問題もあるので、デメリットはあるにせよ、人を増やすには移民を受け入れる他ないと思いますし、キチンと待遇することが大事だと思います。いずれにしても、イメージだけで議論することは避けるべきです。


 瀧浪貞子著「持統天皇 壬申の乱の「真の勝者」」
 知識がない時代なので内容の是非について評価は出来ないのですが、史料が少ないため、解釈推測に主観が入るのは仕方ないとは思うものの、余りに著者の「想い」が入りすぎている印象を受けます。悪く言えば、持統天皇に肩入れしすぎ。もう少し、離れて客観的に見て欲しいです。
 それから持統天皇を除けば、直径子孫が皇位をつがない、というのはその前も後も同じではないでしょうか?逆に言えば、息子につがせようとしてその前に死去し、結果的に孫につがせたのが画期的で。それと譲位もこれが最初になるのかな?


 佐藤顕一著、「歴史探求のヨーロッパ 修道制を駆逐する啓蒙主義」
 よくタイトルを読めば分かったのに「歴史探求のヨーロッパ」という部分だけで買ってしまいました。悪い本ではないですが、私にはあいません。感想?うーん、ここでかけることだと「デカルト嫌い」かな(笑)。


洋泉社 
 歴史REAL編集部編 「カラー版明智光秀とは何者なのか?」
 便乗本と言えばそうですが、よく考えると余り知らないので買って見ました。中身はちゃんとしています。わからないことはわからないと。まあ、土岐流明智氏の出というのは、信長の平氏、家康の源氏程度の話ですね。
 後、ナンバー2だと書かれていて、そうかなあ?担当領域の広さなど考えたら秀吉がナンバー2じゃないかなあ、光秀は丹波攻略に手間取り、やっと終わった後は助っ人にかり出されて最後は本能寺の変、といイメージでしたが、京を含む近畿方面担当と解釈することも出来ます。なるほどね。

 私は、自分なら信長討てる、討てば天下取れる、とふと気がついて、そうか、今ならやれるじゃないかと思ってやってんじゃないかと思っています(根拠無し)。

光人社NF文庫
 北村賢志著「戦前日本の「戦争論」「来るべき戦争」はどう論じられていたか」
 必読です。戦前でもちゃんと正しい認識を持って本にしていた人がいるということがわかります。また、どこまで浸透していたかは別にしても一般でも戦後生まれの我々がイメージしていたのとは違い日米の国力差や航空機の重要そうは相応に知られていたこともわかります。それは戦争中にそれでもい日本は勝つ、と書いたものからですらわかります。今の我々には誤りだとわかる部分も勿論ありますが、今日でもこれ以下の認識の人はいくらでもいるという内容の本もあったことがわかります。

| | コメント (0)

12/28/19’:最近読んだ本

 タイトルと関係ないですが、腕と背中がまだ痛いです。疲労回復が遅くなったような・・・年だなあ。さて、本題。

中公新書 和田裕弘著「織田信忠 天下人の嫡男」
 正直、影が薄い信忠。すみません、当初、信重と名乗ったことは知りませんでした。著者が指摘するように実績をおいかけていけばほとんど失敗はなく、織田の後継者として着実に経験を積んでいたと言えます。信雄や信孝と比べると確かに器量は上に思えます。本能寺の変で死亡しなければ、織田の家督は維持出来た可能性はありますね。少なくとも秀吉が天下を取ることはないでしょう。家康にしても、普通に行けば先に死にますから、やはり難しそうです。
 反面、信長が信忠の立場だったら、逃げ延びていたであろうと思います(実績からして)。そこは、父信長を超えられなかった点ではありますし、生き残ったとしても、その後、どこかで討ち死にした可能性もあるでしょうね。
 過小評価されている人物に光が当たるのは良いことだと思います。
 なお、本題とは関係ないですが、「城介」殿様と書かれたのを見て、「城介」「殿」「様」と読んでしまい、なんで殿の後ろに更に様までつけるんじゃあ、役職名は呼び捨てだろ!と海軍脳で思ってしまいました(笑)。これ「殿様(とのさま)}ですね。当時、受領名が通称というか呼び名化しており、そこ敬称をつけるのも普通でしたから、陸軍式が本来のやり方で、海軍式が異端というべきでしょうね。そうすると社長様や部長様もおかしいとはいえませんねえ。私は海軍脳なので許しがたいですが(笑)。
中公新書 和田裕弘著「信長公記---戦国覇者の一級資料」
 同じ著者の二冊目(こっちの方が書かれたのは先)です。本編の内容は特別珍しいものではなく、入門書というところですが、序章の「『信長公記』とは」は参考になりました。自筆写本含めて、「信長公記」は色々ありますが、その違いなどが簡単にまとまっています。また、本文でも各所で違いやその理由が説明されています。これを見ると、天理本は余り重用しない方が良いと感じます。
 古い方が記事が多いというのは普通は考えられません。あるとしたら、著者が後から誤りに気がついて削除したか、差しさわりがあったので削除したかでしょう。自筆本であれば、新しい方が情報量が増えるのが自然です。「信長公記」でも、後から、大田牛一が訂正したり、新しい情報を得て追記している部分があります。なので、古いものの写本で情報量が多いとしたら、それは怪しいとかんがえるべきでしょう。内容からして、差しさわりがあったので削除されるようなものでないとすれば、後世の追記と考えるのが自然だと思います。著者も天理本は甫庵信長記の影響があると考えているようです。
 
講談社現代新書 田中雄一著「ノモンハン 責任なく戦い」
 基本的に昨年NHKで放送した番組を書籍化したものです。番組も見ましたが買って見ました。必ずしも辻政信を「悪人」と決めつけてはいません。勿論、大きな責任があるとしてはいますが。それとちょっとノモンハンの影響を過大評価しているような気はします。ノモンハンの戦訓を活かせなかったと批判するのは簡単ですが、この本にも書かれているように「予算」と「生産力」が不足しているので、やろうとしても出来なかった可能性が高いように思います。精神力に頼ったというか、出来ることがそれしかなかったという面もあるでしょう。まあ、日中戦争で予算が増えた面もあるにはありますが、陸軍の近代化を妨げたのは間違いないでしょう。

星海社 黒田基樹著「戦国北条五代」
 これで二度目の改定版だそうですが、新書になったので手軽に読めるようになりました。それぞれの当主と兄弟などを一通り説明しています。著者自身も書いているようにやや古い部分もありますが、後北条氏についてまとまって書かれた良書です。
 過去に主張した説が誤りだとわかると素直に訂正しているのに好感が持てます。

| | コメント (0)

12/19/19’:最近読んだ本

 ちょっと久しぶりの読書感想です。

中公新書 益尾知佐子著「中国の行動原理 国内潮流が定める国際関係」
 強く推奨します。中国に反感を持っているもっていないにかかわらず、この本は読んで損はありません。
 外から見ると、しばしば謎の行動を取る中国(中華人民共和国)ですが、それが何故か?が分かります。全てが正しいとは限りませんが、概ね、信じられます。
 中国の対外行動は、他国との関係ではなく、国内力学により決まるとしています。

 中国自身は自分達を侵略的とは考えていません。初期には革命輸出をはかっていた時代もありますが、もはやそれは終わっており、基本的には自分達の存続のために行動しています。それは必ずしも所謂中華思想ではありません。それらの行動は、外から見ると攻撃的、侵略的とも言えるのですが、そういう自覚はありません。むしろ、脅威(不安)に備えるための行動であると著者は分析しています。もちろん、それは外から見ると、「中華思想」によるもに見えますし、侵略的態度であり、覇権的です。しかし、中国自身からするとそうではないという主張は、矛盾はありません。
 中華帝国が失われ、あるべき姿の中国に戻るべきという考えはあり、それは「中華思想」といえなくもないでしょうが、喪失感によるものといえます。19世紀以降に色々な外国により色々なものが奪われ、それを取り戻そうとしているだけ、なのです。中国は経済力や武力ではなく、道徳的な優位性や文化をリスペクトされたいという願望があるとしています。著者はいっていませんが、「徳」といっても良いかもしれません。ただ、これは周辺国を無意識のうちに見下しているともいえます。歴史的な背景もあり、リアリズム思考であり、外国は中国に謀略を常にしかけてくるという被害者妄想的なものもあります。
 つまり、私なりに解釈すると、外から見ると拡張主義的に見えても、中国自身はあくまで自らを守るための行動だということです。中国が自身を平和を愛し、他国を侵略する意思はないといいつつ、侵略と受け止められる行為を行うのは、嘘をついているのではなく、自分はその通りだと思っているということです。
 
 伝統的家族観が大きな影響を中国の組織に与えているとしています。中国の伝統的家族観は、家父長による支配です。トップの下に息子たちは平等に従っています。それぞれの息子は父の方ばかりみており、父から与えられた役割を果たそうとします。中国国家、組織も基本的には同じ構造だとしています。 そのため、指導者に権限が集約され、指導者の考えて国の動きががらっとかわります。
 中国の組織は、党、軍、国家(地方政府を含む、行政組織)の三系統(三兄弟)に分かれ、それぞれが別の「息子」であるため、協力しあうことはほとんだありません。家父長に評価されるように行動します。結果、うまくいくこともあれば、失敗することもあります。成功例として、広西チワン族自治区、失敗例として、国家海洋局が取り上げられています。革命輸出と国際協調という相反する行動をとっていたのも、それを推進するのが、別々の「息子」であったためです。

 現在の習近平体制は、この伝統的家父長による支配そのもので、とてもうまくいっています。しかし、習近平氏とて永遠には生き続けられません。その後、どうなるか?拡散するであろうとしています。毛沢東亡き後、サケ小平は市場経済という秘薬による共産党支配を守りましたが、 習近平後の指導者にはそのような秘薬、起死回生の策はありません。
 
 私の下手な感想、要約を読むより、ともかく、本書を読んでください。納得出来ても出来なくても、有意義だと思います。読みましょう!最後のあとがきもなかなか良いですよ。

中公新書 三鬼清一郎著「大御所 徳川家康 藩幕体制はいかに確率したか」
 著者が世代が古い研究者(高齢)ということもあり、ちょっと最近の主流の解釈とは違う部分もあり、ところところ、あれ?と思いますが、基本的には無難な内容です。ただ、大御所政治について書かれているのではなく、家康の政権掌握という内容です。駿府vs江戸みたいな内容かと思いましたがそうではありません。読んで損はないと思いますが、タイトルは違うものが良かったと思います。
 
光人者NF文庫 熊谷直著「気象は戦争にどのような影響を与えたか」
 色々な時代の軍事作戦と天候について記述した本です。類書が余り無く、なかなか良いと思います。なんで艦隊が台風につっこんだり、悪天候で航空機が多数失われたりするのか?現代に生きる我々からすると不思議でなりませんが、WWII当時は気象衛星どころか、気象レーダーすらなかったのでしかたない、のですね。また、日本が、言ってしまえば国力が劣る故に近隣地域以外の気象データをWWII開始段階でもあっていなかったので色々と苦戦していることが示されています。まあ、もっと気象データに着目していれば、もう少しやりようはあったとは思いますが。
 

| | コメント (0)

9/11/19’:最近読んだ本

 台風のせいで、千葉はまだえらいことになっていますね。送電線の鉄塔が倒れ、末端の電柱も倒れているし・・・。この暑さで電気なしは辛いですね。早く回復すると良いですが、現場では頑張って作業しているのでしょうから、無理もさせられません。
 また、今日は911。あの日、TVでニュースを見ていて、突入の映像を再生している・・・と思ったら2機目の突入のライブ映像でした。あれで世界は変わったというと大げさかもしれませんが、大きな影響があったことは否定出来ないでしょう。

 さて、本題。

中公新書 藤田達生著 「藩とは何か 「江戸の泰平」はいかに誕生したか」
 悪くはないのですが、タイトルに偽りあり。これじゃあ、「藤堂藩誕生」です(苦笑)。後、高虎を高く持ち上げすぎな気がします。まあ、著者は藤堂・高虎研究を続けているんで仕方ないとは思いますが。後、プランナーとかコンパクトシティとかいう用語を持ち出すのはどうかと。それ以外はなかなか良いと思います。兵農分離ではなく、士農分離という指摘。中央集権から戦国時代に群雄割拠、そして、信長から秀吉、家康の時代に各大名は統治者から所領を与えられるのではなく、預けられる状態が確立。言われればその通りですが、その視点は漏れていました。
 
中公新書 中野等著 「太閤検地 秀吉が目指した国のかたち」
 手堅くまとまっています。検地は村単位での境目の確立と群単位での石高を確立、それにより、転封を行えるようにしたこと、それからここでも士農分離が支持されています。在所の住人を大名に仕える奉公人(歩行の侍、中間小物など)と商工農に分けて、浪人の存在を許さず、転封の際に奉公人は主人に従って必ず移動し、それ以外は逆に決して連れて行くことを許さないと。まさに士農分離です。
 また、朝鮮半島でも検地を行っていたことを示しています。恥ずかしながらまったく知りませんでした。秀吉からすれば当然のことですが。それから検地でかなりの打出がでています。島津は当初21万石だったのが57万石と実に36万石増えています。最初か過小だったというのもあるでしょうが、厳しく(多めに)計算された面もあるかもしれません。そして島津はずっと薩摩大隅を支配したと思われがちですが、個々の武将レベルでみると薩摩大隅日向内で異動しており、ずっと同じ領地だった訳ではないという指摘はそういう視点を持っていなかったので新鮮でした。
 なお、一応、全国でほぼ同じ基準で検地してはいますが、それでもまだ全てを豊臣政権が直接測量した訳ではなく、実際の石高は必ずしも正確ではないかもしれません。有名な太閤検地による国別の石高ですが、豊前は14万石、豊後41.8万、筑前32.6万石。確かに下毛郡は山ばかりですが、瀬戸内沿いは平地で水も豊かなので、全部でたった14万石とは思えません。豊後だって山間部はかなり含まれます。黒田による検地はかなり甘かった、または過少申告だったのではないかと疑われます。

  
中公新書 山之内克子著 「物語オーストリアの歴史 中央「いにしえの大国」の千年」
 所謂オーストラリア史とは異なります。現在のオーストリアを構成する9つの州それぞれの物語です。普通に知られているオーストリアはほぼウイーンに等しいですが、それぞれの州にはそれぞれの歴史と文化、そして物語があります。西側のティロルとフォアアーベルクの歴史は複雑でこんな悲劇に見舞われていたとは。国際情勢に翻弄された歴史があります。中身は敢えて紹介しません。新書にしては厚いですが(425p)、是非読んで下さい。あなたのオーストリアのイメージが変わると思います。


ハヤカワ・ノンフィクション文庫 小谷賢著「日英インテリジェンス戦史 チャーチルと太平洋戦争」
 面白いのですが・・・一度読んでいますね。PHPから出たのの改訂版でした。英国では情報は広く共有されたのに米国では一部の人に限られ、更に生情報を見るので解釈に誤りもおきていたという指摘しています。また、日本に対してはヒューミントはほとんど行えず、シギント、暗号解読に頼っていたので解読できなくなると混乱し迷走するの英国。
 この本だけ読めば、太平洋戦争=日米戦争は英国によって引き起こされたと言えなくもありません(苦笑)。

文藝春秋 佐藤雄二著「波濤を越えて 叩き上げ海保長官の重大事案ファイル」
 元自の人の本は多いのですが、元海保は余り見かけません。興味深いエピソード多数。直接関係ないですが、1989年って、まだボートピープルがくるような時代だったのですね。反映する今のヴェトナムになれたので、そんな最近だったのかと思いました。

| | コメント (0)

最近読んだ本

 ここのところ、体調いまいちで、電車に乗って座れると寝てしまうので読書が進みません。なので二冊だけです。


中公新書 渡邉義浩 著 「漢帝国―400年の興亡」
 手堅いです。漢帝国の歴史と言えば、劉邦による建国、衛青・霍去病の匈奴遠征、王莽による簒奪と劉秀による中興、そして末期から三国志の時代、それ位しか知らなかったのですが、当然ながら色々なことがあったのですね。

 面白いのは儒教を帝位の正当化に利用したら外戚がはびこったということ。なるほどなあ。
 外戚 皇帝の疑似権力
 宦官 皇帝の延長権力
というは的確な表現でわかりやすいと思います。
 しかし、この時代に正当化するために色々と理屈を考えている・・・・凄いなあ・・・日本はまだ「文章」すらないし、まともな国家も無かった時代なのに。お勧めです。
 王莽による簒奪については余り詳しく知らなかったのですが、イメージしているのと違いますね。ちゃんと正当化する理屈を考えていたんですね。単に武力で奪った訳ではありません。これ成功して王朝が継続していたら、簒奪者などとは言われなかったでしょう。むしろ、帝室につらなるとはいえ劉秀による「中興」の方が武力による権力奪取に過ぎません。まあ、カリスマ性の違い、将・・・王たる器の違いがあったのでしょうか。王莽はそれを理解しているが故に「理」による簒奪の正当化をはかったと考えることも出来ます。この時代に限らず、「理」により簒奪を行おうとした人物はどれだけいたことか?


中公新書 山本章子 著「日米地位協定 在日米軍と「同盟」の70年」
 良書です。著者は研究者らしく、個人の意見もある程度含まれてはいますが、極力冷静に記述しています。日米安保反対!日米地位協定速やかに改定すべきというようなメッセージはありません。安心して読めます。内容はもう読んで下さいとしか言えません。
 今日の日米地位協定は、歴史的背景と環境の積み重ねによるものですから、簡単には改定できないでしょう。ある意味では憲法9条のせいとも言えます。もし、戦後の憲法が史実と異なり、集団的自衛権を認めるものであったら・・・違った結果になっていたでしょうね。その上で、日米韓を中核とする極東条約機構が成立していたら?当初は恐らく台湾(中華民国)も加わることでしょう・・・・でも、やはりむりですね。冷戦期に戦場になる可能性があるのは韓国や台湾ですが、同盟国とはいえ、歴史的経緯を考えると日本軍がやってくることは国民が受け入れないでしょう。勿論、その逆に日本のために韓国や台湾が血を流すことも国民が受け入れないでしょう。あるとしたら?日米にカナダ、英、それにオーストラリアなどによる太平洋条約機構なら成立するかもしれません。英は香港防衛のために日本の力を使うのは韓国や台湾ほど抵抗はないでしょうし。
 しかし、現実には憲法は当分変わることはないですし、日米安保条約も大きく変わることはないでしょうし、日米地位協定も変わらないでしょう。いや、もしかすると、安倍首相が変えるかもしれません。憲法を改正出来なくても、解釈改憲で日本が「貢献」出来る国になれば、沖縄の米軍基地が減ったり、日米安保条約や地位協定も変わるかもしれません。皮肉な話ですが(苦笑)。
 

| | コメント (0)

最近読んだ本

中央公論新書、蔀 勇造著「物語 アラビアの歴史」
 悪くないと思います。が、私にとって馴染みの薄い固有名詞ばかり出てくるので読むのにとても時間がかかってしまいました。これは読み手の問題です(苦笑)。一つだけきになったのは「に違いない」という言い方が結構多いこと。個人的にはこの表現は避けて欲しいです。歴史系ではよく見かける表現ではありますが。
 碑文などが残されているおかげで紀元前の歴史がある程度分かるのですが、もし、日本にもずっと以前から文字があり、碑文を残す習性があったならば、と思います。そうすれば、縄文時代はともかく、弥生時代の歴史が遺物・遺跡以外からも分かったのですが・・・・。実際には古墳時代ですら碑文を残していないのでどうしようもないですが・・・。
 
 オマーンがアフリカの一部を支配していた時代があるとは知りませんでした。それからイスラム教の勃興・・・いやあ、実に世俗的。昔の人は純粋だった・・・・のではなく、後世の人の方が純粋と言えますね。まあ、それが原理主義を呼ぶのですけれど。

 同じ名前が多いですね。ムハンマドさん何人にいるの?同時代に複数のハリードさんとかアリーさんがいたりとか。(^^;主要勢力だけでも良いので系図をつけてくれると助かりますが・・・。

 日本では余り一般的に知名度は高くない場所、時代ですが、当然ながら色々な勢力の興亡があったんですね。読むのにはやや苦労しますが、お勧め出来ます。


光人社NF文庫 大内健二著「ドイツ本土戦略爆撃 都市は全て壊滅状態となった」
 コンパクトにまとまった良い本だと思います。一番面白かったのは英米爆撃機の未帰還率です。

 328ページに英軍の数字は以下のように記載されています。

双発小型ふくめて平均2.7%
 スターリング 5.5%
 ハリファックス 3.1%
 ランカスター 2.5%
と三本柱でスターリングがやはりというか突出して高いですね。

 330ページに米軍の数字は以下のように記載されています。
 平均1.4%
  B17 1.4%
  B24 1.3%
米軍はこの二機種だけです。どちらもほぼ同じですね。

 初期を除けば夜間爆撃に徹した英軍の方が昼間爆撃を行った米軍よりも遙かに未帰還率が高いです。これは米軍の方が先に護衛戦闘機を得られたというのがあるようです。勿論、爆撃機そのもの性能、火力、防御力の違いもありますが。

 一番面白いのは324ページの表です。これはドイツ本土爆撃、日本本土爆撃、朝鮮戦争での北朝鮮本土爆撃の比較なのですが、未帰還率は

 ドイツ本土爆撃:2.0%
 日本本土爆撃:1.4%
 朝鮮戦争0.16%

です。ドイツ本土爆撃は英軍と米軍の合計です。米軍だけだと前述の通り1.4%です・・・・あれ?日本本土爆撃と同じです。イメージ的にはドイツの激しい迎撃(対空砲火含む)により大量の損失を出したのに対し、日本はB29に対抗し得なかった、なんですが、未帰還率だけ見れば同じです。面白いです。これは日本本土爆撃は期間が短く、当初は護衛戦闘機もなく、比較的低高度で行ったので損害が多かったからであり、もし、戦争が長引いていたらこの数値はどんどん低下していったでしょう。また、距離が無かったので途中で不時着した機も多かったかもしれません。が、ともかく、数字上は、ドイツと日本、どちらでも同じです。いや、面白いです。少なくとも、日本側が無敵B29と思った程、米軍も楽はしていないとは言えるでしょう。いかにB29といえども護衛戦闘機無しでは被害を受ける、ということですね。

 もう一つ。米軍は防御火力が強力だったこともあり、「過大に報告された戦果を途中までそのまま受け取っていたようですね。途中から1/3にしたようですが、それでもまだかなり過大。英軍からそんなわけねえーよと疑いの目で見られていたようです。密集しているので1機撃墜しても複数の爆撃機が撃墜を報告するからなんでしょうが。まあ、この戦果の過大報告はいつどこでもある話ですね。その例として、1943年10月14日の第二次シュヴァインフェルト爆撃が記載されています。この戦いでは米爆撃機291機が出撃し、合計312機に迎撃され、82機未帰還、64機損傷により廃棄という大損害を受けています。それに対して297機の撃墜を報告しており、事実なら迎撃にでたドイツ機ほぼ全てを撃墜したことになってしまいます。この戦果は1/3にされて99機とされたのですが、実際に失われたドイツ機は35機でした。約9倍にふくれあがっています。なかなか酷いですね。ただ、自らよりも多い数に迎撃されて、9機に1機(約11%)を撃墜した(不時着なども含んでいるでしょうが)のは、さすが米爆撃機の防御火力は高いと思いました。爆撃側の未帰還率も約28%は恐ろしく高いですが、迎撃側の約11%もかなり高いです。こんな戦いを続けていたら迎撃側は戦力をあっというまにすり減らします。確かに戦果の報告は恐ろしく過大ではありましたが、迎撃したドイツ機も激しい防御火力に苦戦したとは言えるでしょう。

扶桑社新書 伊藤雅文著「『日本書紀』だけが教えるヤマト王権のはじまり」
 書評を見て買って見たのですが・・・・途中で読むのに耐えられなくなりました。日本書紀の無業積年を省けば本当の年が分かるというのが著者の主張です。それに従うと初代天皇(当時は大王)は301年に即位したことになるとのこと。この仮説は面白いのですが・・・その実証が・・ほぼ全てこじつけ(苦笑)。都合が悪い部分は改竄だ、誤記だと主張して、自分の仮説に合うことだけ採用しています。もうちょっと私はこういう本には耐えられません。ほとんどが合致していて一部だけ合わない点について仮説を立てて、これが正しければ合うというなら分かりますが、ほとんどが合致していなくて、自説に合わせるためにほとんど仮説ばかりというのは(苦笑)。

 細かい突っ込みをする気はないですが、大まかに以下だけ述べます。一言で言えば、今日の視点で見すぎ、です。

・倭の五王
 朝貢した事実を隠したかったとありますが、そもそも、当時、その「倭の五王が朝貢した」したという中国側の記録は日本で知られていたのでしょうか?知られていたとして、それは屈辱的なことなんでしょうか?日本書紀は日本が唐と台頭の立場だと宣言するためうんうんといってますが、それは何故そう分かるのでしょう?それはあなたがそう思いたいだけでは?それなのに五王のうち二人を日本書紀で即位していない人物に比定する理由は?そうまでしても、中国側の記録と間らが一致しないのですが??
 
・卑弥呼
 日本書紀が書かれた時点で、卑弥呼はどれだけ知られていたのでしょうか?魏志倭人伝は日本でもう十分知られていたのでしょうか?神功皇后を卑弥呼を連想させる人物にしたてあげたとありますが、そんなことをするほど、当時の人は「卑弥呼」を知っていたのでしょうか?今日、卑弥呼は有名で、特別歴史に興味がない人でもその名前は知ってます。ですが、今ほど情報伝達手段もなく、書籍も普及していなかった時代に、著者の主張(別著)では熊本にいた卑弥呼を畿内の人がどれだけ知っていたでしょう?

 
・無業績年を挿入する基準は?
 古く見せかけるために無業績年を挿入したとしてもその基準につうてまったく述べられていません。むしろ暦にあわせるために挿入したと考える方がまだましです。

 最後に、仁徳天皇陵は、考古学的に仁徳天皇の陵墓だと確定しているのでしょうか?「伝仁徳天皇陵」だと思っていました。

 扶桑社という段階で躊躇したのですが、やっぱり駄目でした。もう少しぱらぱら読んでから買えば良かった(苦笑)

| | コメント (0)

最近読んだ本

 光人社NF文庫 雨倉孝之著「海軍ダメージ・コントロールの戦い 知られざる応急防御のすべて」
 余り類書がないので貴重です。色々問題はあったものの、太平洋戦争前に急いで改善し、なんとか間に合ったが、まだ不十分だった、というところでしょうか。
 もっとも米並の間接防御(ソフトハードともに)だったとして、どれだけ救えたかは?比叡と霧島は救えたかもしれません。でも、霧島は厳しいかな?ミッドウェーで赤城は救えた可能性はあると思いますが、残りはどうでしょう?火災が鎮火したとしても日本まで生還できたかどうかは?
 それに結局、戦争には勝てないのですとねえ。海上護衛戦、本土防空戦。後知恵で言えばもっとやりようはあったとは思いますが、結局、戦争に負けるのは同じ。負けないためには戦争をしないか、組み合わせを変えるしかなかったと思うとむなしいです。
 さて、海自はどうでしょうか?旧海軍の戦訓と米海軍からの技術・知識導入により大幅に改善されていると・・・期待したいですが。

以下は小説なので、ネタバレになるので感想が書きにくいですが。 

中公文庫 大石英司著「神はサイコロを振らない」。
 なんで今頃読んでいるの?と言われそうですが、ぽっかり抜け落ちていました。面白かったのですが、一つだけ矛盾があります。まあ、矛盾というか、設定上あり得ないことが一つ。しかもそれがかなり重要なポイント。何か誤解しているかなあ?でも、やっぱり、これはあり得ないよなあ。それ以外の結末は私好みです。

ハヤカワ文庫 林譲治著、「出雲の兵站1-4」
 第1部完を記念して軽く。うん、いいですね。カーリーさん節炸裂。「敵」の正体は1巻を読んだ時の予想は一部当たり一部外れ。うーん、そうきたかあ、です。時には強く、時にはおまぬけに思える敵ですが、確かにこういう設定なら納得です。第2部で敵がより詳しく描かれると思いますが、本当の正体は?「異星人」ではない、と予想しておきましょう、敢えて、裏を読んで。

ハヤカワ文庫 鋼大著「天空の防疫要塞:
 なんというえばいいのでしょう。うーん、SFというとちょっと。でも、スペオペでもありません。ハードスペオペ?かな?まあ、でも、一部スペオペっぽい部分を除けば、十分SFで通用すると思います。とりあえず読みきりですが、とても面白かったです。具体的に何か書くと読んでつまらなくなるかもしれませんので辞めておきます。続きはまだありそうです。期待します。

 日本のSFはレベル高いですね。「女王陛下の航宙艦」なんかと大違い。やはり航空宇宙軍史シリーズがあるからでしょうね。

| | コメント (0)

最近読んだ本

 最近といっても、ちょっと通勤中の読書時間が余り取れず、ここ一ヶ月位に読んだ本です(苦笑)。まあ、雑誌も読んでいるというのもありますが。

角川新書 大木毅著 「砂漠の狐」ロンメル ヒトラーの将軍の栄光と悲惨
 良書です。極力客観的に史料から事実と考えられることのみを選んで記述しています。私は英軍ファンなので、ロンメル将軍は優れた戦術・作戦指揮官に過ぎないという評価ですが。本来中隊から大隊程度の指揮が最適で師団長ですらもはや危ういと思っています。「ロンメル」をよく知らない人はこれ一冊読めば十分だと思います。

中公新書 元木康雄著「源 頼朝 武家政治の創始者」
 ちゃんとした歴史研究者らしい著作です。過去に信じられていた俗説はほとんど事実に反するとしています。例えば戦国時代と比べると一次資料が少ない時代であり、「吾妻鏡」や「平家物語」に頼らざるを得ない部分が多いのですが、その吾妻鏡の記述について、これは信じられる、これは虚構だとする著者の判断は説得力があります。「吾妻鏡」にしろ「平家物語」にしろ、バイアスというか、意図を持って書かれています。
 著者は義経と頼朝の決裂は従来言われていたよりも後であるとしています。決定的な決裂は亡父義朝の落慶供養を鎌倉で行い義経を招いたが拒否されたことであるとしています。義経が挙兵後支持を得られず没落したのは、武士団のとって義経を支持する理由がないというのもありますが、武士社会の論理に反するというのはあったでしょう。

中公新書 坂井孝一著「承久の乱 真の「武士の世」を告げる大乱」
 源実朝は実権の無いお飾りの将軍、後鳥羽上皇は無謀な倒幕を試みて流されたというイメージがありますが、必ずしもそうではないというのが著者の主張です。承久の乱は倒幕ではなく、北条義時追討が目的であったとしており、それが倒幕とされたのは幕府側がすり替えたとしています。全般的には良いと思うのですが・・・・なんか読みにくいのですよね。すっと入ってこないというか。何故でしょうね。一つは、まあ、源実朝と後鳥羽上皇を過剰に高く評価しているように思えるから、でしょうか。

| | コメント (0)

千利休は切腹していない?

 朝日新書 中村修也著「千利休 切腹と晩年の真実 新史料を読み解き、実像に迫る。利休は切腹せず、晩年を九州で過ごした!」の感想です。前半は良いです。が、後半が(苦笑)。
 千利休といえば「わび茶」といわれますが、それは後世(江戸時代)の人間が作り上げた話であり、当時はそういう風にはいっていないし、わび茶でもないという説明がまず続きます。茶道はよくわかりませんが、納得出来る説明です。
 次に切腹したと確認出来る史料はないと主張します。切腹についてふれられている当時の史料は二つあります。
 まずは、「多聞院日記」。ただし、最初に腹切りしたと書かれていて、その後、高野山に上がったとも書かれています。当時の人が書いたものですが、「伝聞」です。なので、これを切腹するように言われたが、最終的には追放ですんだと解釈することは出来ます。
 もう一つが一般的には千利休が切腹したという根拠になっている「北野社家日記」。首を斬って、木像と共に磔にしたと書かれています。ただし、前田玄以と山口げんばからの伝聞だと書かれていますので、日記を書いた本人の目撃ではありません。
 著者は他の三つの史料を示し、いずれにも千利休の木像が磔になったとかかれているので、これは事実だろうとしています。このうち、伊達藩家臣が国元へ送った手紙では、木像が磔は前代未聞だと書かれています。しかし、三つとも千利休本人が切腹したり、磔になったとは書かれていません。その一方で逐電したと書かれています。
 ほぼ同時に奈良で、「売僧」が鬼の扮装をして強盗を働き、つかまって磔になったという記録が複数あることを指摘しています。千利休が秀吉の怒りをかった原因として茶道具を高値で売りつけていたというのがあり、この行いも「売僧」と呼ばれています。なので、奈良の「売僧」の磔と千利休事件が混同された可能性があるのではないかとしています。
 千利休が切腹した話はやっぱり江戸時代になっていろいろと盛られて伝えられているようです。余りに描写が詳しいのは逆に怪しい証拠でしょう。千利休は見事に切腹したと言いたいので書かれた文章に思えます。
 「わび茶」にせよ「切腹」にせよ。どうやらこれもまた江戸時代に話が作られて、それが事実だとして広まった可能性は高いように思います。
 問題はその後です。千利休が切腹せず、追放されただけだとして、その後どうなったか?著者は九州で暮らしたと主張しています。根拠は秀吉の手紙に二度「りきう」が登場することです。一つは大政所へ名護屋城に滞陣中に「りゆうの茶を飲んだ」と書いていること。従来は千利休が切腹しているという前提で、これは千利流の茶だと解釈されていたとしています。しかし、そもそも千利流の茶というものは当時確立されていないというのが著者の主張でそれは納得出来ます。もう一つは聚楽第の際の指示の手紙で「りきうのこのみ」という部分があることです。これもまた従来は千利休風という解釈がされていたが、そもそもそれは何だ?千利休が生きていて、文字通り千利休が好きなよう風に作れという指示ではないかというのが著者の主張です。どちらも相応に説得力があります。千利休が切腹したという事実がないのなら、そう解釈することも出来ます。ただ、明確に千利休が生きていたとするにはやや弱いです。
 問題はその後です。細川が千利休の嫡子・道安に隠居領を豊後高田で与えたという史料が残っているのですが、これは名目は息子だが実際は千利休本人に与えたものだとか黒田孝高が千利休を助けて九州でかくまったとかいう主張は根拠がありません。せっかく、それまで従来の主張は根拠があやふやだ、思い込みがあるから、そう解釈するのだと言っていたのに自分でも同じことをしてしまっています。まあ、ありがちですが、残念です。
 
 千利休は切腹しておらず、逐電したか、追放された可能性は十分あるように思います。逃げた可能性が高いかなという印象を受けます。なので、木像を代わりに磔にしたのでしょう。そしてそれは珍しいので複数の人が記録しています。その一方で千利休本人についてはそれらでは触れられていませんから、やはり、磔になったのは木像だけの可能性が高いとは思います。しかし、その後は不明としかいいようがありません。もし、秀吉が千利休を許して、復権していたら、そのことが他の史料に明確に残っているはずです。それがないのは、逃亡してそのままだった可能性が高いのではないでしょうか?

| | コメント (0)

蒙古襲来の新諸説

 熊本で買った本シリーズ第三弾です。
幻冬舎 荒木道信著 「蒙古襲来の新諸説」
の感想ですが・・・・外れでした。買う時にタイトルと帯しか見なくて、出版社を確認していませんでした。他のと同様のローカル系だと思い込んでました。帯には「帯に「勝因は「神風」ではなかった!? 九州地方の神社に伝わる古文書や水中遺跡をもとに蒙古軍撃退の謎を明らかにし真実の扉を開く!」」とあり、真実の扉が引っかかるものの面白そうだと思ったのですが・・・。

 

 まず、中身がばらばらの文章の列挙で、趣旨がいまいちよくわかりません。勝因とやらは明確にかかれていません。汲み取れたのは以下の2点
・文永の役で、蒙古軍は有明海に侵入し、干潟に兵を下ろし、その後満ちてきたので全滅した。
・蒙古に征服された高麗人や漢人(南宋)が日本が勝てるように手助けしてくれた。
です。前者はわざわざそういう行動を取るとは考え難いです。仮に干潟を陸地を間違えて上陸してもずぶずぶだからすぐわかります。干潟を見れば分かると思います。また、明確にそうだといえる根拠も示されていません。後者の内、高麗人がわざと有明海へ誘導したとありますが・・・。具体的な証拠は何もしめされていません。有明海に蒙古軍が侵入したと受け取れる文章が肥後の神社に残されているという程度です。
 ですが、それもどれだけ信頼できるか?後半に
・九州年号和水歴
・倭国(九州)王朝の公年号奴国
・神代文字で書かれた「上記」
などというのがあり、これらは、史学上認められたものではありません。ある古墳を卑弥呼の陵墓と断定しています。私は邪馬台国は九州(恐らく北部九州)に存在した派ですが、卑弥呼の陵墓が特定されたとはまったく考えていません。そうでないか?とされるものはいくつかあるようですが(近畿の含めて)、天皇ですらきちんと特定されていないのが多いことを考えれば、仮に存在(現存)していたとしても、特定は不可能でしょう。それをさらっと卑弥呼の陵墓だと言い切るだけで、この本は信頼出来ません。ついでに言えば、邪馬台国は九州にあった国の一つにすぎず、後の大和朝廷(政権)とは直接関係ないと思っています。九州にあったクニの中で有力だったものの一つ、という程度でしょう。このクニは集落程度の規模にすぎなかったでしょうし。それが地理的に近いため、大陸と通交しており、たまたま記録に残っていて、なんとなく「やまと」に近い名前なので、当時の日本最大の国みたいに言われているだけではないかと思っています。
 話がそれました。更に個人的なとどめは、豊後宇佐八幡宮、豊後中津というのがあると書かれていること。豊後のどこかにも宇佐八幡宮があるんだ。分社かな?後者は旧中津江村?・・・な訳ないでしょう。ミスでしょうね。遠くの人ならともかく肥後の人が何故?私は豊前人です!豊前の人間は豊後と一緒にされる許容出来ません。

#ついでにいうと、別の本ですが、日田を豊前と書いていた人がいたけど、あれもかなりやばい。日田は天領意識が強いしねえ。

 

 なお、 「水中遺跡をもとに」とあるのですが、少なくとも勝因に関する部分ではそのような文章はなく、水中で発見された蒙古の遺物があるというていどで、有明海で調査すれば、私がいうことが正しいことがわかるはずだ(沈んでいる蒙古の軍船があるはず)と書いているだけです。

 見た目よりも中身も薄いし、帰りの電車で読み終わりました。ちゃんと中身と出版社と著者の略歴を確認してかわないと駄目ですね。

続きを読む "蒙古襲来の新諸説"

| | コメント (0) | トラックバック (0)