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熊本から日田へ、そして神戸へ

 熊本から日田の宿へ。ナビは高速を指示してきましたがそれでは面白味がないので一般道から。ただ、小国へ抜けるには道路が渋滞している(行きに来た道)ので、菊池を抜けて行きました。九州、特に熊本はずっと暑かったのですが、この日は特に暑く、車外気温計が40度を示していた時もありました。
40c
熊本市の郊外は途中、ブルーシートは時々見えますが、やはり被害は少ないようです。
Buil
それでも時折信号でとまってふと見ると黄紙が貼られた建物があったりはしますし、道路の段差が出来ていることもありましたが。
Dansa
 地震とは関係ないですが、車で10分か15分走ると急に「田舎」になりますね。単線の無人駅の鉄道(熊本電鉄)があってここはどこの田舎か!?と思ってしまいました。
EkiEki3
駅に車いす用と書かれた板がありましたが・・・誰がやるのだろう?
Ekibariaf
運転手?菊池付近はほとんど被害はないようです。菊池神社の横を通りました。時間があればこの辺もとまって散策したかったのですが、今回は見送りです。温泉もあるし、一度泊ってもいいかな?なお、実は母方の曾祖母(祖母の母親)がこの辺の出身で若い頃、菊池神社で巫女をしていたそうです。
 大分県に入って日田へ向かっていたら以外にも片側通行止めの区間が複数ありました。
Hita
土砂崩れや落石があったようです。そして、なんと大山近辺で国道212号が通行止め!松原ダム近辺で迂回させられました。
Hita2
えー!そんなの聞いていないよ。宿についてから地元のTVニュースで26日に片側交互通行でやっと復旧するとのこと。日田でそんな被害があるなんて、こっちで見た記憶がありません。行ってみないとわかりませんね。日田の宿近辺には特に被害はありませんでした。

 翌日、九州の最終日は親戚廻り。日田から中津へ向かいます。ここを通るのは2013年以来なので久しぶりです。途中耶馬溪は以前にも報告したように4年前に水害に見舞われたのですが、さすがにほぼ復旧していました。半分流されたサイクリングロードとして使われていた元耶馬溪鉄道の鉄橋も復旧していました。
 大叔母(正確に言うと父方の祖母の弟の配偶者だから血縁関係ないけど、これでいいのかな?普通に「おばちゃん」と呼んでいました。)が今年他界したのでお参りに。九州帰ると毎年会いに行っていたのですが残念です。94歳だから仕方ないですが。おばちゃんいなくなったら来年以降は縁遠くなりそう。何せ、おばちゃん以外とはあまり親しくないですからね。数年に一度挨拶に行く程度になるかもしれません。実家近辺でも過去最大級の地震ではあったものの絶対的に見れば大したことはなく、被害らしい被害もなかったそうです。実家地方は基本地震ないですからね。断層も無いので今後も地震のリスクは低いでしょう。
 その後は叔父のところへ。ここでも過去最大級の地震で驚いたそうですが被害はありませんでした。宇土市役所の話をしたら、手抜き工事だろうと断言されました。コンクリートに混ぜ物をしていた可能性が高いと。その頃の建築では良くあると。実は叔父の家の基礎もやられたそうです。基礎に木片が混ぜられていてそこに白アリが発生したそうです。仕事先でもつついたら穴が開いてえらいことになったとか色々経験があるそうです。更に古い建物だと教科書通りにきちんとやっているので丈夫だと言っていました。叔父は設備工事関係の仕事をしていたのでそういう経験が多いそうです。

 既述のようにフェリーに乗って神戸へ上がったのですが、入港したら掃海艇が見えました。
Msc
昔昔その昔、修学旅行でフェリーに乗った時に駆潜艇とすれ違って興奮したことをふと思い出しました。生で見た初めての「軍艦」だったので。駆潜艇は「軍艦」じゃないぞという突っ込みは無しね。自衛隊だからから・・・あ、尚更「軍艦」じゃないか(笑)。

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