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表現の自由と信教の自由と政教分離

 まだ容疑者は一人逃亡中ですが、フランスでの立てこもり事件は突入して解決されましたね。
 風刺画は否定しませんが、対象・内容に配慮する必要もあるでしょう。イスラム教徒が今回の銃撃事件のあの風刺週刊紙が掲載したような風刺画を書くことはないでしょう。非イスラム教徒(確率から言えば、キリスト教徒)であるが故に描けるものでしょう。権力者(政治家、大企業など)を風刺することは問題ありませんが、特定宗教を風刺するのは、いくら表現の自由が重要といっても問題でしょう。その結果、特定の宗教の信者に偏見を持つことを助長しかねません。もちろん、だからといって、武力で対抗するのは決して許されることではありません。ペンにはペンで反論すべきです。

 それからフランスの政教分離が厳格なのは良いですが、公共の場でブルカ・ニカーブを着用することを禁じるのは信教の自由に反すると思います。正確には宗教色の強いものの着用は禁止されているというべきで、ブルカ・ニカーブに限りませんが、馬鹿でかい十字架をぶら下げるキリスト教徒は少ないし、常に数珠を持っているような仏教ともまずいないでしょう。まあ、シーク教徒やユダヤ教徒くらいでしょうか?ほかにひっかかりそうなのは。なので、私にはキリスト教徒による非キリスト教徒への一種の攻撃のように受け取れます。そもそも、公共の場とはいえ、政教分離じゃないでしょう。公共の場は「政」ではありませんから。むしろ、公共の場で特定宗教を示すものを禁止する法が特定宗教の排除=政教分離に反することになりませんか?いずれにしても信教の自由を侵すものであるのは明白でしょう。
 もちろん、公序良俗に反したり公共の福祉を阻害するような行いは例え宗教に基づくものであっても禁止されるのは当然です。でも、ブルカ・ニカーブの着用はそうでしょうか?閣僚、議員、公務員に対して求めるのならそれは政教分離でしょうが。

 なお、ブルカ・ニカーブの着用禁止がどれだけ、実害がイスラム教徒にとってあるのか、それが本当にイスラム教徒にとって必要かということは別の話です。それはイスラム教徒側が考える・決める話であり、他からどうこう言う話ではありません。

 おまえは普段宗教攻撃するのに今回は何故イスラム教の肩を持つのだ?と言われるかもしれませんが、これは信教の自由に関わることであるからです。私は前にも述べたように反キリスト教、反宗教という宗教の信者と言っても良いからです。その立場は信教の自由により保障されているのですから、信教の自由は守られなければならないのです。
 それから特定人種、民族、宗教を攻撃・批判することはありますが、ある人物が特定人種、民族、宗教の信者であることだけを理由に攻撃・批判したつもりはありませんし、今後もありません。攻撃・批判するのはその人物が何をしたかによります。

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