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10/4/19’:桶狭間の戦い 新迂回奇襲説:その1:今川は撤退しようとしていた?

 学研の雑誌、歴史群像 2019年10月号の50pからの、かぎや散人著「新解釈 桶狭間の戦い 信長は本当に「正面攻撃」で勝利したのか」の感想と対論です。

 著者は近年主流になりつつある正面攻撃性に対して疑問を呈し、従来とは異なる迂回奇襲説を唱えています。先に結論から言えば、興味深いものの、著者の考えには無理があると考えます。

 著者は信長公記の首巻写本の内、もっとも古いと思われるのが天理本であり、その記述は記述が他と異なる部分があり、甫庵信長記と似通った記載があるとし、甫庵信長記の史料価値を従来よりも認める立場です。確かに天理本の首巻の元は古いものであった可能性はありますが、天理本そのものが甫庵信長記の影響を受けている恐れもあるようで、個人的には素直に同意出来ません。一般的に言って、同じ系統の本で古い方が記事が多いというのは考えにくいでしょう。あるとしたら差し障りがあって後で削除された場合位ですが、今回はそれは当てはまりそうに思えません。甫庵信長記が出てから写本され、その影響を受けて付け加えられた可能性があると思います。

 また、今川側からみた記録として、三河物語を評価しています。私は信長公記と比べると当然ながら信頼性はかなり落ちると考えます。ただ、三河物語を書いた際に参照した今は失われた記録や経験者から聞いた話など、他の史料に残っていない事実はあるかもしれません。ですので、否定はしませんが、三河物語だけを根拠とするのは危険だと思います。

 さて、著者は当時の地形、街道を推定し、それにもとづいて記述しています。これはとても大事なことで、現在の地形で判断すると間違えることは多いにあります。ただし、著者の推定が正しいかどうかは、私の知識ではわかりません。この部分は概ね信じられそう、と思えるので、そのまま受取ります。

 著者の主張を簡単にまとめると。義元本隊も18日に大高城に入り、翌朝、鷲津砦と丸根砦を夜明けに攻めた際には中島砦からでてくる織田に備えるにために諏訪山か漆山に布陣していただろうとしています。しかし、織田は出てこなかったので、作戦終了し、帰還中に悪天候に乗じた信長の奇襲を受けたとしています。

 最後の戦闘が行われた場所の推定にはそれなりに説得力はあるのですが、それまでの経緯はかなり無理があると思います。
 
 天理本の記述を今川が撤退しつつあった根拠にあげているのですが、余り明確な根拠になっていません。攻撃前の信長の演説中、「引」を天理本は「引け」とおくっていないから、これは「ひく(退く)」と読むべきだと主張しています。一般的にはここは「かからばひけ、しりぞかば引付」としているが、突撃しようとしているのに敵が掛かってきたら退くことはありえないとしていましが、敵が優勢であることを考えれば、正面から受け止めず、一度引けということはあり得なくはないでしょう。また、この解釈が主張通り、攻めれば相手は退くはずだから、退いたら追撃せよ、という意味だったとしても、それは今川が撤退中ということを意味しません。相手は疲れているので、攻撃を受ければ、戦術的撤退をするはずという解釈でもおかしくないです。
 三河物語の記述にも撤退中と解釈できるとしていますが、これにしても、信長の攻撃後の記述と解釈することは出来ませんか?それに「徒の者は早五人三人づつ玉へ上がるのを見て、我先にと退く」の徒の者を敵と見ていますが、敵と断言出来ません。一時的に山の上へ移動中、または一時的に山から下りて前方へいっていた者が山の上の原隊へ戻ろうとしているだけとも思えます。いずれにしても駿河へ撤退中とは解釈出来ません。
 そもそも、織田側が今川は退却中と認識しているのなら、明確に敵は退いているというのではないですか?「かかればひく」というだけでは明確にそういったとは言えないでしょう。

 迂回奇襲の根拠も、義元らはこの辺にいたはず、それを攻撃したのだから、迂回だといっている訳ですが、そもそも義元がそこにいたという証拠や傍証すらなく、自分でAと推定し、だからBだと結論付けているに過ぎません。ただ、状況から考えて、著者が推定した場所に義元はいてもおかしくはないので、結果的には正しいかもしれません。しかし、明確な根拠はありません。

 また、撤退中に前衛(撤退中なので後衛になっていますが)が佐々らの攻撃を一蹴したのをみて義元がゆったりと謡をうたい、陣をはって腰を落ち着かせますか?繰引しているというのが著者の主張ですよね?むしろ、じっくりこれから攻撃しようとしているようにしか思えません。

 大高城は織田方の砦(付け城)に囲まれ、孤立したため、兵糧が不足していたと理解されます。そのため、今川軍は救援に出動したのですから(今頃、上洛説を唱える人はいないですよね?)。18日兵糧の運び込みには成功したと考えられる訳ですが、その段階で少なくとも鷲津砦と丸根砦は健在です。相対的大兵力で大高城へ入ることは出来たと思われますが、包囲されていることには変わりありません。ですから、翌朝、鷲津砦と丸根砦を攻めて排除したのですから。そういう最前線の城に大将たる義元が入るでしょうか?何かあれば孤立します。そんなリスクを犯す必要があるでしょうか?それに著者は最前線の城である沓掛城に義元本隊だけがいたら 善照寺砦から指呼の間にあって危険であると主張しています。沓掛城は最前線かもしれませんが、包囲はされていません。沓掛城が危険なら大高城はもっと危険ではありませんか?

 もう一つは大高城の規模です。現地に行ったことはありませんが、得られる情報からするとそれほど大規模な城には見えません。今川軍の兵力は正確にはわかりません。2万だ4万だというのはありえないとしても、当時でも織田が劣勢だったと考えられているようですが、1万位はいたでしょう。著者の言う通りに大高城に義元本隊が入ったと仮定します。2千と推定される(これは概ねこの程度と考えて良さそうです)信長本隊よりは多いはずですから、義元本隊は少なく見ても3千、いや4千はいるでしょう(五割り増し程度では圧倒的優勢とはいえないので)。松平隊と朝比奈隊は砦を強襲して比較的短時間で陥落させていますから、それぞれ千程度はいたでしょう。兵糧の輸送部隊や元々いた守備隊なども含まれば、大高城に入った兵力は少なく見ても、6千を優に越えるとと思います。果たしてそれだけの兵力を当時の大高城は収容出来るでしょうか?近隣に在住している著者にはこの点現地調査して欲しかったです。調査した上で収容可能問題なしと書いてくれれば説得力がまします。もちろん、全員を収容できなくて近隣で野営することはありえるでしょうが、沓掛城ならまだしも、包囲下の大高城では危険でしょう。

 また、著者は、鷲津砦と丸根砦を攻撃している間に、中島砦から織田が後詰に出てくることに備える必要があり、そのために義元本隊は諏訪山か漆山に布陣したとしています。夜明け(0438だったとしています)に攻めるので、後詰めに備えるなら義元本隊は2時には大高城をでないといけないのでほとんど仮眠しただけで出陣したはずとしています。なので、信長が出撃する際に敵は数は多いが疲れている、自分らは新手だといったのは誤認でも士気を鼓舞するためでもなく、正しい認識だとしています。しかし、本当にそんなことがありえるでしょうか?砦の兵力と比べれば大兵力とはいえ、夜間行軍です。それこそ奇襲を受ければ危険です。それを義元本隊がやるでしょうか?戦術上の必要性は認めますが、だったら、だれか配下の武将に千か2千程度の兵力を持たせていかせれば良いだけではありませんが?著者自身、18日に沓掛城にいたとすると、鷲津まで11kmだから3時間かかるので、夜明けにせめるなら午前一時半でて危険な夜間行軍をしないといけないと書いているではありませんか(大高城からとの時間差が30分しかないのも謎ですが)?

 更に鷲津砦と丸根砦を攻撃したのは今後海上から補給出来るようにするためとしていますが・・・p54の地図を見ると両砦は大高川の反対側です。海上からの補給の妨害はありえますが、基本的には陸路を封鎖するためのものでは?丸根砦は大高道、鷲津砦は丸内古道を封鎖するためのものでは?

 正確な数は別にしてかなりの兵力を動員したにもかかわらず、大高城へ兵糧を運び込み、二つの砦を排除し、海上交通路を確保しただけで、作戦終了して帰還するでしょうか?しかも、義元本隊が殿軍になったと著者は主張しています。部下のために2時に出発し、最前線へ夜間行軍し、帰還する時には殿軍?どれだけ義元は部下思いの良い人なんでしょう(笑)。後、鳴海城にいた岡部元信はどれだけ義元に嫌われていたんでしょうか(苦笑)。鳴海城は海路補給・交代要員の派遣が可能だったのかもしれませんが、それにしても、鳴海城の付け城を排除せずに帰還しますか?私が岡部元信だったら、切れて、織田方につきますよ(苦笑)。

 織田が篭城するが迎え撃つかの議論をしていた訳ですが、今川は最初から清洲などまで攻め込むつもりはなかったかもしれません。しかし、大高城までいって、鳴海城には何もしないで帰るのはさすがにありえないでしょう。

 今川が撤退していた、というのは、無理がありすぎると思います。

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