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日本の護衛空母と海上護衛その1

 通勤時に光人社NF文庫、大内健二著「護衛空母入門」を読みました。その感想文・・・のはずでしたが、書いているうちに長くなり、別の文章になってしまいました(苦笑)。日本が海上護衛に力を入れるのが遅く、商船改造空母もカタパルトがなかったので米護衛空母と比べると余り役に立たなかった・・・というような記述が当然のようにあったのですが、でも、良く良く考えるとそんなに駄目だったのかが疑問に思えてきました。
 日本の商船改造空母は、元々護衛空母ではなく、あくまで艦隊決戦の際に正規空母を補うものとして建造されたものの、隼鷹型二隻以外は、カタパルトが無かったため、本来の役割では使い物になりませんでした。後方に配置され、攻撃隊を発進さえ、装甲空母を中継基地にして・・・という話もあるようですが、それにして、爆(雷)装した攻撃機を発進させるのは簡単ではありません。なので、その指摘は正しいです。建造計画が航空機の発展を十分考慮していなかったためとも言えますね。カタパルトは無視していた訳ではなく、当時の日本の技術では開発出来なかったというべきでしょうから、もしかするとカタパルトが出来るつもりで、将来はそれを装備すれば良いと考えていたのかもしれませんが、そこまでは私は知りません(正規空母にはカタパルトを装備出来るようにする用意はあったようですが)。もし、そうだったとしたら、単にカタパルトの開発に失敗した、ということになりますが。
 そのため、ほとんどは航空機の輸送に使われています。それはそれで有益だったでしょう。そういう意味で空母に改造した意味が無かったということではなく、有用に活用されたとは思います。それは当初の意図とは違う使い方でしたが。もちろん、その際にカタパルトがあれば、いちいちクレーンで吊り上げてはしけに積み替えてということをせずにそのまま発艦させられたというのはありますが、輸送を効率化するためだけにカタパルトを装備すべきだった、というのは言いすぎでしょう。あればより良かったとは思いますが。
 では、船団護衛では、有効ではなかったのか?それもそうでもないようです。昼間であれば撃沈した潜水艦はほとんどないにせよ、やはり哨戒機が飛んでいると攻撃はやりにくかかったようで、損害率を下げる効果はあったようです(護衛空母入門の記述)。潜水艦だけが相手なら、英がやったようにある程度の数の航空機がいれば相応に効果はありますし、必ずしもカタパルトは必要ありませんから。
 さて、護衛空母だけに限らず、日本の太平洋戦争中における海上護衛をどう評価すべきでしょうか?まず、結果から言えば、多数の船舶を失い、海上交通路は遮断されました。ですから、失敗した、以外の評価は出来ません。何がどうあれ、結果が全てですから。
 もちろん、個々の要素や経過について評価する意味がない訳でしょう。護衛空母として使われた商船改造空母は、少なくとも昼間であれば有益だったと思います。防空には非力ですが、対潜水艦であれば、相応に有益だったと考えます。もし、戦争前から、もし、戦争になったら海上護衛のために簡易な護衛空母を短期間で改造または建造する計画は持っているべきだったかといえば、持っているべきだったでしょう。それは海防艦も同様ですね。
 それはやれるのにやらなかったのか、やろうとしてやれなかったのか、によって評価は変えるべきでしょう。出来なかったことをやらなかったのが悪いと言っても仕方ないですから(極端に言えば、核兵器を太平洋戦争前に開発しておけば戦争に勝てた、というようなことも言えますが、そんなのは意味の無い批判ですから)。
 少し見方を変えて、英国と比較してみたいと思います。英国は開戦後、独の潜水艦に苦しめられ、その後、次第に護衛戦力を拡充し、新兵器を投入し、最後は独潜水艦を圧倒しました。米の支援(良く知られているように旧型の駆逐艦や護衛艦、護衛空母などの供与など)もありましたが、英は海上護衛戦に勝利し、海上交通路を守り抜いたと言えます。それに比較して日本は、護衛艦の拡充が遅れ、技術開発でも通り、実施に装備した対潜兵器でも劣ったと言われます。ソナーやレーダーの性能だけではなく、前方投射兵器(ヘッジホッグ)の有無などが良く指摘されます。そのほとんどは事実でしょう。なので、結果だけではなく、経過を比較しても、日本は駄目だった、力を入れていなかったということになりそうです。でも、本当にそうでしょうか?
 英の海上護衛戦力が拡充され、損害が減少してきたのは概ね戦争開始後4年が経過した1943年です。1942年半ばから改善はされていますが、それでも約3年は経過しています。それを日本に当てはめるとどうでしょう?開戦は1941年12月ですから、3年経過したのは1944年12月、4年だと1945年12月で終戦後です。1944年12月と言えば、戦争の結末はほぼ決まっています。仮に日本が英並みの能力(米からの供給分も含めた生産力と技術力)を持ち、同等以上の労力を海上護衛に費やし、戦争4年目(3年経過後)には米潜水艦を圧倒出来たとしましょう。それで何が変わるでしょうか?潜水艦により海没した陸軍部隊は史実よりも減少します。マリアナ諸島やフィリピンなどの守備隊は史実よりも増えるでしょう。でも、制空権を握られているのは変わりませんし、米空母機動部隊の猛威も変わりません。マリアナ諸島はほぼ史実通りの時期に陥落し、B29による本土空襲は始まります。潜水艦を封じたとしても空襲と機雷投下(海上交通路の遮断の効果は非常に大きかったと思います)により、やはり日本の海上交通路は失われます。
 では、出来る出来ないは別にして開戦と同時に海上護衛に力を注ぐとしましょう。米潜水艦の諸問題(主に魚雷の不発問題)もあり、戦争一年目からほぼ米潜水艦を圧倒し、潜水艦により被害は少数にとどまったとしましょう。それで戦争に勝てますか?トラック、ラバウル、ニューギニアなどへの補給や輸送は史実よりも被害が減るので改善されるでしょう。
 しかし、ガダルカナルは潜水艦による被害は少数で過半は空襲によるものです。ああ、もちろん、海上護衛に力を注いでいるということは、史実よりも護衛は強化されるでしょう。正規空母なども護衛に投入されることでしょう。それにより、史実よりはガ島の状況は改善されます。餓島と言われることはないかもしれません。しかし、それだけでガダルカナルで勝利出来るとは限りません。また、ガダルカナルでの戦いが史実よりも長引きますから、航空機の消耗は史実よりも激しくなることも考えられます。
 仮に最終的にガダルカナル島を確保したとしても、それを維持するためには労力(物資、人員、艦船、航空機などなど)が必要です。そうこうしているうちに1943年後半から戦力を拡充させた連合軍の反撃が始まります。マーシャル、ギルバートを奪われ、やはり1944年半ばにはマリアナが失われるでしょう。下手にガダルカナルを確保したが故により多くの戦力を失っているかもしれません。
 これはずるい言い方かもしれません。でも、結局のところ、海上護衛に力を入れていても、戦争には勝てません(勝敗には影響がほとんどない)。また、力を入れたくても、日本には米のように援助してくれる国はありませんから、100%力を出し切っても、英にはとどきません。その英ですら、護衛戦力の拡充し、損害が減少し始めるまでには3年、4年かかっています。
 日本で海防艦の増産が始まったのは戦争開始後3年目です。確かに早いとはいえません。備えておけば、戦争開始と同時に海防艦の大量建造(まあ、あくまで日本にとっての、ですが)に着手(建造開始ではなくて、建造準備開始位は)出来たでしょう。それでも実際に海防艦が建造され、就役するのは1年終わって2年目に入ってからでしょうが。海防艦といっても、結局、建造には一年近くかかっていますから。
 史実でも何の備えもしなかった訳ではなく、状況が悪化して戦争近いと思われた1941年には海防艦30隻の建造が計画されています。これらが竣工し始めたのは1943年でのんびりとした建造ペースではありましたが。また、これらは必ずしも海上護衛用ではなく、小型警備艦という代物でした。それでも途中から計画は改定されて、海上護衛用艦になっていきます。
 逆に言えば、開戦前からしっかりした計画はほとんどなくても、3年目で海防艦の大量建造が始まったのは、言われるほど遅くもないように思います。戦争一年目は、米側の不手際のせいもあり、潜水艦による被害は少数にとどまりました。輸送船の喪失は、ガダルカナル攻防戦が中心で、ここは海防艦の出番はありません(輸送船の護衛の不手際、はありますが)。
 2年目に入り、損害が増大してきて、慌てて、海防艦の大量建造を計画し、当初の計画艦は構造がまだ複雑で、装備面からいっても問題は多かったですが、第一号艦型及び第二号艦型は、比較的短期間で大量に建造を行えています。泥縄式といえば、そうです。でも、もし、戦争1年目から米潜水艦が猛威を振るえば、もう少し早くそこまでたどり着けた可能性はあります。
 英も元々の戦力が日本よりも大きかったので、護衛用に使える旧式駆逐艦や開戦前に建造したスループやコルベットが相応の数ありました。また、開戦後に米から旧式駆逐艦の供与も受けています。が、新規建造艦に限れば、1年程度はやはりかかっていますし、数がそろってくるのは2年目以降です。日本が米潜水艦の脅威を受け止めてから1年程度で大量建造が始まったのは、そう遅いとは言えません。
 また、元々は違う用途のために計画されたとはいえ、戦争開始1年で日本は3隻の護衛空母に使える空母を手にしています。2年目で4隻目、3年目に5隻目が改造完成しています。英はどうでしょう?米からの供与も含めて、護衛空母をまとまった数、手にしたのはかなり後になってからです。英国海軍最初の護衛空母であるオーダシティーが就役したのは戦争開始からほぼ2年経過した1941年6月です。これは格納庫をもたず、MACシップと大差ない代物です。格納庫をもったアクティビティが1942年9月、プレトリア・キャッスルで1943年4月、ヴィンディックスとナイラナが1943年12月、カンパニアは1944年3月です。米から供与された最初の護衛空母であるアーチャーの完成は1941年11月で、海上護衛任務についたのは1942年2月からです。既に戦争開始から2年半が経過しています。その後はアヴェンジャー級3隻が1942年半ば、、アタッカー級が概ね1943年からと供与され拡充されてます。CAMシップでも1941年半ば(戦争開始から2年後)、MACシップなら1942年半ばから。国産護衛空母が少ないのは、米から供与を受けたためでしょうが、それにしても、護衛空母がまとまった数就役するのは戦争開始から3年経過した1942年半ば以降に過ぎません。簡易空母のMACシップですらそうですから。最終的には追い越されるとはいえ、戦争開始から2年以内で比較すれば、日本の方多いのです。純国産空母だけ見れば、MACシップと大差ないオーダシティーを除けば、日英5隻ずつで同じです。勿論、英国産護衛空母が少ないのは米から大量に供与されたことが影響していると思いますが。
 日本が海上護衛を怠った、力を入れるのが遅かったと批判されますが、英の場合、第一次世界大戦であれだけ独潜水艦に痛い目にあっておきながら、第二次世界大戦が開始された段階で、貧弱な護衛戦力しか有しておらず、戦力の拡充にも時間がかかったのは、英国ファンの私が言うのは心苦しいですが、日本よりも悪いと言えませんか?
 もちろん、英は開戦後、怠けていた訳ではありません。英は出来ることはやりました。それでも護衛戦力の拡充には時間がかかるのです。平時から大量の護衛艦艇を保有することは英ですら出来ません。この手の艦艇は戦時にしか必要ありませんから、どうしても、整備は開戦後になってしまいます。英にしても、全てにおいてベストを尽くしたとは言えないでしょう。しかし、怠慢というのは当てはまらないと思います。英ですらそうなのです。日本に開戦と同時に大量の護衛艦艇を用意しろ、というのは無理があると思います。
 長いので2回に分けます。

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コメント

初めてお邪魔したものです。大内先生そんな著作も出されているのですか。興味をひかれました。探します。情報をありがとうございます。

ところでこの記事は何年のものなのでしょう。日付が見当たらないような・・・・・・・?

投稿: 鈴本 | 2019年7月30日 (火) 00時39分

そういえば、英国が悪戦苦闘していた時期(1941年だったでしょうか)を描いた海洋冒険小説を読んだことがあります。その作品はだいぶ古いものでして、復活の気配もなく消えていきました。私は気に入ったのですが、やはり暗い雰囲気が受け入れられなかったのでしょう。

投稿: 鈴本 | 2019年7月30日 (火) 00時44分

鈴木さん、この記事だけ見ると日付がありませんね。このブログの仕様のようです。2013-06-27のものでした。

投稿: MOY | 2019年7月30日 (火) 22時13分

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