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短評いくつか

 最近読んだ本の感想です。
 一ノ瀬俊也著 講談社現代新書「日本軍と日本兵 米軍報告書は語る」 

 面白い内容です。米軍側の評価ですから、これが100%正しいとは限りませんが、戦後日本人が持つ日本軍、日本軍兵士のイメージよりは真実に近いかもしれません。
 一般的なイメージと大きく異なるのは以下の点でしょう。
・火力戦ではなく、白兵戦重視=>白兵戦を嫌う、下手、弱い
・歩兵の主力火器は38式歩兵銃=>軽機関銃
・無謀な突撃、バンザイ突撃をすぐする=>穴にこもって戦う、バンザイ突撃は望みが亡くなった時だけ
・非合理=>戦争後半になるほど戦訓を取り入れて戦術を改善している
・敵の糧食を活用するのは日本軍=>米軍も末端では食糧が不足することがあり、日本軍の糧食を捕獲して活用

 最後のは私にとっても意外でした。むろん、前線で利用したことはあるでしょうが、糧食の調査してどれが食べられるかを通達していたとは思いませんでした。逆に日本側でそのような調査通達は行われていたのでしょうか??

 狙撃兵含めて射撃は下手としています。これもちょっと意外でした。どちらかと言えば、米軍が物量に任せて弾をばらまき、日本軍は弾薬量が限られずので狙って撃つというイメージなのですが、まあ、考えてみたら、撃ち方、狙うというのと実際の射撃の精度は別の話ですね。

 対戦車肉薄攻撃(特攻)は否定的に見つつも、ある程度の脅威は感じていたようです。成功率は低いとしても、やられる側はやはりたまらんでしょうね。やる側はもっとたまらんのですが(苦笑)。

 それから硫黄島の日本軍を補給が十分だったと評価しています。日本側の記録を見るととてもそうは思えないのですが・・・それ以前がひどかったということなのでしょうね。

ロバート・D・エルドリッヂ著、PHP新書「誰が沖縄を殺すのか 県民こそが”かわいそう”な奇妙な構造」

 同意出来る部分もあるのですが、やはり海兵隊勤務(元々は職業軍人ではない)のアメリカ人の著作だなという印象を受けます。著者は日本に長く住んでおり、日本語を不自由なく読み書き出来て、日本で大学で勤務した経験も持ち、そこらの日本人よりは深く沖縄のことを知り、また理解しようとはしていますが、奥底になるのはやはりアメリカの利益でしょう。
 沖縄は対中戦略上必要であるというのが根底にありますから(それが間違っているというつもりはありません)、琉球人を少数民族として認めず、あくまで日本人であるとし、沖縄県も例えば青森県と同じであるという風にしています。しかし、歴史的経緯を見れば、琉球は別国家、別民族であるのは明らかです。それを否定しては、沖縄問題の解決は出来ないでしょう。
 もちろん、著者が言うように現在の「反対運動」は必ずしも沖縄の総意ではなく、違う意図も入り込んではいるでしょう。ただ、日本の他の地域とまったく同一の扱いを受けていない、基地負担が重過ぎるというのは否定出来ません。基地負担は私はやむを得ないと考えていますが。
 個人的には沖縄(琉球)の独立は、あり得ると思います。完全な独立国は無理(経済的な問題もありますし、第三国に依存しないと国防も事実上不可能でしょう)ですが、例えば、スコットランドのような地位を得ることは無理はないと思います。一度独立した上で日本と連邦国家を構成するという方法もあると思います。ただし、沖縄の戦略的価値はかわりませんから、仮に独立したとして、残念ながら沖縄から基地は無くなりません。日米と決裂して独立したとすれば、沖縄を庇護出来るのは中国くらいですが、その場合、今度は中国軍基地が設けられるでしょう。そして日米の脅威にさらされます。円満独立でなければ日本は沖縄は日本固有の領土であると主張しますから、憲法9条があっても現在の解釈なら、「領土奪還」=「領土防衛」なので問題ないでしょう。勿論、アメリカも中国軍基地に対して色々な対抗策を取ります。

 普天間基地は本当に危険なのか?というのは確かに私もイメージだけでそう考えていたように思います。また、辺野古では第二の普天間基地になるというのはその通りでしょう。

 著者が進める勝連案は、確かに魅力的です。ただ、政治的にはもはや不可能でしょうが・・・。また、2年で基地が出来るというのは楽観的過ぎるように思います。

 この本を読んで思ったのは沖縄にとって、ベターな基地とは、管理は自衛隊で、米軍と共同使用、平時は管理者程度しかおらず、基地として使われるのは基本的に有事のみ、というものかもしれません。

黒田基樹著、洋泉社「豊臣大名 真田一族 真説 関ヶ原合戦への道」

 真田丸便乗本と言えなくもないですが、著者は真田丸の歴史考証担当者の一人です。一次資料(ほとんどが書状)を元に述べており、基本的には良書だと思うのですが、何故か時々ひっかかります。著者の推測が入る部分が何故か、「そうだなあ」と思えず「そうかな?」と思えてしまいます。別に根拠なく断定している訳ではないのですが・・・。不思議です。

 当時の書状には年号を入れる習慣がなく、何月何日だけか、あっても、干支(「申」とか)しか書かれていないので、何年の書状かを比定する必要があります。もし、ちゃんと年号を入れていれば歴史家は苦労しないので済んだのですが・・・。そのため、有名な書状であっても、議論が起きることがあります。この本でも従来の見解と異なる比定をおこなっていますが、何故か、そういう部分も、そうかなあ?と思えてしまいます。特に無茶は言っていないのですが・・・何故でしょうね?何か著者との相性の悪さを感じます。

 三成と昌幸のやり取りは面白いです。昌幸は信幸が徳川についたことをぎりぎりまで伝えていません。書状が残っていないのもありますが、三成が信濃の回りの徳川方を攻めるように要請しているのに対し、昌幸はのらりくらりかわしている印象です。現実はそんな戦力は無かったのですが。
 また、一般的なイメージと異なり、第二次上田合戦では、真田はほぼ一方的に攻められただけで、徳川側の都合で城攻めをやめて秀忠軍主力が家康と合流すべく移動したので助かった、としています。これは私も同意します。第一次上田合戦はまだしも、第二次上田合戦は徳川の敗北とは言えないでしょう。ああ、それから最近の研究では、秀忠軍の目標はまず上田城攻略であり、美濃への移動中に行きがけの駄賃に攻め込んで酷い目にあり、挙句に関ヶ原の合戦に遅参したというものではありません。そして本格的な城攻めを開始する前に家康の合流命令を受けて離脱したというのがどうやら正しいようです。第一次上田合戦がなく、昌幸は関ヶ原の合戦の結果を知った段階で降伏していれば、隠居程度で済んでいたかもしれませんね。

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