« コペン・セロ | トップページ | 清水先生最近おかしくないか? »

高志書院 「関ヶ原合戦の深層」谷口央編

 かなり前に買った本ですが、ようやく読了しました。以下の内容の論文集です。

総論 関ヶ原合戦の位置づけと課題…………………………谷口 央(首都大学東京 准教授)

 第1部 政権の中枢
増田長盛と豊臣の「公儀」-秀吉死後の権力闘争-………石畑匡基(九州大学大学院博士後期課程)
軍事力編成からみた毛利氏の関ヶ原…………………………光成準治(県立広島大学非常勤講師)
上杉景勝の勘気と越後一揆……………………………………片桐昭彦(練馬区郷土資料調査員)
【コラム】佐竹氏と関ヶ原合戦………………………………森木俊介(茨城県立歴史館)

 第2部 政権の周辺
関ヶ原合戦と尾張・美濃………………………………………山本浩樹(龍谷大学文学部准教授)
関ヶ原合戦と長宗我部氏のカタストロフィ…………………津野倫明(高知大学人文学部教授)
島津義久〈服属〉の内実-関ヶ原への道程-………………黒嶋 敏(東京大学史料編纂所助教)
【コラム】
真田と上杉を結んだ道-戦国・織豊期の沼田と会津-……竹井英文(東北学院大学文学部専任講師)

特論「関ヶ原合戦図屏風」-作品の概要と研究の現状-…高橋 修(茨城大学人文学部教授)

 第一部と第二部にまとめられてはいますが、基本的にはそれぞれは独立したものです。ただし、増田長盛は長宗我部とも絡んでいます。一番興味深かったのも「ヶ原合戦と長宗我部氏のカタストロフィ」です。信親の死後、最終的には盛親が家督を継ぎますが、何故「「盛」親」なのかはこれまで考えたことがありませんでした。「信親」の「信」は当然ながら「信長」の「信」です。豊臣氏に屈服した後に元服したのなら「秀親」でおかしくないのですが、そうはならず、その家臣(所謂、五奉行の一人とはいえ、大身ではない)にすぎない増田長盛を烏帽子親にして「盛親」とはずいぶん落差があります。が、豊臣政権に正式に世継ぎとして認められていなかったのなら不思議ではありません。しかし、そんなこと気にしたことがありませんでした。迂闊でした。
 「軍事力編成からみた毛利氏の関ヶ原」での毛利の兵力の推測も興味深いです。まあ、やや強引かなとも思いますが、結果的にはだいたい近い数字にはなっているようにも思えます。一般的には毛利秀元は吉川広家に邪魔されて行動出来なかったとされていますが、そういえる根拠はないのですね。
 毛利もそうですが、佐竹も結局、家中の意見統一がとれていないが故に満足に行動出来なかったのであり、また、岐阜城があっさり落ちたのも、それらの遠因は豊臣にあると読めました。そうすると皮肉な話です。大名が鉢植え化され、支配期間が短いと住民(あえて現代風にこの語を使います)の支持、協力が得られなかったため、攻撃に対して脆かったのですから。当然、徳川はこの辺を見て、外様大名を転封させたりしたのでしょうね。
 いずれも論文と言えるものなんで、ある意味では「真相はこれだ!」「xxの真実!」という風には書かれておらず、物足らなさもあるかもしれませんが、安心して読めます(途中で、強引さが他者攻撃が嫌になったりしない)。
 簡単な感想ですが、関ヶ原の戦いに興味がある方にはお勧めできる本です・。

|

« コペン・セロ | トップページ | 清水先生最近おかしくないか? »

歴史」カテゴリの記事

コメント

興味ねぇんだよ
ちょっとはマトモな記事書けよ

投稿: | 2015年7月 4日 (土) 21時32分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 高志書院 「関ヶ原合戦の深層」谷口央編:

« コペン・セロ | トップページ | 清水先生最近おかしくないか? »