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最近読んだ本

中央公論新書、蔀 勇造著「物語 アラビアの歴史」
 悪くないと思います。が、私にとって馴染みの薄い固有名詞ばかり出てくるので読むのにとても時間がかかってしまいました。これは読み手の問題です(苦笑)。一つだけきになったのは「に違いない」という言い方が結構多いこと。個人的にはこの表現は避けて欲しいです。歴史系ではよく見かける表現ではありますが。
 碑文などが残されているおかげで紀元前の歴史がある程度分かるのですが、もし、日本にもずっと以前から文字があり、碑文を残す習性があったならば、と思います。そうすれば、縄文時代はともかく、弥生時代の歴史が遺物・遺跡以外からも分かったのですが・・・・。実際には古墳時代ですら碑文を残していないのでどうしようもないですが・・・。
 
 オマーンがアフリカの一部を支配していた時代があるとは知りませんでした。それからイスラム教の勃興・・・いやあ、実に世俗的。昔の人は純粋だった・・・・のではなく、後世の人の方が純粋と言えますね。まあ、それが原理主義を呼ぶのですけれど。

 同じ名前が多いですね。ムハンマドさん何人にいるの?同時代に複数のハリードさんとかアリーさんがいたりとか。(^^;主要勢力だけでも良いので系図をつけてくれると助かりますが・・・。

 日本では余り一般的に知名度は高くない場所、時代ですが、当然ながら色々な勢力の興亡があったんですね。読むのにはやや苦労しますが、お勧め出来ます。


光人社NF文庫 大内健二著「ドイツ本土戦略爆撃 都市は全て壊滅状態となった」
 コンパクトにまとまった良い本だと思います。一番面白かったのは英米爆撃機の未帰還率です。

 328ページに英軍の数字は以下のように記載されています。

双発小型ふくめて平均2.7%
 スターリング 5.5%
 ハリファックス 3.1%
 ランカスター 2.5%
と三本柱でスターリングがやはりというか突出して高いですね。

 330ページに米軍の数字は以下のように記載されています。
 平均1.4%
  B17 1.4%
  B24 1.3%
米軍はこの二機種だけです。どちらもほぼ同じですね。

 初期を除けば夜間爆撃に徹した英軍の方が昼間爆撃を行った米軍よりも遙かに未帰還率が高いです。これは米軍の方が先に護衛戦闘機を得られたというのがあるようです。勿論、爆撃機そのもの性能、火力、防御力の違いもありますが。

 一番面白いのは324ページの表です。これはドイツ本土爆撃、日本本土爆撃、朝鮮戦争での北朝鮮本土爆撃の比較なのですが、未帰還率は

 ドイツ本土爆撃:2.0%
 日本本土爆撃:1.4%
 朝鮮戦争0.16%

です。ドイツ本土爆撃は英軍と米軍の合計です。米軍だけだと前述の通り1.4%です・・・・あれ?日本本土爆撃と同じです。イメージ的にはドイツの激しい迎撃(対空砲火含む)により大量の損失を出したのに対し、日本はB29に対抗し得なかった、なんですが、未帰還率だけ見れば同じです。面白いです。これは日本本土爆撃は期間が短く、当初は護衛戦闘機もなく、比較的低高度で行ったので損害が多かったからであり、もし、戦争が長引いていたらこの数値はどんどん低下していったでしょう。また、距離が無かったので途中で不時着した機も多かったかもしれません。が、ともかく、数字上は、ドイツと日本、どちらでも同じです。いや、面白いです。少なくとも、日本側が無敵B29と思った程、米軍も楽はしていないとは言えるでしょう。いかにB29といえども護衛戦闘機無しでは被害を受ける、ということですね。

 もう一つ。米軍は防御火力が強力だったこともあり、「過大に報告された戦果を途中までそのまま受け取っていたようですね。途中から1/3にしたようですが、それでもまだかなり過大。英軍からそんなわけねえーよと疑いの目で見られていたようです。密集しているので1機撃墜しても複数の爆撃機が撃墜を報告するからなんでしょうが。まあ、この戦果の過大報告はいつどこでもある話ですね。その例として、1943年10月14日の第二次シュヴァインフェルト爆撃が記載されています。この戦いでは米爆撃機291機が出撃し、合計312機に迎撃され、82機未帰還、64機損傷により廃棄という大損害を受けています。それに対して297機の撃墜を報告しており、事実なら迎撃にでたドイツ機ほぼ全てを撃墜したことになってしまいます。この戦果は1/3にされて99機とされたのですが、実際に失われたドイツ機は35機でした。約9倍にふくれあがっています。なかなか酷いですね。ただ、自らよりも多い数に迎撃されて、9機に1機(約11%)を撃墜した(不時着なども含んでいるでしょうが)のは、さすが米爆撃機の防御火力は高いと思いました。爆撃側の未帰還率も約28%は恐ろしく高いですが、迎撃側の約11%もかなり高いです。こんな戦いを続けていたら迎撃側は戦力をあっというまにすり減らします。確かに戦果の報告は恐ろしく過大ではありましたが、迎撃したドイツ機も激しい防御火力に苦戦したとは言えるでしょう。

扶桑社新書 伊藤雅文著「『日本書紀』だけが教えるヤマト王権のはじまり」
 書評を見て買って見たのですが・・・・途中で読むのに耐えられなくなりました。日本書紀の無業積年を省けば本当の年が分かるというのが著者の主張です。それに従うと初代天皇(当時は大王)は301年に即位したことになるとのこと。この仮説は面白いのですが・・・その実証が・・ほぼ全てこじつけ(苦笑)。都合が悪い部分は改竄だ、誤記だと主張して、自分の仮説に合うことだけ採用しています。もうちょっと私はこういう本には耐えられません。ほとんどが合致していて一部だけ合わない点について仮説を立てて、これが正しければ合うというなら分かりますが、ほとんどが合致していなくて、自説に合わせるためにほとんど仮説ばかりというのは(苦笑)。

 細かい突っ込みをする気はないですが、大まかに以下だけ述べます。一言で言えば、今日の視点で見すぎ、です。

・倭の五王
 朝貢した事実を隠したかったとありますが、そもそも、当時、その「倭の五王が朝貢した」したという中国側の記録は日本で知られていたのでしょうか?知られていたとして、それは屈辱的なことなんでしょうか?日本書紀は日本が唐と台頭の立場だと宣言するためうんうんといってますが、それは何故そう分かるのでしょう?それはあなたがそう思いたいだけでは?それなのに五王のうち二人を日本書紀で即位していない人物に比定する理由は?そうまでしても、中国側の記録と間らが一致しないのですが??
 
・卑弥呼
 日本書紀が書かれた時点で、卑弥呼はどれだけ知られていたのでしょうか?魏志倭人伝は日本でもう十分知られていたのでしょうか?神功皇后を卑弥呼を連想させる人物にしたてあげたとありますが、そんなことをするほど、当時の人は「卑弥呼」を知っていたのでしょうか?今日、卑弥呼は有名で、特別歴史に興味がない人でもその名前は知ってます。ですが、今ほど情報伝達手段もなく、書籍も普及していなかった時代に、著者の主張(別著)では熊本にいた卑弥呼を畿内の人がどれだけ知っていたでしょう?

 
・無業績年を挿入する基準は?
 古く見せかけるために無業績年を挿入したとしてもその基準につうてまったく述べられていません。むしろ暦にあわせるために挿入したと考える方がまだましです。

 最後に、仁徳天皇陵は、考古学的に仁徳天皇の陵墓だと確定しているのでしょうか?「伝仁徳天皇陵」だと思っていました。

 扶桑社という段階で躊躇したのですが、やっぱり駄目でした。もう少しぱらぱら読んでから買えば良かった(苦笑)

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