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戦国の陣形

 講談社現代新書、乃至政彦著、「戦国の陣形」の感想です。
 結論から言えば看板に偽りあり、という訳ではないですが、日本の戦国時代に「陣形」はほぼ無かった、という本です(笑)。また、問題提起としては興味深いのですが、実証、という点では不満が残ります。

 古代、日本が中央集権国家を目指していた時代、日本の軍隊は中国を真似て相応に隊形はあったようで、運動の訓練がなされてたそうです。しかし、「陣形」はありません(あったとはいっていない)。長い太平の時期にそれは失われ、その後武士が台頭してくると「軍隊」ではなく、「軍勢」としか言い様がないそれぞればらばらで質、編成も異なる集団の寄せ集めになり、運動の訓練など行いようもなく、隊形はも失われます。当然、「陣形」もありません。魚鱗とか鶴翼というような言葉は登場するものの、それは著者曰く「びっしりの陣」「ばっさりの陣」という程度に過ぎません。寄せ集め集団では「陣形」などとりようがありません。
 そしてそれは戦国時代になっても基本的にはかわりません。三方ヶ原の戦いで、武田が魚鱗、徳川が鶴翼と言われますが、これも結局、数の多い武田は何列かになっていたのに対し、数で劣る徳川・織田連合軍はほぼ全部隊を横隊にして戦わざるを得なかったということに過ぎません。
 結局、日本の戦国時代には「陣形」とか「隊形」と言えるようなものはなかった・・・という結論でもありません。著者は武田信玄(当時は晴信だけれど面倒なので信玄)と山本勘介が「陣形」を導入したと主張しています。ただ、それは甲陽軍鑑にそれらしい記述があるだけです。そして具体的にどういうものだったかの明確な根拠は示されていません。これこれの陣を取れと命じたと書かれているに過ぎません。そして各備えがある陣形をとったとしていますが・・・それは一種の隊形ではと思います。しかも、それは1547年に川中島で一度使われたという記事があるだけで、その後どうなったかは触れられていません(甲陽軍鑑を見直していないので本当にないかは不明ですが)。
 次に、村上義清が1548年に塩田原の合戦で武田信玄を打ち取ることだけを目的に、弓、鉄砲、鑓、騎馬からなる諸兵科連合部隊を創設し、それを上杉謙信(これも信玄同様これで通す)が採用して旗本をそのように編成し、川中島の戦いで信玄を負傷させたとしています。この編成はその後、西国大名にも広がり、一般的なものになり、朝鮮半島でも日本軍の編成として明に記録されていると。
 この辺がどうにもすっきりしません。本当に村上義清がやるまで誰もそんな編成はしなかったのでしょうか?最初に弓(後に鉄砲も加わる)の応酬があり、どちらかが崩れるかまたは矢玉が尽きたら、長槍同士のどつきあいが始まり、どちらかが崩れたら、後方にいた騎馬(それに同行する徒歩武者)が追撃、というのが戦国時代の典型的な合戦の私の持つイメージです。なので、1548年に初めて、弓だけ、鉄砲だけ、鑓だけ、騎馬だけに分けた編成がされたと言われるとすんなり受け取れません。
 村上義清がやるまで誰もそういう編成をしなかったという根拠を著者は示していません。中世で史料上、初めて兵種別の兵が連携して戦った例となるとしていますが、村上義清が独自に始めたものという根拠はありません。ある時、そういう編成で戦ったということを意味するにすぎません。本当かどうかは別にして著者を信じるとして資料に明記されていたのはそれが初めてということではあるのでしょうが・・・。それを発展させて上杉謙信が・・というのに至っては根拠も何もありません。謙信は信玄討ち取り専用編成、旗本殴り込み編成としていますが、本当でしょうか?わかっているのは上杉謙信が直接敵陣へ切り込んでいくことはしばしばあったようだということだけです。この辺は著者は少し飛ばし過ぎているように思います。

 それから、著者は東国(武田、上杉、北条)と比べて織田(と徳川)が進歩的だったというのは正しくないとしています。むしろ東国の方が進歩していたとしています。織田信長が兵農分離を行ったのに東国では出来ていなかったというのも幻想だとしています。織田も完全ではなく、同程度は東国でも行われていたと主張します。
 また兵科別編成は東国で始まったとしています。その根拠として軍役定書で東国大名は武装人数を指定しているのに織田にはその痕跡がない、だから、東国大名は集めた軍勢を兵科別編成しているが、織田はそうではなく、昔ながらの個々の小領主の集団(寄せ集め)のままだとしています。
鉄砲の三段撃ちは幻想としても、織田も兵科別編成はされていた可能性はあると思います。著者も信長の改革として極端に長い長槍の採用は認めています。この長い長槍は集団で用いて初めて意味があるので(一人一人が振り回すのには向かず、集団で上からたたきつけて初めて意味がある)織田でも兵科別編成はされていたと思われます。
 また、鈴木信哉氏が軍忠書を調べてまとめた負傷者の過半は矢や鉄砲によるもので、刀傷は少ないというのは私は信用出来ると思います(鈴木信哉氏の主張は無理があると思うのもあるけれど)。それを踏まえると完全に兵科別編成はされていなくても、やはり最初は弓矢鉄砲の撃ち合いがどちらかが崩れるまで続いたという戦い方は主流だったように思います。
 兵農分離については先行研究があるようですが、明示的に示していません(他は先行研究があれば示しているのですが)。私に対する問題提起としては興味深いのですが、この著作だけでは判断出来ません。兵農分離は織田信長の発明ではなく、むしろ東国で進んでいたとしています。農閑期と農繁期で動員数に違いはなかったと書かれていますが、その根拠は明確ではありません。まあ、信長の兵農分離と秀吉の兵農分離は違うようには思いますが。信長の兵農分離は、兵を農から分離するという意味合いが強く、一般的には兵の専業化=常備軍の創設と言われていると思います。この場合も著者はその意味で使っているのでしょうね。秀吉の場合には農を兵から分離するという意味合いが強いように思います。農民(だけじゃないけれど)の非武装化=刀狩でしょう。
 信長の先進性は強調され過ぎて、過大評価され過ぎとは思います。兵農分離といってもそれは中核だけで織田家の軍勢全てがきっちり専業化された訳ではないでしょうし、近代的軍隊のような均一な編成がされた訳でもないでしょうね。では、東国は?これも明確な根拠を示していません。著者が示しているのは、軍役定書で人数と武装を指定しているということだけです。それは必ずしも兵科別編成を行ったことを意味しません。おまえの知行だったらこの位の戦力を出せと指定しているにすぎませんから。ただし、兵科別編成を行ったことを示す資料は世の中にはあるようです。だから、これは著者が間違っているというよりも資料をそこで示して欲しかった(その方が分かりやすい、納得できる)という批判になるでしょう。著者もそれを知っていてそういっているのでしょうから。
 仮に(事実かどうかの証拠を私は有していない)織田家が常備軍で兵科別編成をとっていたら、いちいち、どういう人数と武装でこいという指定は不要ですから、そのような書状は残っていなくてもおかしくありません。まあ、もっともこういう編成にしなさいという指示はあるべきでしょうが。また、逆にそのような書状があるということは、少なくとも常備軍ではなく、動員かかって初めて装備を整えて参上していることを意味しているとも受け取れます。それは兵農分離されてなくても出来ます。恐らくは織田家を含めて完全な常備軍などは存在しなかったであろうと思います。旗本・馬廻り程度だったのではないかと思います。合戦になれば動員は必要ですし、その際に動員される兵は通常はそれぞれの領地に居たものが多かったのではないでしょうか?根拠は示せませんが。
 ただ、従来、軍役定書の既述は東国が織田系に遅れていた証拠(鉄砲の装備率が低い)として使われることが多かったと思いますが、先進性を示す証拠として使うという視点は面白いです。東国勢の方が進んでいた部分もあるのだという主張にはなるほどと思います。

 問題提起としては面白いのですが、その根拠がいずれも弱い、少ないという難点があります。恐らく根拠はあって行っているのでしょうが、何故か明確になっていません。色々と考えるきっかけにはなりましたが。

 まあ、難しいのは難しいですね。陣形にしても編成にしても必ずしも資料は残っていません。「陣形」は江戸時代になってから軍学者が書いた書物は色々とありますが、戦国時代に実際に使われていたものではなく、それぞれが「発明」したものだったり、机上の話だったりしますから。徳川幕府の常備軍のマニュアルがあっても良いと思いますが、「陣形」らしい話は聞いたことがありません。「編成」はありますけれど。結局、「陣形」は日本に定着しなかったのかなあと思います。まあ、それに実際に役に立つかという話もありますが。

 それに隊形、編成は別にして、陣形が実際に有効に使われた戦いは世界で見てどれだけあるのでしょうか?古代中国にもしかしたらあるのかもしれませんが、書物の上だけの幻想なのかもしれません。川も山もない広い平原で戦いが起きることは恐らくまずないでしょう。通常は何かしらの地形があってそれを利用して陣取りますから。そうなると「陣形」ではなく、地形に合わせた部隊配置がなされるだけに思えます。なので、「陣形」というもの時代が平時に机上で議論されただけのものかもしれません。

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