書籍・雑誌

大艦巨砲主義は常識ではなかった

 一ノ瀬俊也著、講談社現代新書 「飛行機の戦争1914-1945 総力戦体制への道」の感想です。
 本書では、WWII当時の国民の中では飛行機中心という認識(コンセンサス)があったということをひたすら述べています。WWI以降、軍及び民間から一般国民向けの啓蒙書が出されており、その中では、かなり早い時期から航空機の重要性が説かれ、戦艦は航空機に勝てないというのが常識になっていたと主張しています。
 個々は読んでいただくのが良いですが、一部、軍人側で反論があった場合もあるようですが、全体としては航空機がもっとも重要という認識が軍民と問わずWWIIの段階ではあったと考えられます。それは陸海軍共通です。
 航空機中心は国家・国民総動員もやりやすいという面もあったとしています。航空機は総力戦の象徴であったとしています。そして、松根油も含めて、国民が生産に貢献しやすいのは確かですね。これが戦艦だとそうはいきませんから。そして、航空機が足らないから負けたという認識もあったはずとしています。
 そして、最後に「なぜ大艦巨砲主義の記憶が残ったか」として、戦後、日本は大艦巨砲主義だったから負けたという認識が生まれたのは何故かについて触れています。
 一つは日本人のとって数少ない「世界一」である大和・武蔵の伝説、美化によるものだろうとしています。
 二つ目は戦争指導の「真相」暴露的な報道が航空機に協力した民衆を免罪するため、戦争を戦艦主体として書き換えたためとしています。
 似た事例として戦争末期に日本軍がゲリラ戦を重用しようとしていたことが忘れ去られたとというのもあるとしています。
 これらは極めて重要な指摘だと思います。恐らく、何故戦争に負けたか、その理由が求められたので、「負けるべきして負けた」というのは受け入れられず、「方針が間違えていたから負けた」にしたかった、言い換えると「方針が正しければ勝てた・・・少なくとも負けなかった」と思いたかったのがあったのだと思います。全部帝国陸海軍が悪かったというのも同様でしょう。

 著者の一ノ瀬俊也氏は余り取り上げられていないことを積極的に取り上げて紹介されており、一連の著作は読む価値があると思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

短評いくつか

 最近読んだ本の感想です。
 一ノ瀬俊也著 講談社現代新書「日本軍と日本兵 米軍報告書は語る」 

 面白い内容です。米軍側の評価ですから、これが100%正しいとは限りませんが、戦後日本人が持つ日本軍、日本軍兵士のイメージよりは真実に近いかもしれません。
 一般的なイメージと大きく異なるのは以下の点でしょう。
・火力戦ではなく、白兵戦重視=>白兵戦を嫌う、下手、弱い
・歩兵の主力火器は38式歩兵銃=>軽機関銃
・無謀な突撃、バンザイ突撃をすぐする=>穴にこもって戦う、バンザイ突撃は望みが亡くなった時だけ
・非合理=>戦争後半になるほど戦訓を取り入れて戦術を改善している
・敵の糧食を活用するのは日本軍=>米軍も末端では食糧が不足することがあり、日本軍の糧食を捕獲して活用

 最後のは私にとっても意外でした。むろん、前線で利用したことはあるでしょうが、糧食の調査してどれが食べられるかを通達していたとは思いませんでした。逆に日本側でそのような調査通達は行われていたのでしょうか??

 狙撃兵含めて射撃は下手としています。これもちょっと意外でした。どちらかと言えば、米軍が物量に任せて弾をばらまき、日本軍は弾薬量が限られずので狙って撃つというイメージなのですが、まあ、考えてみたら、撃ち方、狙うというのと実際の射撃の精度は別の話ですね。

 対戦車肉薄攻撃(特攻)は否定的に見つつも、ある程度の脅威は感じていたようです。成功率は低いとしても、やられる側はやはりたまらんでしょうね。やる側はもっとたまらんのですが(苦笑)。

 それから硫黄島の日本軍を補給が十分だったと評価しています。日本側の記録を見るととてもそうは思えないのですが・・・それ以前がひどかったということなのでしょうね。

ロバート・D・エルドリッヂ著、PHP新書「誰が沖縄を殺すのか 県民こそが”かわいそう”な奇妙な構造」

 同意出来る部分もあるのですが、やはり海兵隊勤務(元々は職業軍人ではない)のアメリカ人の著作だなという印象を受けます。著者は日本に長く住んでおり、日本語を不自由なく読み書き出来て、日本で大学で勤務した経験も持ち、そこらの日本人よりは深く沖縄のことを知り、また理解しようとはしていますが、奥底になるのはやはりアメリカの利益でしょう。
 沖縄は対中戦略上必要であるというのが根底にありますから(それが間違っているというつもりはありません)、琉球人を少数民族として認めず、あくまで日本人であるとし、沖縄県も例えば青森県と同じであるという風にしています。しかし、歴史的経緯を見れば、琉球は別国家、別民族であるのは明らかです。それを否定しては、沖縄問題の解決は出来ないでしょう。
 もちろん、著者が言うように現在の「反対運動」は必ずしも沖縄の総意ではなく、違う意図も入り込んではいるでしょう。ただ、日本の他の地域とまったく同一の扱いを受けていない、基地負担が重過ぎるというのは否定出来ません。基地負担は私はやむを得ないと考えていますが。
 個人的には沖縄(琉球)の独立は、あり得ると思います。完全な独立国は無理(経済的な問題もありますし、第三国に依存しないと国防も事実上不可能でしょう)ですが、例えば、スコットランドのような地位を得ることは無理はないと思います。一度独立した上で日本と連邦国家を構成するという方法もあると思います。ただし、沖縄の戦略的価値はかわりませんから、仮に独立したとして、残念ながら沖縄から基地は無くなりません。日米と決裂して独立したとすれば、沖縄を庇護出来るのは中国くらいですが、その場合、今度は中国軍基地が設けられるでしょう。そして日米の脅威にさらされます。円満独立でなければ日本は沖縄は日本固有の領土であると主張しますから、憲法9条があっても現在の解釈なら、「領土奪還」=「領土防衛」なので問題ないでしょう。勿論、アメリカも中国軍基地に対して色々な対抗策を取ります。

 普天間基地は本当に危険なのか?というのは確かに私もイメージだけでそう考えていたように思います。また、辺野古では第二の普天間基地になるというのはその通りでしょう。

 著者が進める勝連案は、確かに魅力的です。ただ、政治的にはもはや不可能でしょうが・・・。また、2年で基地が出来るというのは楽観的過ぎるように思います。

 この本を読んで思ったのは沖縄にとって、ベターな基地とは、管理は自衛隊で、米軍と共同使用、平時は管理者程度しかおらず、基地として使われるのは基本的に有事のみ、というものかもしれません。

黒田基樹著、洋泉社「豊臣大名 真田一族 真説 関ヶ原合戦への道」

 真田丸便乗本と言えなくもないですが、著者は真田丸の歴史考証担当者の一人です。一次資料(ほとんどが書状)を元に述べており、基本的には良書だと思うのですが、何故か時々ひっかかります。著者の推測が入る部分が何故か、「そうだなあ」と思えず「そうかな?」と思えてしまいます。別に根拠なく断定している訳ではないのですが・・・。不思議です。

 当時の書状には年号を入れる習慣がなく、何月何日だけか、あっても、干支(「申」とか)しか書かれていないので、何年の書状かを比定する必要があります。もし、ちゃんと年号を入れていれば歴史家は苦労しないので済んだのですが・・・。そのため、有名な書状であっても、議論が起きることがあります。この本でも従来の見解と異なる比定をおこなっていますが、何故か、そういう部分も、そうかなあ?と思えてしまいます。特に無茶は言っていないのですが・・・何故でしょうね?何か著者との相性の悪さを感じます。

 三成と昌幸のやり取りは面白いです。昌幸は信幸が徳川についたことをぎりぎりまで伝えていません。書状が残っていないのもありますが、三成が信濃の回りの徳川方を攻めるように要請しているのに対し、昌幸はのらりくらりかわしている印象です。現実はそんな戦力は無かったのですが。
 また、一般的なイメージと異なり、第二次上田合戦では、真田はほぼ一方的に攻められただけで、徳川側の都合で城攻めをやめて秀忠軍主力が家康と合流すべく移動したので助かった、としています。これは私も同意します。第一次上田合戦はまだしも、第二次上田合戦は徳川の敗北とは言えないでしょう。ああ、それから最近の研究では、秀忠軍の目標はまず上田城攻略であり、美濃への移動中に行きがけの駄賃に攻め込んで酷い目にあり、挙句に関ヶ原の合戦に遅参したというものではありません。そして本格的な城攻めを開始する前に家康の合流命令を受けて離脱したというのがどうやら正しいようです。第一次上田合戦がなく、昌幸は関ヶ原の合戦の結果を知った段階で降伏していれば、隠居程度で済んでいたかもしれませんね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

国のために死ねるか

 文春新書 伊藤拓靖著、 「国のために死ねるか 自衛隊「特殊部隊」創設者の思想と構造」の感想です。著者は明らかにサイレントコアシリーズのあの時に出てきた人物のモデルですね。海自の特別警備隊の創設者の一人です。その経緯などについても書かれていますが、私には真偽を確かめようのない話ばかりです。
 ですので、印象に残った点を述べたいと思います。

・理由を考えて行動する
 特殊部隊に限らず、どのような業種、仕事でも大事なことだと思います。何故そのような命令がされたのか、こう行動すればどうなるのか、目的達成に手法は合致しているかなどなど、考えて行動することは必要です。特殊部隊ではもちろん大事でしょう。まあ、海軍の場合、言われた通り疑問を持たずにやることが必要な場合もあるかもしれませんが・・・。

・海自と陸自の文化の違い
 海自では上の方から「状況しらせ」と言ってくるのに対して陸自では命令した後は現場に任せるという違いがあるとしています。海戦では艦長、司令官が正確な状況を常に把握している必要があるでしょうが、陸戦では細かい部分の把握は無理だし、意味もないので、いちいち細かいことまで聞かないのはその通りなんでしょうね。

 

・日本人は優秀なのではなく、最低レベルが高い
 この場合、兵士の話ですが、平均値が高いというよりも、各国のもっとも不出来な集団同士で比較した時に日本は割合レベルが高いというか、それほど低くないと、だから、日本の兵隊は相対的には優秀(質が良い)というのは納得出来ます。反面、とびぬけて優秀な人材はほとんどいない訳ですが。比較的均一(あくまで比較的)ということですね。これが米国だととんでもなく優秀な人材が多数いる反面、どうしようもないのも多数います。沖縄での米軍関係者の起こす事件を見ればわかります。平均的な日本人からすると何故、このタイミングでそんなことをする!というのを平気でやってくれますから。

・SEALsはレベルが低い?
 こき下ろしていますね(苦笑)。SBS(この本ではぼかしていますが、他に考えようがない)は高く評価しています。英国ファンとしては同意します。実際、失敗も結構多いですからね。

・犠牲を問わなければ大概のことは出来る
 例えば、暗殺そのものは簡単、難しいのは、それに加えて自分が無事逃げおおせようとした場合と。これもその通りでしょう。だから、自爆テロや逮捕や殺されることを恐れないテロを阻止するのは困難です。ま、簡単と言っても自らの命を顧みずに実行することそのものは非常に困難ではありますが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

検証 長篠合戦

 吉川弘文館、平山優著、「歴史文化ライブラリー382 検証 長篠合戦」の感想です。 
 良書です。ほとんどの内容は素直に納得できます。根拠なく決めつけていませんし、書き方に好感が持てます。
 遅れている東国、進んでいる西国という従来のイメージが正しくないことを資料や先行研究を元に示しています。まあ、織田徳川を「西国大名」と呼ぶのには抵抗がありますけれど。それは「東国」から見た時の話であって、「西国」出身の私からすると織田徳川は「東国」です。元々東西は京都中心の見方でしょう。畿内なら見て西が西国、東が東国ですから、織田、徳川も本来の意味では東国でしょう。
 また、織田系(徳川含む)と中国、四国、九州系勢力とは色々な違いもあります。それに上杉、武田、徳川はほとんど同じ南北軸上に位置しています。織田もその隣ですからね。この「西国」は別の名称を使うのが適切でしょうね。それを言えば、武田上杉北条を「東国」でひとくくりにするのも問題がありそうです。関東甲信越と東海でしょうか?実質、「織田家」は機内勢力なので、東海だと実態に合わないか。東国=関東甲信越、西国=近畿東海、あたりでしょうか?中国、四国、九州をひとくくりにするのが適切とは思いませんが、それをひとくくりにするとしたらその名称こそが「西国」でしょうね。この辺は著者が山梨県在住というのもあるでしょうね。甲府から見れば織田も徳川も西ですから。

 全体的な流れは「戦国の陣形」と同じです。そもそもそこに参考文献として取り上げられていたので本書を買ってきて読みました。この流れを「東国」派と呼んでおきます。それに対するのは著者に言わせれば「西国」派ということになるのでしょうが、私は「信長公記、外国人記録」派としておきます。著者は信長公記や外国人が残した記録の信頼性は高いもののそれはあくまで「西国」についてであり、「東国」には当てはまらないものも多いとしています。

資料の再評価
 従来(というか近年と言うべき?)資料価値が低いとされていた「甲陽軍鑑」「甫庵信長記」を再評価しています。まあ、甲陽軍鑑の再評価の流れはしばらく前からあるのですが、甫庵信長記まで評価しているのは意外でした。まだ戦国時代の経験者がいた時代に書かれているというのはわかります。現代からWWIIを見るよりはずっと近い過去ですからね。ただ、「信長公記」が史記だとすれば、「甫庵信長記」は史実をもとにした歴史小説だと思います。部分的には参考になるとは思いますが・・・。「当代記」も他に既述が無いが書状などで裏付けられる出来事も記載されているとして評価しています。ただ「三河物語」は私はそれほど信頼出来る資料だと思っていないのですが、世間では評価されているのでしょうか?「信長公記」と比べるとかなり信頼性は落ちる(見方が偏っているし)と思っています。「信長公記」でも誤りは当然あるので、ある資料に書かれているというだけで事実と受け取らず、他の資料と突き合わせたうえで「どうやら本当らしい」と評価することは必要です。
 甲陽軍鑑が信頼できない証拠とされていた「長閑斎」問題は、別人だと実証されたから崩れたとしているのですが、それだけで甲陽軍鑑が信頼出来る・出来ないを決めることは出来ないでしょう。これは著者が検証した事案なのでここだけはちょっと自分の業績として強調されているという印象を受けました。                                             

東国大名は遅れていたか?
 決してそんなことはないというのが著者の主張です。鉄砲についても、武田は軽視したことはなく、結局、織田との差は、鉄砲とその弾薬の入手性の違いに起因しているという主張です。これには同意出来ます。兵農分離は織田徳川も完全にされていないと論じていますがこれも納得できます。家臣とその家族を城下に住まわせたとしてもそれは必ずしも兵農分離を意味しないし、東国でも行われていたというのはそう言われるとその通りです。織田の先進性については十分それを証明する研究はないという指摘も納得出来ます。
 「戦国の陣形」と異なり、織田の軍役定書はほとんど残っていなくても他資料を見る限り、東国と同様であったはずとしています。結局、東国と西国で大きな違いはなく、基本的には同質だったというのが著者の主張です。織田の先進性の根拠を示せなければこれを覆ることは出来ないでしょう。明確な違いを示す資料が無ければ、違わなかったと考えるのは妥当です。
 鉄砲については、鉄砲そのもの調達にも苦労したでしょうが、弾丸と火薬の調達に武田は苦労したことを示しています。なお、戦場で回収された弾丸の調査が行われていて、70%位は国内産の鉛ですが、残りは20%中国、10%はタイ産だったそうです。これは武田だけではなく、織田側にも合わせたものですが。こういう考古学的調査も行われているのですね。また、鉛以外の弾丸も使われており、武田では銅、青銅が使われたようです。鉄もあったそうですが、加工が難しいのと銃身を痛めるので余り使われていないようですね。銅の材料に貨幣やら鐘なども使われているようです。
 この差は経済政策があ・・ということではなく、単純に地理的条件の違いだと著者は主張しています。これは自然で納得の出来る主張です。

騎乗突撃は行われたのか?
 騎乗戦闘が行われたかどうかは明快です。「西国」ですら行われていたことを著者は示しています。イメージだけではなく、実際に武田の領地で良馬が得られたこともきちんと示しています。宣教師が書き残した通常は下馬戦闘というのはあくまで「西国」のことであり、「東国」はもっと行っていたと主張しています。また、当時の馬は小型だから騎乗戦闘は無理という主張に対しても明確に反証を示しています。
 ただし、「武田騎馬軍団」が実在したという風には言っていません。あくまで戦術として騎乗戦闘が行われたということであり、上級武士だけではなく、騎乗の下級武士もいたという主張です。まあ、「武田騎馬軍団」は明治以降に西洋騎兵のイメージから作り上げられたものでしょうね。
 著者も状況に応じて用いられたとしていますし、部隊まるごと騎乗していたとは言っていません。まあ、ある意味普通、ですね。一つの部隊、ユニットを「備」と呼ぶならば、騎馬だけで一つの「備」が編成されていたのではなく、一つの「備」の中に騎馬の集団があり、それをここぞの時に突撃させたということでしょう。
 当然、長篠の戦でも騎馬を用いることはあったでしょう。ただ、騎馬だけで鉄砲に向かって突撃した、なんてことはないでしょうし、著者も主張していません。当初は射撃戦(弓含む)が行われ、武田方の矢玉が尽きたので突撃に切り替えられたのでしょう。
 織田方がどれだけの規模の野戦築城を行ったかは不明ですが、著者は過去の研究を取り上げた上で思われていたよりは小規模であった可能性を示唆しています。現地調査の結果大規模な遺構があったという報告はその後、誤認の可能性が高いとか。いずれにしても何等かのものが設置されており、武田方もそれを取り除く努力をしていることを示しています。なので、武田はある意味普通に戦っただけというのが著者の主張ですし、これはその通りでしょう。
 甲陽軍鑑ですら普段は下馬と書いている(それが正しいかどうかは別にして)ので、騎馬突撃はここぞの時に使う手段で普通の白兵戦では使われていない(よくある映画やドラマのように騎馬と歩兵が混雑となって白兵戦を行うというのではなく)ことは十分考えられます。あれでは騎馬の力が発揮できません。とはいえ、騎馬突撃(馬入り)が行われたと書かれていたとしても、それは騎兵だけの突撃とは限りませんね。一緒の歩兵もついていった可能性もありえます。当時の人にとってはどういうのを意味するのか常識の範囲内で分かったのでしょうが、後世の人間にはなかなか厳しいです。

何故、武田は惨敗を喫したのか?
 「数で負けた」が著者の主張です。兵力、鉄砲の数、そして何よりもその弾薬の量の違いに圧倒されたのであり、勝頼の指揮が駄目だったのでもなければ、信長が用意周到に野戦築城したからでもないとしています。
 双方の正確な数は不明ですが、少なくとも織田・徳川連合軍は武田よりも多いのは確実で恐らく倍以上でしょう。それが地形を利用して主力を隠蔽し(武田方に数を知られないようにし)、基本的に陣地(規模は別にして)にこもって最初は守りに徹し、弾薬がつきて射撃戦が継続出来なくなった武田方は後方が遮断されたこともあり、攻撃するしかなくなります。甲陽軍鑑では場中の高名というのが武田にあることを示しており、それは射撃戦の最中に前にでて射撃するものがおり(それも高名になるからでしょう)そうして倒れた敵の首を取ること(実際には鼻で代用)だそうです。矢玉飛び交う中なのでそうそう簡単には出来ません。また、実際に白兵戦へ移行した際に当然一番鑓、二番鑓が高名を得るのですが、激戦になって踏みとどまって生き残ったら、実際には一番に鑓をつけていなくても、「一番鑓」として評価されるとしています。それが相対的に劣勢になっても武田方が攻撃を続けた原因の一つではないかとしています。隠ぺいもあり、織田方の数を低く見つもってしまったことも一因に挙げています。合戦前、武田方には悲壮感などはなかったようだ、自信を持っていたようだとしています。宿老が無謀な戦をいさめたというのも、戦術的に勝てないということが理由でもなさそうです。その辺はさすがに甲陽軍鑑の創作、思い込みでしょう。
 射撃戦で勝てず白兵戦で劣勢になり、織田方が打って出る訳ですが、その後、追撃され、そこで多くの上級武士が踏みとどまり、討死しています。なので、勝頼(武田)が鉄砲に向かって騎乗突撃を繰り返して負けた、という訳ではありません。戦国時代は数が少ない側が勝った戦いもあり、数だけで勝負が決まる訳ではありません。なので、どうやら織田方の方が数が多いとわかっても、それで即負けるとは思わなかったでしょうし、それは不思議な話でもないでしょう。後世の我々からすると数、鉄砲で劣勢な側が陣地構築して守る敵を攻撃するのは理不尽で、無謀だと感じますが、当時の常識では必ずしもそうではないのでしょう。

 いやあ、すっきりします。この本の前編とも言える「長篠の合戦と武田勝頼」も読まないと。(^^)著者は織田の鉄砲を三千以上と考えているようですが、それは前編で記述されているようです。なお、以前も述べたと思いますが、織田の鉄砲は三千でもおかしくありません。織田勢が三万位と言われていますので装備率10%で三千です。軍役定書を元に鉄砲の装備率が低いと言われる上杉でも鉄砲の装備率は6%程度ですから、織田なら10%でも不思議ではありません。徳川も八千としたら、上杉と同程度で五百はあります。織田も上杉と同じ6%だとしても二千四百です。あくまで織田三万、徳川八千と言われる兵数が正しいと仮定したら、ではありますが、鷹巣山攻撃隊を除いても三千以上の鉄砲を有していても不思議ではありません。逆に信長公記のオリジナルの記述とされる千だと少なすぎる位です。武田も軍役定書上鉄砲が記載されている場合のはその人物の軍役中では10%位(時代により当然かわる)ですので、全体で見ればもっと低くても軽く千くらいは有していたでしょう。甲陽軍鑑の記述を信じるのならもっと前の時代に増援として送り込んだ三千の部隊が三百の鉄砲を有していたのですから。

 いやあ、しかし、歴史は過去の出来事であるはずなのに生きていますね。少し前の常識、定説がどんどん覆されていきます。そして定説を覆したはずの説もまた覆されることも。「武功夜話」ももてはやされた時代もありましたが、その後、偽書(偽文書)とされて、またオリジナルは古いという説などもあり、その時その時で評価が分かれます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

毛沢東

 新潮新書、遠藤誉著「毛沢東 日本軍と共謀した男」の感想です。
 軍事史学会の会報の書評を見ておもしろそうだったので買ってきて見ました。
 中国で幼少期を過ごし、更に苛烈な体験をしたことから、著者のコミンテル、共産党への強い憎悪を感じますが、毛沢東その人に対しては憎悪と尊敬の念が入り混じっているように思えます。
 毛沢東は日本軍の大陸侵攻を利用して、日本と国民党を戦わせ、自らは極力戦力を温存したというのはその通りでしょう。そのために行った工作では国民党の情報を日本に流することまでしたと著者は説明していますが、これも十分ありえることです。
 全てを鵜呑みには出来ませんが、言えることは、やはり毛沢東は偉大な戦略家であり、日本人では到底対抗出来なかったと思います。蒋介石も優れた戦略家ではありましたが、毛沢東ほど、勝つためには冷酷になりきれず、そして敗れた、という印象を受けます。それは私の元々の両者の評価と一致します。
 ただし、ここで描かれる毛沢東は結構、人間臭いですね。完全無欠の戦略家では決してりません。インテリを敵視し、後から報復。それもやや子供じみたほど徹底的に。まあ、ありえるかな?何にしても、付き合うのなら蒋介石の方が良いですね。
 細かい部分を除けば、驚きの新事実というほどのものはありません。勉強・知識不足で知らなかったことは多々ありますが。個々のエピソードがどこかで正しいかは検証する術を持ちませんのでわかりませんが、全体としてはそういうことはあったのだろうなとは思います。日本の中国侵攻が中共を結果的に助けたというのはその通りでしょう。日本はもちろん、そんなことを意図していた訳ではないですが。

 ただ、コミンテルンは過大評価じゃないかなとも思います。それほど強力だったとしたら、何故、共産主義は世界を席巻出来なかったのでしょう?コミンテルンの脅威は著者の境遇もあり、過大に描かれているような印象は受けました。
 これまで著者の著作は読んだことがありませんでしたが、他の著作も読んでみたくなりました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

資本主義の極意

 佐藤優著、NHK出版新書、「資本主義の極意 明治維新から世界恐慌へ」の感想です。

 うーん、この作品は余り共感出来ませんでした。著者はキリスト教の影響に反資本主義的な思想が強く出過ぎていたように思います。参考にはなりますが・・・。
 また明らかに認識がおかしいと思える部分もあります。いくら安倍政権でも武器輸出を成長戦略の柱にはしていないでしょう。そもそも日本の軍需産業の規模は小さく、日本経済を引っ張っていけるほどのものではありません。また、売れるものもほとんどありません。そして、豪への潜水艦輸出はまだしもF-35の部品輸出は形式的なものに過ぎません。それらの部品は「日本製」ではありませんから。F-15だったら「日本製」もありえましたが、F-35は実質組み立ての一部だけです。空自が運用するF-35の保守のために部品を一時的に輸出する必要があり、それを武器輸出三原則から外したにすぎません。日本が最初からF-35の共同開発に加わっていれば、日本製の部品も相応の量あったでしょうし、本当の意味での輸出もあったでしょうが。
 ホワイトエグザンプションで1000万で24時間働かせられるというような主張もいかがなものでしょう?最終的な狙いは事実上の自給引下げかもしれませんが、それは単純労働者に適用された場合でしょう。それと給与収入で1000万超える人で「残業代」もらっている人ってどれだけいるのでしょう?一部を除けば、ほとんどいないのではないでしょうか?1000万に線を引いたら現状と大差ないと思います。また、仮に本当に使い倒そうとしたら逃げられるでしょうね。勤め人で1000万もらっている人はそれが得られるだけの能力を有しているはずですから、転職は比較的容易なはずです(年齢の問題があるかもしれないが)。そもそも、会社はなるべく人件費を押さえたいのですから、高い給料を払っても雇いたいと思わなければ1000万くれないでしょう。
 無駄な残業、同じ仕事をしても能力が低いのに残業が必要で結果的に収入が増えるという問題は現実に存在します。残業代が支払われない勤務形態は必ずしも「悪」ではないでしょう。残業代が無いとなれば働く側もなるべく短時間で終わらせて無駄な残業をしないようになります。これは実際、私がそうなので少なくとも実例はあります。

 なるほどと思う部分もあります。格差是正で富の再配分を求めるとファシズムを招くというのは、言われてみればその通りです。企業(資本家)はそんなこと絶対やりたがりませんから、誰かが強制的にやらせるしかなく、それは現実には国家権力しかないでしょう。それは一見、国民にやさしい良い政策に見えますが、ナチスも「国民のため」の政策を多く実施したことを忘れてはなりません。ああ、これは「国民のため」の政策をするのがいけないという意味では決してありません。一見良さそうの思えても仮面をめくるとファシズムが顔を出す可能性があるという意味です。

 資本家とどう戦えば良いか?それはもう労働が商品である以上、高い価値(商品性)を持つしかないでしょうね。誰でも出来ることしか出来ないのなら、安く買いたたかれます。それを非難しても仕方ありません。であれば、資本家(企業)が高い賃金支払っても雇いたいと思えるだけの能力を持つしか、労働者には対抗手段はないでしょう。
 そのためには教育はもちろん重要です。ただ、右肩上がりだった教育が下がりだしているという著者の主張は事実としてはその通りだと思いますが、原因は政策や資本家の意図だけではなく、飽和状態になりつつあるというのもあると思います。大学進学率は50%を超えています。そりゃ、100%が理想かもしれませんが、現実には個々人の能力には大きな差があります。50%でも「大卒」というだけである一定の品質(商品としてのね)を持つという保障には既になりません。これよりも更に大学進学率を上げるとしたら、それは「大卒」の品質を下げることになるでしょう。大学の数を減らして質を向上させることが今後は求められるのではないかと思います。子供の数は減るのですから。そうすれば大卒であればある程度のレベル以上の仕事(賃金)が得られる確率が高くなります。
 そうすると結局、大学いかないと駄目で、受験競争が激化するのではないかと言われるでしょうが、それはそうです。ただ、みんな貧しくと、頑張った人は貧しくならないはどちらがましでしょう?また、違う道もあります。職人系の能力を発揮する人もいるでしょう。その場合、必ずしも大卒は必要ではありません。

 理想は皆が同じ能力を持ち、同じように働いて、同じ賃金をもらえることでしょう。しかし、現実にはそうはなりません。「格差」を無くすことは不可能です。もし、無くすことが出来たら、その時は「個性」も失われることでしょう。「結果均等」を目指すと皆が貧しく不幸になりかねません。我々が求め続けなければならないのは「機会均等」です。
 奨学金問題が言われていますが、給付型ならそれで良いのかというと疑問もあります。結果を出せば、返済免除が正しいのではないかと思います。医師などであれば、地方の医師が不足しているところで10年働けば返済免除という風にする手もあるでしょう。能力がある(素質がある)のに経済的理由で教育を受けられない人には機会を与えなければなりません。そうしないとその国は劣化するでしょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

購入する雑誌が減りました

 F-roadがモデルチェンジするとかで、教祖様こと福野礼一郎氏の連載が終わってしまいましたので、もう買う必要がなくなりました。また、オートーカーも3月号でweb版になるとかで休刊。これで今後毎月買う雑誌はわずかに4冊(ティーポイ、カーマガ、世界の艦船、軍事研究)。この他、各月刊が1冊(歴史群像)。不定期ですが、割合買う雑誌が数
冊ありますが・・・。全盛期は月に10冊を超える雑誌を買っていたのですけどね。まあ、書庫部屋も山積みにしていてかなり余裕がなくなってきたので、これでいいのかもしれません。
 もっとも通勤時間に読む文庫新書はどんどん増えていますが(苦笑)。一冊ではせいぜいもって一日(往復)なので、特別分厚いのでも数日なので、毎日新しい本を買って読む訳にはいきませんから、昔読んだ本も読み返してはいます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

関ヶ原合戦の真実

 衆議院選挙の投票が終わりましたね。午前中いったら長い行列が出来ていて、投票率は低いといったのは誰だよと思いました。予定があったので一度やめて、夕方いったら今度はがらがら。張り出された投票率を見ると確かに低かったので、午前中の行列はなんだったんでしょうね?開票が終わるのは、私が寝た後でしょうし、今日は触れません。

 さて、白峰旬著、「新解釈 関ヶ原合戦の真実」、宮帯出版社の感想です。

 個人的な経験で言えば、「xxの真実」というタイトルの本はあまり良いものがないのですが・・・・今回は、「微妙」です。問題提起としては良いと思いますが「真実」というほどの内容かと言えば、そうは思えません。

 まず、一般に言われていること(通説)が一次資料に裏付けられていない、後世の創作が多い、という問題提起は多いに価値があります。桶狭間の戦いや長篠の合戦などでも同様に批判は多くされていますが、そういわれると関ヶ原の合戦ではそれほど見かけません(私は読んでいません)。その結果、私も漠然と史実(細かい部分は別にして)と思い込んでいた出来事がそうであるという証拠がないことばかりだということを認識したので、それだけでこの本の価値はあります。
 ただ、個々の記述や著者の姿勢には疑問も覚えます。

 第一章で、遠戦主義は間違い、と主張していますが、これはあまりにも無理があります。死傷原因の分析から白兵戦は少なく、ほとんどは弓鉄砲(礫)によるものだったとする鈴木眞哉氏の説は誤りだ、ということが一次資料の分析からわかったとしていますが二つの点で大きな問題があります。
 まず、「一次資料」とされているものは、関ヶ原の合戦から相応の時間が経過してかかれた書状です。いつ書かれたかは不明で、状況から1601年から16年の間であろうと推定されています。49ページに元々、井伊直考、坪内家定、安藤直次、成瀬正成らが関ヶ原の合戦の話をしていて、生駒利豊の活躍に話題が及んで、当人が過去話をしていなかったので坪内家定の息子定次が問い合わせたことに対する返事の書状です。この背景が正しいかどうかわかりませんが(ここでは根拠は明記されていない。元々この話は生駒家戦国資料集によっている)、正しいとしたら、1590年生まれの直考が加わっていることから、1601年はさすがに早すぎるように思えます。1605年以降ではないでしょうか?問い合わせた坪内定次はウイキの記述が正しいなら(すみません、私はこの人物を全く知りません)、1596年生まれですから、多分、1610年かそこらでしょう。いずれにしても、関ヶ原の戦い直後ではなく、少なくとも数年から10年程度経過してから書かれたものです。
 第二次世界大戦中の戦記物などでもわかるように当事者の証言は貴重ですが、必ずしも正しいとは限りません。部分的に忘れていたり、記憶違い、勘違いなどがしばしば含まれます。また、まれに意図的に事実と異なる証言をすることもあります。証言者の生駒利豊が直後に日記を詳しくつけていれば、記憶違いの可能性は減りますが、そうかどうかはわかりません。
 書状はかなり詳しいものですが、これが当人が記録を付けていてそれを元に書いたのか、記憶を頼りに書いたのか、軍記物であるように誇張して書いたのかは、もはや誰にもわかりません。直後の書状なら相応の信ぴょう性はありますが、時間が経過するほど薄れています。
 この書状が一次資料として価値がないといっている訳ではありません。ただ、「明白な証拠」というのは時間が経過しすぎているのではないかと思います。

 それはそれとして内容についてですが、確かにそこには激しい白兵戦が繰り広げられていたことが書かれています。まず、鉄砲の撃ち合いがあり、その後、生駒利豊らが敵から100m前後の距離で馬から降りて、待機。敵が後退を始めたように見えたので再び騎乗して突撃して、白兵戦になったことが書かれています。
 これだけから、白兵戦が中心だったと断じるのは行き過ぎでしょう。鉄砲で敵を殺傷したという記録は無いとしていますが、確かに書状には書かれていません。が、書いた生駒利豊は鉄砲を撃っていた訳ではなく、鉄砲の撃ち合いの後、突撃したのですから、記述は主に突撃した後の白兵戦になるのは当然ですし、書いていない=無い、ではないでしょう。自分の手柄ではないから、特に記述しなかったということもあります。だから、わかるのは白兵戦の様子に過ぎません。もし、鉄砲では雑兵が少し倒れただけだったとでも書いていればまだ話は違いますが、鉄砲の戦果・効果については何もふれていませんし、鉄砲の撃ち合いがどれだけ続いたかも書かれていません。
 遠戦主義の否定だけではなく、鉄砲、弓矢、長鑓、白兵戦、追撃戦が戦国後期の典型的な合戦というのも誤りだとしています。関ヶ原の合戦の頃は、長槍や弓矢はすたれて、鉄砲が主になっていてもおかしくはないでしょう。それは、「戦国後期の典型的な合戦」の否定にはならないと思います。「戦国末期」ですし、恐らく、豊臣系(徳川も含む)の軍勢は朝鮮出兵の頃から、鉄砲を主体になって、長鑓や弓矢は減っていたと思います。
 反撃は受けていますが、書状に書かれている白兵戦は基本的には追撃戦でしょう。理由はどうであれ敵は後退を開始していますから。それがこの局面での鉄砲の撃ち合いの結果なのか、それとも他の味方が崩れたので引いたのかはわかりません。著者は石田三成方は短時間で敗走したと主張していますから、それが正しいなら後者の可能性が高いと思います。
 細川忠降勢の首注文について記述している中で、鉄砲衆が首を三つとっているとありすが、これも敵が崩れたからでしょう。鉄砲の撃ち合い中に倒した首を取りに行くことはないでしょう。基本的に鉄砲衆が首をとることはないと思いますが、その鉄砲衆が首を三つとっているというのは、鉄砲衆の戦果が少ないのではなく、一方的な戦いになったことを示すのではないでしょうか?
 ついでに言えば、この首注文のグループが所属不明というグループ含めて12あるから備えが12あったというのも乱暴でしょうし、その順番通りに並んでいたというのもまた乱暴でしょうね。

 もう一つは、書状とその解釈が全て正しいとしても、それは「関ヶ原の戦い」のある局面についてのみ言えることです。「関ヶ原の戦い」のある局面で鉄砲の撃ち合いの後白兵戦が行われたことはわかりますが、「関ヶ原の戦い」全体が同様の展開であったかどうかはわかりません。全体的に見て鉄砲でどれだけ死傷者がでたのかはわかりません。長鑓や弓矢が他の局面で使われていなかったどうかはわかりません。このある局所戦一つを持って、「遠戦主義は間違い」、「鉄砲、弓矢、長鑓、白兵戦、追撃戦が戦国後期の典型的な合戦というのも誤り」ということは証明出来ません。

 もろもろの軍記物の批判はまだしも、布陣図の細かい批判は必要だったのでしょうか?それらは元々信ぴょう性が低いものです。「日本戦史」の批判そのものは良いでしょう。これは他にもいろいろな問題が指摘されています。ただ、「日本戦史」は正しい歴史を追及して作成されたものではなく、陸軍の教育用なのではないでしょうか?乱暴に言えば、そこに書かれている戦史が史実ではなくても良いと思います。こういう戦いがあり、こういう決断をしてこういう展開になったというストーリーが必要なのであり、それがそれだけ正しいかどうかはあまり重要視されていないと思います。もちろん、陸軍が作ったせいで、それを正しいと検証なく受け取る人が多いという批判はまったくその通りです。それと布陣図と記述の整合性がとれないと思われる部分があるのは、問題ではありますが。まあ、布陣図は合戦開始前でその後、松平・井伊が移動したと考えることも出来ますが。

 小早川秀秋の裏切り時期、経緯、小山評定の否定については、私もこれまで深く考えることなく、概ねそういう経緯だったと考えていたので、それらの指摘は意義深いと思います。それだけでも本書の価値はあります。ただ、小山評定の否定そのものは良いのですが、では、どういう経緯だったかの説明はその理由と共に不十分に思えます。存在した証拠はないというのはその通りですし、存在しないことの証明は非常に難しいのですが・・・。根拠が見つからないことはわからないとするのは正しいとは思いますし、まあ、これは過大な要求かな。とはいえ、どこかで軍議は行われているとは思います。それが小山かどうかは別にして。行軍中に伝令を使って集めたのなら書状が残りません。

 関ヶ原の合戦に参加した「東軍」の兵数については、福島家の文章を提示して、「日本戦史」の数字と比較しています。これがどれだけ信頼できるかはわかりませんが、従来と違う見方を示したのは意義があると思います。しかし、黒田勢などの一組とはどういう意味なんでしょうね。一組いるなら、最低もう一組どこかにいるんじゃないかと思えますが。ところで、百石につき3人役の根拠として島津義弘の書状を根拠にしていますが、一律にそうだったかはわからないですね。東国は3人でも遠方の西国は2人や1人ということもあるとは思いますし、著者は黒田らは少なかったと主張しているのですから、もう少し何か根拠を見つけてほしかったと思います(これは無理な注文か)。 
 まあともかく、従来「日本戦史」の数字をもとに5千を超えると言われていた黒田勢が千数百に過ぎなかった可能性がある(可能性が高い)というのは、九州での黒田勢の戦力が金で集めたとされているにせよ、一万近かったとされること、名のある重臣が結構中津に残っていたこと、を踏まえると細かい数字は別にして、五千よりも少なかったというのは納得出来ます。上杉討伐に黒田家が全力出撃したとは思えません。その段階では天下分け目の戦いになるとは思っていなかったでしょう。家康が三成らに蜂起させるために上杉討伐を行ったというのは、考えすぎ(それこそ神君家康公はなんでもお見通しだせ!になってしまう)でしょう。ある程度のリスクは考えたかもしれませんが。出兵した各勢力もあくまで豊臣体制の中での上杉討伐にいったという認識だったでしょう。東海道から尾張に所領のある諸将は復路(関ヶ原へ行く途中)に追加動員している可能性はあるとは思いますが、九州勢などは「おつきあい」程度だったとしても不思議ないと思います。長政が家康から今度の上杉討伐は実際は三成をおびき出して天下分け目の決戦を行うつもりだと事前に言われていれば、総動員していったかもしれませんけれど。
 有力家臣の過半が中津に残っていたのは、天下分け目の決戦になることを孝高が予想して、主力を温存しておいたのだ・・・というのは今度は孝高の過大評価でしょうね。西国勢は百国につき1人役だったと解釈するのが自然な気がします。で、比較的若手中心に編成したと。まあ、長政系家臣中心で東国へいき、孝高系は中津に残ったということなのでしょう。

 「終章 すりかえられた天下取りの戦い」は「真実」というほど目新しいものは少ないですね。ただ、「軍事指揮権の喪失」というのはそれほど大きなことでしょうか?大義名分の有無というのはあるにせよ、それそのものは行動を制約するものにはならないでしょう。動きが取れなくなったというのはその通りでしょうが、それは「軍事指揮権の喪失」が原因ではなく、敵・味方の動きによるものでしょう。まあ、「軍事指揮権の喪失」により一応味方のつもりの豊臣系大名が本当に味方してくれるかわからなくなったというのはあるでしょうが。

 良くあることですが、どうも資料を自分の都合よく解釈している部分があるという印象を受けます。他の著作の引用も都合が良いのはそのまま批判なく引用し、都合が悪いのは批判しているという印象を受けます。そういう印象を持つと自分が評価を判断出来る記述(相応の知識があるため)はともかくそうでない(知識が不足して判断出来ない)記述についてはそのまま信用出来ません。素晴らしい指摘、記述もあるのですけれど、気になる部分も多い本です。なんとなく、通説を覆した他の人への「嫉妬心」を抱いているように感じてしまうのは気のせいでしょうか? また、「真実」というには通説は間違っているという指摘は多いものの、真実を解き明かしたとまでは言えない部分も多いです。
 とはいえ、目から鱗、な指摘は多いです。漠然と史実だと受け止めていたことのほとんどの明確な根拠がないというのは、ある意味衝撃的です。関ヶ原の合戦だけ何故無批判に受け入れていたのだろうと読後は不思議に思えるようになった位です。そして、このような新しい研究が今後も続くきっかけにはなったと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

創価学会と平和主義

 佐藤優著、「創価学会と平和主義」朝日新書の感想です。明日は選挙ですが、それとはほとんど関係ありません。
 公明党の主張により歯止めがかけられて、事実上、集団的自衛権は行使出来なくなった(条件が厳しい)という主張は読めばその通りだと思います。まあ、それは例えば軍事研究などでも指摘されています。というか、安倍総理が出した事例がそもそも集団的自衛権の例としては間違っているということですけれど。まあ、安倍総理は現実に出来る出来ないは別にして、集団的自衛権を行使出来るとした「もの」が出来たことで満足しているのでしょう。言い換えると本気でやりたいのではなく、そういう形を作りたかっただけではないかと思えます。今回の閣議決定通りに運用するのであれば、以前行った実績のある掃海すら出来なくなりますから(苦笑)。

 それはそれとして、著者は創価学会=公明党の平和主義は本物であり、それは宗教的信念に基づいているとしています。そして、公明党、創価学会に偏見を持たず、客観的に見るべきだとしています。著者はこの本でも述べているようにキリスト教徒であり、宗教的な立場は違いますが、信念を持ったある宗教の信者という点で共感を感じています。この部分は私には理解出来ないというか、考え方が180度違います。
 私はアンチキリスト教です。というか、アンチ宗教と言っても良いかもしれません。ほとんどの宗教に違和感や反感を持っています。ただし、無神論者という訳でもありません。まあ、自分独自の宗教を信じているから、他の宗教を信じられない、と思っていただければ良いと思います。明確な特定の宗教の信者という訳ではありませんが。神社にはあまり抵抗はありません。これは宗教というよりも文化・民俗だと考えているからです。ただし、その中でも宗教臭さがあるものもありますね。それは他の宗教と同じく駄目です。仏教も葬式だ法事だと行きますけれど、仏教を信じるという気持ちはありません。
 なので、創価学会が本物の宗教であれば、それだけ反感も強くなります。これが教祖自身はまったく信じていなくて金儲けのために作った所謂新興宗教であれば、気にしません。それが良いという訳ではありませんが、詐欺師の一種なので、そういう対処をすれば良いです。しかし、本物の宗教だとそれこそ殺されても考えを変えません。こういう人は怖いです。方向性が間違っていたら(世間から見て)、とんでもないことをしでかします。
 政教分離だ、信教の自由だといっても、特定宗教にもとづく政党が仮に一党で政権をとったらどうなるでしょう?本当にその時にも「政教分離」でいられるでしょうか?なので、世界に例があろうとなかろうと私は特定宗教と結びつく政党には反対です。
 ただし、著者がいうように公明党は堂々と創価学会の政党だというべきということには(理由は違いますが)賛成です。そしてその方がまだすっきりしますし、反感も低減されます。だから、共産党も共産主義革命を目指すと明確に主張すべきでしょう。共産主義も一種の宗教ですからね。社民党?あそこは伝統芸能だからどうでもいいです(笑)。

 しかし、公明党恐るべし、です。安倍総理の夢を骨抜きにしてしまったのですから。増税反対解散は公明党の主張によるものではないでしょうけれど。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

文明崩壊 

 草思社文庫、ジャレド・ダイアモンド著、楡井浩一訳、「文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの」上下巻の感想です。「銃・病原菌・鉄」の続編とも言っても良いものでしょう。
 前作は、一部滅ぼされた文明の話もありましたが、基本的には、いかに発展したかを記述していましたが、今回は、過去に崩壊した文明はいかに崩壊したのかを説明しています。
 これも要約は簡単で、環境と判断により決まった、と言えます。環境は広義の環境と狭義の環境に分けられます。狭義には気候風土(寒い、温かい、雨が多い、少ない)という意味の環境を意味すると思います。広義の環境には他の地域との関係や外敵の圧力・脅威も含まれると思います。
 何故、文明が崩壊したのか?理由は簡単です。脆弱な環境で環境破壊を起こし、食料が不足して、存続出来なくなった、と著者は説明しています。これらの崩壊した文明は、近代科学文明ではないので、環境破壊といっても毒性のある化学物質や排気ガスなどによる「公害」ではありません。環境破壊は、森林を伐採し尽くしたり、陸棲動物・海棲生物を捕り尽くしたり、農地が侵食されたり、地力が低下して生産性が失われたり、水が不足したり、汚染されたりすることを意味します。
 その地域だけでは、人が生きていくのに必要な物資が全て調達出来ない場合には、近隣地域との交易により入手する必要がありますが、近隣地域も危機に見舞われ、交易する余裕がなくなったことにより、必要な物資が調達出来なくなるということもしばしばおきています。
 しかし、環境破壊及び元々劣悪な環境だったことが主因です。気温の変化、降水量の変化が生じた際にそれまでなんとか成立していたものが一気に崩壊したことも多いとしています。そして、環境破壊に対して、正しい対応行った場合には、存続し、行わなかった場合には滅亡したとしています。前作同様人種による優劣ではないとはしていますが、文化・伝統などその地域固有の考えが、結果として滅亡を助長していることはあるとしています。
 例えば、中世にグリーンランドに植民したノルウェー人はイヌイットを蔑視し、交易したり、イヌイットの技術を取り入れなかったため、最終的に滅亡しています。しかし、イヌイットはその後も生き残っています。これは、ノルウェー人はヨーロッパ人でキリスト教徒だから、イヌイットみたいな蛮族と交易したり、ましてやそれから学ぶなどということは出来なかったとしています。
 環境保護は人間が生きていく上で必要だとも強調しています。環境保護を重視する・実施する企業もあるとしています。これは企業の利益にかなうとしています。つまり、環境破壊がおきて、その莫大な復旧費用を企業に求められること考えれば、最初から対策した方が安いですし、先進国の消費者には環境保護に熱心な方が印象は良くなります。そういう理由で環境保護が企業の利益と合致するのです。
 もちろん、そうでない企業もあります。人間も企業もそうですが、長期的に見れば、環境保護が自分の利益に合致すると考えますが、短期的にしか見ないと環境保護は必要ない、余計なことと思えてしまいます。自分の生活だけ考えれば、自分が生きている間だけ考えれば、気にすることはないじゃないかと思えますが、自分の子供たちの世代を考えると必要だと思うようになるとしています。まあ、確かにそれはいえますね。
 だから、環境保護至上主義ではなく、それが自分の利益にかなうということを理解させることが重要であり、効果的だと考えられます。

| | コメント (2) | トラックバック (0)