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戦ノ国 もののふ絵巻 :感想編

 長くなったので分割しました。昨日書き込みつもりがちょっとやりそこなったので珍しく今日は2件書き込みます。

最初のプレイ結果
 最初に述べたように島津を選んで、天下統一までいけました。シナリオは基本の「戦国大名への道 「御旗盾無、御照覧あれ!」」です。薩摩、大隅、日向を占領してから大友と対決。時々攻められてその都度撃退したものの、こちらから侵攻も出来ず、何もやれる時間だけ経過してやる気が失せて放置してしまったのですが、再開して少しやったら兵が増えていて、肥後へ侵攻出来そうなったのでやってみたら、結果的には占領できました。一度では無理でしたが。侵攻した後に大友の番になると増援が送り込まれます。そこで、ゲーム的過ぎますが、肥後と同時に一武将だけで豊後へ侵攻したところ、増援が来なくなったので、勝利できました。豊後へ侵攻した武将は早々に撤退。まあ、一応、陽動作戦ということで(苦笑)。四カ国領有できると余裕が出来ていて、侵攻は資金の都合もあり、年に多くて二度ですが、少しずつ占領し、大友を倒し、龍造寺も倒し、入り込んできていた大内を追い返し、中国へ侵攻。
 それからは侵攻速度があがり、四国制圧し、中国も2/3はあっさり占領。毛利は降伏を受け入れて臣従させました。ただ、そこでまたしばらく行き詰りました。それが治安度の低下です。この段階で知行を持たせた武将もいましたが、過半は直轄地で俸禄の割合が高かったためと思われます。統治してもおいつかず、ようやく、知行、を思い当たり、直轄地を減らして譜代大名を増やしたところ、治安度が回復できました。また、山城周辺を領有していた六角と山陰の波多野と同盟を結びました。
 体制を立て直して、中国を制圧し、四国から淡路、紀伊半島へと侵攻。織田との激闘がしばらく続きました。一方向からの攻撃だとなかなか攻略できず、更に美濃の斎藤を攻めて占領し、尾張を攻略。次は武田との決戦・・・ここで六角が同盟を廃棄。武田との決戦を延期し、六角を攻めて滅ぼしました。
 そしていよいよ武田との決戦。北条、伊達とも同盟を結んで、信濃を攻めて、甲斐を攻めたところここに信玄がいて武田は・・・徳川家康が継いでしまいました(苦笑)。準備をして越中に家康を攻めて、降伏してきたのを受け入れたのですが、何故か滅んでしまい、他は同盟・臣従・敵対していない大名だけになったので1568年11月、覇者となって終了しました。
終わると年表が表示されます。その後、1593年に幕府を開いて、その後、下総の藤田(史実の毛利)家討伐失敗して維新。幕府のあった駿府がそのまま首都になった表示されました。が、しかし、島津は駿河を保有していません。北条の領土です。どういうことでしょうね(笑)。まあ、北条は国替えされたのかな?
 
V1.54での変更点
 前述の通りV1.54にアップデートしましたが、変更点は余りありません。

 まずは、新シナリオ「表裏比興の眼」追加とこれに伴い新武将の追加です。これは真田昌幸だけ選べます。

 海路が追加されました。例えば、従来、九州は豊前と長門の間だけでしかつながっていませんでしたが、豊後と伊予の間も移動可能になりました。ほかにもあったかもしれません。

 武威の平均値が下げられて、武威が高い武将の価値を高めたそうです。

 影響が大きいのは海路の追加ですね。豊後が守りにくくなりましたし、伊予も三カ国と移動可能になったので守りのは難しいです。

V1.54でのプレイ
 今度は土佐の長宗我部でやってみました。シナリオは2番目。「信長の打倒 「瀬田の唐橋に旗を立てよ!」」です。織田が既に大勢力なっています。このシナリオでは四国は長宗我部以外は武将が1人しかいません。ただし、讃岐と阿波は織田系なのでうかつに攻められません。まずは伊予です。いきなり侵攻。野戦の後、篭城されましたが、強襲して勝利!この後は治安度が低いのでひたすら統治。ずっと二カ国を守り続けました。
 そうこうしていたら宇喜多が讃岐を攻めて占領。宇喜多なら遠慮することはないので兵力も最大値になっていたことから讃岐侵攻し、確保。更に阿波も臣従武将で織田そのものではなかったのでえいやと侵攻。幸い、織田からは攻められませんでした。その後、島津と同盟を結び、九州の大友を牽制(ゲーム上は意味はないですが、気分の問題)。官位・官職を得つつ、ひたすら織田に同盟を申し込んで、1581年1月に無事成立。これで安心して四国の宇喜多を攻められるようになました。その頃、毛利は九州に攻め込み、大友はほろんでいました。毛利と衝突しないようにして、宇喜多を滅ぼしました。
 しばらくは兵力を蓄えていました。11月に突然、織田に臣従していた別所が独立。これ幸いと侵攻しました。しかし、途中で当主死亡し、黒田孝高が跡をついでしまい、手ごわくて苦戦。最終的には降伏して欲しかったのですが、死亡。あーあ・・・。
 それから戦力再編制。ああ、初回の教訓で知行を与えて直轄地は5カ国程度に抑えました。そして、満を持しても毛利攻めです。安芸における決戦で突撃を多用して毛利主力を撃破、その後も苦戦しつつ1584年12月に九州に残った最後の毛利領国を占領し、打倒しました。その過程で側面防御のため、龍造寺と伊東(日向)と同盟。また、元毛利譜代の立花が独立大名として大隅に残ったのですが、なんとなく攻めずに同盟を結び、その後、臣従させました。その段階で周囲は全て同盟国。やることが無くなったのですが、立花と伊東がお互い攻めあいます。また、三カ国を領してる龍造寺が毛利により肥前へ押し込まれた島津を攻めます(本領回復のため?)。このゲーム、同盟はあくまでその大名と大名の間だけの話なので、自国の同盟国同士が普通に争ってくれます。同じように前回の教訓により徳川と戦わなくていいように同盟を掬んでいたら、織田と徳川の同盟が破綻し、お互いに争いだしました(苦笑)。
 で、古い同盟国である島津を攻める龍造寺にむかついたので、臣従しろや攻撃(外交で)。そうしたら何故か、伊東が同盟を破棄してきたので一撃で滅ぼしました。なんでそんなことをしたんだか??で、龍造寺が予定通り?同盟を破棄してきたので、滅ぼしたのが1589年6月です。この段階で譜代大名含めて20カ国を領有し、臣従が1。
 織田との同盟を破棄し、徳川と東西から挟撃・・・も良いのですが、一応、自分のポリシーで同盟破棄はしないことにしているます。龍造寺の時みたいに相手から同盟破棄させるように追い込むことはありますが(笑)。
 このゲームには引退という選択肢があるので、試してみました。すると自分が史実の秀吉の立場になり、朝鮮出兵するも、1596年4月に死亡、その後は、織田でも徳川でもなく、北条の時代になり、村上元吉が史実の石田三成扱いされるも敗北。1604年に北条は会津に幕府を開きます。何故に会津?幕末、南部(史実の毛利)が倒幕の挙兵をして幕府は倒れましたとさと。会津はその後も日本の首都になったそうです。なお、北条は会津を領有していませんでした。まあ、会津に国替えになったということでしょうか?家康がそうだったので。

全体的な感想と改善案
 意欲的なシステムなのですが、うまく行っていない部分も多々あります。その感想を改善案です。

 まず、譜代大名という名前は別にして配下の武将に知行を与えるのは良いのですが、陪臣を自由に動かせるのはどうでしょう?譜代大名は一つの軍団として、一塊でしか動かせないようするのが良いと思います。また、譜代大名にするとその武将の兵力(俸禄)を制御出来ないため、野戦で有能な武将は譜代大名にせず、直臣のまま使い続けがちです。知力や武威が高くないと1人の武将に兵力を集めすぎると効率は悪いのですが、有能な武将の場合は違います。これを解消するためにも軍団制を導入し、1軍団武将10人まで、一人の武将の最大兵力を2000程度に抑えるべきではないでしょうか?1軍団の兵力は最大2万です。スタック制限は武将ではなく、3個軍団まで位で。1軍団は当主+直臣か、譜代大名+陪臣で構成されるとしますので、よほど大勢力にならない限り武将10人の軍団は登場しないでしょう。移動・侵攻は全て軍団単位です。初期には武将1人の軍団ということもあるでしょう。

 野戦時は1軍団につき前線が一つ=3武将でいかがでしょう。ただし、複数方面からの侵攻に優位性を持たせるため、防御側はかりに1武将でも支えられるとします。最悪1対9で戦う羽目になりますが。3武将未満になっても即突破ではありません。

 臣従があるのは良いのですが、同盟国と大差ありません。違いは臣従大名の領土を移動で通過できることだけです。戦闘時に応援要請が出来ますがそれも同盟国と同じ。まあ、費用は半額ですが。また、やってきても1武将だけです。軍団制を導入すれば臣従大名も軍団として移動・侵攻させられるとしましょう。ただし、譜代大名と異なり、家臣の異動などは出来ないことにします。例外として、臣従大名の家臣に知行を与えて「譜代大名」化出来るようにします。家臣を引き抜かれるのでこれをやると臣従大名の忠誠心が低下します。一定期間臣従し続けていた場合には、「譜代大名」化可能としましょう。失敗すると独立しますが。

 臣従、譜代に限らず、農繁期に領国から移動させると忠誠心は低下し、侵攻させると更に低下するようにします。しかし、知行を追加で与えれば回復はします。また、領国に戻せばある程度回復するとします。領国にいれば、低下はしませんし、侵攻する際の低下も減るとしましょう。なので、前線に新しい領国を与えるか、従来よりも多い領国を与えて順次国替えしていかないといけません。どうでしょう?

 野戦時に、士気と疲労は後方に下がれば回復することにします。疲労は武将の能力に関係なく、1フェイズ戦えば必ず2増えるようにします。交代して後方にいれば1フェイズあたり1回復します。疲労度は最大10としましょう。10に達した状態で戦闘を行えば敗走するとします。なのでいくら有能な武将でも連続5フェイズしか戦えません。士気は当初のシステム通り、武将の魅力に応じて回復するとします。

 攻城戦では、包囲だと疲労は3フェイズで1増えるとしましょう。なので、相手がいきなり篭城すれば20フェイズの包囲は可能です。その代わり強襲は1フェイズで3増えるとします。篭城する側は包囲されているだけなら疲労しないとします。なので、包囲側の疲労が下がった時に再度打って出ることも可能にします。ただし、強襲された場合には野戦と同様に1フェイズで2疲労します。
 包囲には城の規模により必要な武将数を定めます。もし、必要な数の武将がいないと包囲できません。強襲は可能です。武将の数に余りがあれば後方で疲労や士気の回復を可能とします。これは野戦の前線のような概念です。規模1なら1正面だけです。最低1武将、最大3武将配置出来ます。規模が3上がると1正面増えるとします。最大規模は12=4正面です。規模の大小は1正面の防御力も増えます。篭城する側も基本的には1正面に最低1武将配置しないと強襲をかけられた際に突破されてしまうとします。なので、大規模な城には相応の守備兵力が必要です。ただし、篭城側の選択として本丸に退却する、というのも設けましょう。これを実行すれば防御側は1武将で全ての正面を守れます。ただし、強襲された場合に全ての正面から同時に攻撃を受けます。
 そして十分な資金があれば複数ターンにまたがって包囲可能とします。疲労度10でも包囲は続けられるとします。当然ながらその状態で相手が打って出てくれば敗走しますが。
 複数ターン包囲可能にすることにより、後詰決戦が生じえます。包囲中に後詰がやってきた場合、選択は三つです。
1.包囲に必要な武将を残し、残りの武将で迎え撃つ=>1フェイズ当たり包囲の効果は持続します。
2.包囲を解いて、全力で迎え撃つ=>包囲されている城から打って出ることも可能です。
3.包囲を断念して撤退

 調略はこのゲームでは野戦や篭城戦での裏切りしかおきませんが、本来これは稀なものです。なので、戦略フェイズに「調略」を設けます。調略は実行させる武将を1人選んで行います。行えるのは直臣または譜代大名、臣従大名とします。

成功した場合に以下が選べるとします
1.即座に隣接する自国領へ移動
2.戦闘時の裏切りを約束
3.主君の暗殺を試みる(陪臣なら譜代・臣従大名、直臣なら当主)

成功率は1が一番高く、3が低いです。実行する武将の魅力と知力で成功率が変わるとします。

 官位・官職は、適切に官位は官位、官職は官職として、官位に見合った官職のみ求められるようにします。現状、求める官位・官職により費用は定まっていますが、目安は表示しても良いと思いますが、多くの費用を出せば成功率が高くなるようにしましょう。また、費用は膨らみますが、官位と官職を同時に求めることも出来るとしましょう。 

後はエリア1国ではなく、複数城にしたいところですが、今回はこのままとしておきます。それをやると城主システムの導入になって・・・・別ゲームになりますので(笑)。複雑な提案に思えるかもしれませんが、軍団制と戦闘だけならプレイする際にはたいした違いはありません。譜代・臣従大名の変更は忠誠心が下がりやすくなるので面倒でしょうが。
 
 慣れれば悪くないです。ただ、バージョンによる変更やら説明不足、初期に流動性が乏しく、何もしないまま時間が過ぎ去ることなどで、最初に挫折する人が多いのではないでしょうか?紙のマニュアルの改訂は難しいでしょうが、オンラインヘルプを設けてもらえればよいと思います。

 なお、武将の能力は、私の評価とは違うことも多いです。過大評価と思えるものもあれば、過小評価と思えることもあります。本多忠勝の武威10は過大でしょう。上杉謙信の武威10も不適切だと思います。一騎打ちの伝説はあるのせよ、強かったのは軍勢の大将として、でしょうから。秀吉の武威ももっと下げるべきでしょうね。

 もし、今からやってみようと思われた場合にはプレイする前に必ず導入先フォルダーにある変更点文書を読みましょう!

 今からこのゲームが更に改良されることはないでしょうが、このゲームを引継ぐ新作の登場を期待します。

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