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遊就館

 先週の出来事を今頃書いています(苦笑)。先週の土曜日にエリーゼのバッテリーを交換したのですが、これは日曜日、相方がお料理教室だったので、ほぼ一日自由になる・・・はずだったからです。エリーゼで出かけられるように準備していたのですが、土曜日も予報にない雨が降り、日曜日も遅くなると雨が降るとの予報。こりゃ、きっとエリーゼで出かけたら午後には降られるぞと思って、相方に送迎するよと言ってしまいました。
 なので、日曜日はクーガ。相方を都心のお料理教室まで送り届けた後、終了予定時間まで6時間ほどあったので、まずは、前から一度行ってみようと思って一度も行っていなかった靖国神社の遊就館を見に行くことにしました。まあ、2時間もあれば見終わるだろうし、その後、オーセンさんにでもいって、12ヶ月点検の相談でもするかなと、軽く考えていました。
 いったら、たくさんの観光バスはとまっているは、骨董市やっているは、想像以上の人出。ちょっと驚きました。七五三もやっているようでした。外国人観光客も結構いましたね。白人系だけではなく、中国人(言葉から)と思われる人も。大灯篭には色々な戦闘の場面を描いたレリーフがはめられているのですね。
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 別に参拝する訳ではないので、遊就館の方へ。軍用犬と軍用馬、それに軍用鳩の慰霊の銅像がありました。
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犬は当然シェパードです。
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靖国神社や戦前の日本軍の是非はとりあえずおいといて、動物も忘れないのは日本の良いところだと思います。それから海防艦も。
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なかなか良く出た青銅製?の海防艦の模型と戦没艦の名前が刻まれていました。海防艦なんて忘れ去られることが多いですが・・・。まあ、それを言うと海上護衛に駆り出された各種艦艇の名前も同様に刻んで欲しい気はしました。
 さて、遊就館です。有名だと思いますが、玄関入って1階には零戦が展示されています。回収された複数機を元に復元されたもので、52型。
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  まあ、零戦そのものはそれなりの数残っているので、目玉というほどではないですね。横にあった九九式20粍機銃の方が興味深かったです。
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ドラム式弾装がちゃんとついていました。
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 泰緬鉄道で使われていたC56蒸気機関車もありましたが、私は鉄ちゃんじゃないので余りよくわかりませんが、これは結構きれいでした。
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 そして、八九式十五糎加農砲と九六式十五糎榴弾砲です。旧陸軍のこのクラスの砲は見たことがありません。どちらも15センチですが、当然、カノンの方が砲身が長いです。どちらも戦場から回収されたものなので、あちこちに傷があります。どちらも砲の尾栓がちゃんとありましたが、これは復元したものなんでしょうか?それとも破壊する余裕もなかったのか、操作していた兵員もろともにやられてしまったのか・・・。十五榴のタイヤにはゴム(だと思いますが)が残っていましたが、十五加農にはありませんでした。
十五榴

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十五加農
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 さて、以上はいわばロビーに展示されているもので、本当の有料の展示室は2階(から入る)です。ただし、展示室は撮影禁止なので、以降、写真はありません。動画を上映する部屋が二つあり、一つは50分のドキュメント、もう一つは2時間の映画を上映していましたが、時間がかかるので今回はパスしました(後でこれは大正解だとわかる)。
 展示室は1から19と、大展示室、それと特設展示室、特別展(一度外にでる)と22個もあり、時間がかかります。古代の鎧、兜、太刀などから中世へ。本来は武器ではありますが、刀身は見ていると引き込まれそうになる時があります。そして、戊辰戦争、西南戦争へ。この辺からは、戦争のパネル展示と遺品、遺書が中心でした。というか、これ以降は、基本的にそういう展示です。日清戦争、WWI、シベリア出兵、満州事変、上海事変、日中戦争(展示上はシナ事変)、そして太平洋戦争(展示上は大東亜戦争)。いずれも同じスタイルでした。全体的に今時の博物館風の展示形式でしたし。
 意外とというとおかしいかもしれませんが、展示、説明は客観的で、説明のパネル展示は概ね国博での展示と同等と思えるものでした。戦争を正当化、美化するようなものは余りありません(戦争の名称はとりあえずおいときます)。日中戦争中のニュース映画を上映していましたが、この中身は当時の宣伝ですから、そういう内容なのは当たり前です。正当化の主張を感じられたのは日露戦争で黄色人種が白人に勝ったと各国で歓迎されたという記述(ただし、これはこれで事実に反する訳ではないので、正当化というといいすぎ)と太平洋戦争の結果、アジア諸国の独立につながったという記述(これも日本の戦争目的がアジア諸国の解放ではなかったにせよ、結果的にその手助けをしたのも事実)、それと満州は元々漢民族の土地ではないという歴史的経緯の説明位でしょう。最後のもまた事実ではありますが、とはいえ、それは日本が作り上げた満州国を正当化出来るものではありません。もっとも、満州国そのものを明確に正当化する記述ではありませんでした。
 後は、A級戦犯の展示の評価は議論を呼ぶでしょうが、これは合祀問題と同一なのでここでは論評を避けます。後、パール判事の展示は・・・本人には嫌がられるかもしれませんね(苦笑)。
 九七式中戦車が展示されている、ということ以外は余り前知識を持たずに行ったので、予想と結構違っていました。大展示室を除けば武器の展示はほとんどありません。小銃や拳銃も展示されていたのは戦場から回収された(遺骨収集の際に)ものだけでした。意外と言えば意外ですけれど、よくよく考えてみれば、靖国神社はその手法、形式には議論の余地があるとはいえ、慰霊のためのものですから、当たり前かもしれません。九七式中戦車を見に行くためにやってきた私の方が不謹慎だったかもしれません。ただ、空襲などの一般人の犠牲者や日本人以外の犠牲者についてふれた展示が見当たらないのは残念でした。それがあれば、よかったのですが。
 さて、大展示室です。ここは彗星と桜花のところに撮影禁止の表示があったので、それ以外は撮影しても良いのではないか、とも思えたのですが、展示室内は撮影禁止と最初に書かれていたこともあり、悩みました。係りの人がいれば聞けばよいのですけれど、ここが普通の博物館と違って、特に展示室毎にだれかいるわけではありません。
 今回の主役の九七式中戦車。実物を間近で見たのは初めてです。以前も文章を書きましたが、批判ばかりされている九七式中戦車ですが、これはこれで悪いものだとは思いません。1938年(九七式なので、1937年のはずですが、生産開始されたのは1938年)当時の戦車として見れば、駄作ではありえません。これはあくまで歩兵支援のための戦車であって、対戦車戦闘用の戦車ではありません。対戦車戦以外で評価すれば、実績も含めれば、傑作とまではいえないかもしれませんが、十分評価出来ます。
 さて、実物を見た感想ですが、まず意外と大きい、と思いました。九七式中戦車が大きい?はい、大きいです。勿論、戦後の戦車と比べれば小さいです。けれど、自分と比べれば、小さいとは言えません。例えば、自分が歩兵で九七式中戦車と対峙したとします。一人の人間と比べれば十分巨大で圧倒されます。仮に携行対戦車火器を持っていたとしても、これを攻撃するには度胸がいります。自分でやれるか?といわれると・・・怯みます。なので、歩兵支援戦車としてみれば、十分有力だと思います。1938年当時には、バズーカ砲の類はありませんでしたからね。対戦車砲(37mm程度が当時の標準)か対戦車銃程度。そう見れば、決して非力な戦車ではありません。歩兵支援戦車というコンセプトはその後、誤りだとわかりますが、当時は他国でも見られたものです。
 ただし、それを終戦まで使い付けたというのは問題ですけれが・・・。せめて1941年には97式中戦車改に生産が切り替わっていれば。そして、1942年には一式中戦車に切り替わり、1943年から三式中戦車の製造が開始されていれば・・・。でも、これは対ソ戦から対米戦にかわってしまったためでしょう。ときときしか出番の無い戦車にそれほど投資出来ません。その分、陸軍は航空機に投資したのですから。対米戦ならそれが正解でしょう。
 ちょうどそばに陸軍の75mm高射砲と海軍の3インチ高角砲が展示されていましたが、どちらもこの車体に旋回砲塔形式で搭載するのは無理があります。同じ75mmでも山砲なら砲等を大きくすれば載りそうです・・・実際に載せたのですけれど。そういう意味では、もう一回り車体を大きくしておけば・・・と思いますが、これでも当時は大きい方を選択していますからね。また、そうであるが故になんとか、一式中戦車、三式中戦車や砲戦車に発展することが出来た訳ですが。
 装甲は最大25mmですが、車体の接合部分や砲等の端を下から見るとその程度の厚さであることがわかります。また、車体前部のハッチは操縦手の視察口などがやはり防御上の弱点と思えます。それと車体から立ち上がってその上に砲塔が載っているのですが、立ち上がった部分(操縦手の視察口や車体機銃がある部分)は被弾しやすそうです。まあ、どの道、戦車と撃ち合えばどこでも貫通されますが・・・。
 それと車体機銃がある反面、主砲の同軸機銃はないのですよね。その代わり、砲等後部に機銃がついていますが。これはやはり同軸機銃は欲しいところでしょう。
 車体後部を横から除くとエンジンルーム上部側面にスリットがあり、エンジンが見えます。シリンダーの数を数えたら、片側6個で、あー、そうか、V12だったんだとその時に思い出しました。空冷エンジンなので、車体後部の防御力は低いといわざるを得ませんが、まあ、メルカバを除けば、どの戦車も後部は弱い(相対的に)でしょう。
 陸奥の14cm副砲は実物を見ると巨大です。15cm野砲と比べても大きく見えます。回天は小さいような大きいような。当然ながら海龍と比べると小さいですが。これで体当たり・・・震洋や桜花よりはましですけれど・・・。
 彗星は実物は初めてみました。隙間から見ると倒立V12が見えました。実物をみてから、あれ?倒立なんだと思い出しました(苦笑)。何故か、着艦フックはついていませんでした。7.7mm機銃はこうしてみると決して小さくはありませんね。ここに12.7mmは無理か。でも、7.7mmじゃ、よほど運が良くないと効果はありませんよねえ。
 壁際に沖縄戦の航空特攻のジオラマ。そこにも出てくる桜花は天井からつるされていますが、コクピットが飛び出していて、空力的に十分考えられたとは思えない代物。仮にどうしても特攻せよといわれたとしても、せめて、零戦か彗星にしたいです。桜花じゃ死んでも死に切れません。震洋もそうです。20kt台の速度でどうしろというのでしょう。まあ、似たような速度の魚雷艇もあったのですけれど。
 そのほか、現在のソロモンという写真展示もありました。遺骨収集にいった先での現地の様子です。そういえば、内戦していたところもあるのですね。
 一度外にでて特設展「大東亜戦争七十年展II昭和17年ミッドウェー作戦から昭和19年」へ。太平洋戦争中盤(ガダルカナル撤退やアッツやキスカ)関係の展示でした。内容は本展示と似たようなものです。目に付いたのは戦死者の残した日記。一つは米軍が資料として収集し、英訳したのだけが残っていたのでそれをまた和訳したものでしたが。
 本題とは関係ないですが、一つ。戦死者の階級がわかりにくいです。死後、特進しているのですが、展示で明記されている階級が特進前か後か、それをはっきりさせた方が良いと思います。一部は明らかに戦死前の階級でした(知識がある人物)が、特進後のものと思われるのもありました。統一するか(戦死当時)とでもした方が良かったと思います。
 結局、ここだけで4時間以上いました。外を見てまわったのとあわせて5時間以上過ごしてしまいました。そのため、もう相方をお迎えにいかないといけじ、結局、他にはいけませんでした(苦笑)。まあ、相方ときたらここまでゆっくりは見られなかったからいいのかなあ。

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