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日本絶望三部作の後の再生、復活

 佐藤優著、文春新書、「人間の叡智」の感想です。タイトルだけ見ると哲学?と思えますが、「語り下し・サバイバル帝国論」とも書かれています。「「停滞」と「格差」を生き抜く「武器」を身に付けよ」とも。そういう本です。書かれたのは昨年7月なのでまだ野田政権で、現在と少し状況は違っています。
 この本でも現状、将来が厳しいことが指摘されています。そのままだと日本絶望四部作になりそうなんですが・・・そうはなりません。現在またこれからは新帝国主義の時代であると著者は主張しています。これは植民地分割をめぐる争いはおきにくい新しい帝国主義です。著者は帝国主義を弱肉強食を原理とし、相手国の利益は考えず、自らの利益を最大限主張し、相手が怯み、国際社会が沈黙すれば平然と時刻の権益を拡大する、ただし、相手が必死になって抵抗し、国際社会も反発すると、国際協調に転じるととしています。別に心を入れ替える訳ではなく、やりすぎると諸外国の反発を買い、結果として自国が損をする状況を冷静に計算して、妥協するとしています。これはまさにその通りでしょう。友愛だなんだ言う政治家もいましたが、現実には、著者の言う世界になっていくでしょう。
 そのような世界で日本は生き残るためにはどうするか?それには叡智が必要あるとしています。そしてそれは断片的な知識ではなく、知識をつなげて「物語」にしないといけないと主張します。そのために有識者、政治家(指導者)にはストリーテラーの能力が必要であるといています。
 そしてエリートが大事であると主張しています。「エリート」というとごく一部の上流階級やキャリア官僚のようなイメージを受けますが、著者の言うエリートは、その階層、集団、組織の中で指導的な役割を果たす人間、を意味しているようです。だから、エリートというよりも、プロフェッショナルという方が良いのかもしれません。組織のトップという意味の指導者とは違うのです。専門家といっても良いかもしれません。今の日本では専門家が信頼されなくなってきているが、これは大きな問題だと書かれていますから。ただし、専門家といっても、幅広い知識を持っていないといけないという考え方でしょう。専門分野しか知らないという専門バカではなく。

 著者の主張は理想論やヒューマニズムではなく、リアリズムでしょう。酷い世の中は正しくない、変えなければならないというのではなく、酷い世の中を生き残るのにはどうすれば良いかを説いています。ただし、そうはいいつつも、著者の考え方の根底にはキリスト教の思想があると思います。これはその人の成り立ちによるものです。ですから、私の考えたと違う部分も多々あります。
 キリスト教と天皇制は一見、両立しないように見えますが、著者は日本が生き残るためには天皇制が必要だとしています。ですが、天皇は元首でなく、あくまで象徴であるべきだともいっています。元首であれば、何かあった時に責任が生じます。責任を取らないで良い地位であることが大事だというのです。普通は、それは日本でよくあるいけないこととされています。著者が主張するのは国が生き残るためには物語りが必要で、日本の場合、それは天皇だということのようです。中国の場合、その物語つくりが出来ていないと著者は主張しています。

 「バカに民主主義は無理なのか?」と関係する面もありますが、ロシアのプーチン大統領が選挙で勝ったのは不正ではないといっています。何故か?相対的にましだったからロシア国民は選んだ(拒否しなかった)のだといっています。他の候補が酷すぎて、よりましなプーチンを選んだのだと。それでも、酷い場合には拒否できるから、制度としては正しいとしています。民主主義の価値はここにあるといっても良いでしょう。

 北朝鮮とイランの核は全然違うと言っています。アメリカはイランの核問題を重視しています。それは何故か?北朝鮮の核は体制を守るためのものであるのに対し、イランの核は戦争を引き起こす、他国に対して使われる可能性が高いからです。そしてもう一つ。イランが核武装する・しようとするとイスラエルが自国を守るために攻撃します。それを防ぐ必要があるからです。放置しておくとイスラエルとイランの間で核戦争が起こりえると分析しています。私もこれは同感です。イランのアフマディネジャド大統領はハルマゲドンを信じており、核の使用を躊躇しないと。これは本当にそうかはわかりませんが、そう想定して行動すべきでしょう。

 維新の橋下徹についても「橋下徹はファシストか」と章を設けて触れています。ハシストと言われるからなんですが、著者はファシストではないと言っています。ただし、それは必ずしも良い意味ではありません。著者はファシストを絶対悪とは考えていません。国際状況、国内状況によっては、相対的にましな体制の一つだと考えています。彼はポピュリストでもなく、その思想は「遅れてきた新自由主義政策」だとしています。ただし、単なるそれではなく、例えば、脱原発のようにぽポピュリズム的政策もあげていると。でも、結局、その後容認へ変換していますが、まだ脱原発に軸をおいているとしています。まあ、あまり評価していないような気もしますが、原発容認を多数の住民に支持を得るウルトラCに成功すれば、政治家として大化けするとしてはいますが。
 なお、著者は長期的には脱原発が望ましいが、帝国主義下では電力は必須であり、早急な脱原発ではなく、段階的かつ現実的に行われなければならないとしています。

 それと面白いのは野田政権の評価です。官僚に操られているというような評価もありますが、それまでの民主党政権と異なり、少人数で政策を決定する独裁的な政権であると評価しています。橋下市長よりも独裁的かもしれないとも書いています。脱原発集会への対応の評価も面白いです。6万人集まったものの具体的なスローガンは何もでなかった、集まっただけで終わり(無論、脱原発せよとはいった訳ですが)、次に10万人集まることもないだろうと考えたと。だから、音がしているというような発言になってのでしょう。「バカに民主主義は無理なのか?」では民意を無視していると酷評されていましたが、独裁的であるといえばその通りでしょう。でも、独裁的だから悪いとは言っておらず、民主党政権の中ではまともだと評価しているようです。

 なお、TPPは、自由貿易ではなく、保護貿易だから良いのであって参加すべきが著者の考えです。古い言い方をするとブロック経済でしょうか?日本はどのみち、アメリカとのブロック経済圏に入るか、中国とのブロック経済圏に入るかのどちらかを選択しなければならないでしょう。70年ほど前に失敗したように日本中心のブロック経済圏は成立しません。であれば、アメリカとのブロック経済圏に入るのが妥当でしょう。著者は中国は新・帝国主義にプレイヤーとして未熟でルールがわかっておらず、自らもどうすべきかよくまとまっていないとしています。この点、前者はともかく、後者は必ずしもそうは私には思えませんが。

 最後に「いかに叡智に近づくか」を述べています。簡単に言えば、本を読みましょう。自分の基本になる古典を複数(一つは駄目)持ちましょう、専門書だけではなく、小説や歴史物語を読みましょう、です。ストーリーテラーの能力が大事なので、小説や歴史物語を読まないといけないのです。東大でのキャリア官僚は、自分の仕事や専門の役に立たない本はまったく読まない人間が多いとしています。専門家が大事といっても、それだけでは駄目というのが著者の考えです。読書階層、知識人を育てないといけない、それが新・帝国主義の時代に生き残るのに必要だとしています。

 最後に日本はもう駄目か?決してそうではない、なぜなら、ロシアは復活したではないかと言っています。ソ連崩壊後、最低の時代からロシアは復活しました。必要なのは政治のリーダーシップ、物語形成能力だとしています。プーチン大統領が物語を作るののに成功したので復活できたと。また、インテリ層が厚かったからだとしています。その上で、ピョートル大帝以前にインテリはいなかったが、近代化のためには必要だとして無理やり作り出したともいっています。
 言い換えれば、日本もそれが出来れば復活できます。「バカに民主主義は無理なのか?」ではそれは難しいと感じられます。でも、佐藤勝氏は、明言していませんが、一般民衆はバカでもいい、エリート(繰り返しのべますが、それは必ずしも上流階級だけではなく色々な階層に存在する)がしっかりしていれば良いという考えだと思います。それは民主主義か?制度として民主主義があれば、とんでもない指導者が出てきた時には排除できます。だから、それでよいでしょう。
 最後に「すべては言葉からはじまる」と書いてます。先に数学は必要としています。国家や社会が生き残るためには連立方程式の解を解く必要があり、そのためには文系でも数学の知識が必要だといっており、それが今の日本では弱くなっているといっています。最後の最後で哲学とキリスト教に戻って(説明に使う道具が)きますが、気が付いたときには終わっている、形をなすのは、事後であると。過去の物語しか知ることが出来ない、過去の物語を知ることにより現在の物語を形成していく。だから、物語が大事であり、言葉の問題だと言っています。最後の一文を引用すると「日本が元気に立ち直るためには、日本人一人ひとりが言葉の使い方を変えて、国民を統合する物語をつくりだすしかないのです。そして、目に見えないものに想いをはせる。それが叡智に近づく唯一の道だと思うのです。」
 一見、皆でがんばろうといっているようにも見えるかもしれませんが、著者はそれが出来るのエリートだけであり、一般大衆は無理だと考えているのだと私は思います。だから、これはエリートやエリートになるべき人への言葉だと、私は理解しました。

 佐藤優氏は、キリスト教、神学、哲学を元にしているので、私にはなじめない、考え方が違う部分も多々あります。しかし、その著者を読むと文章に引き込まれるし、腑に落ちます。同意出来ない、違う考え方であってもそれを受け入れられます。これは不思議な感覚です。絶望三部作の後、この作品を読んで、絶望の淵から落ちそうだったのが立ち直れた気がします。全ては偶然(意図的に選んで読んだのではない)でした。本作品は出ているのに気が付いていなくて、先日本屋でふと見つけて買ったものです。それが絶望三部作からの救いになりました。

 佐藤優氏の特徴は、彼自身の信条と現実どうすべきかが異なっていることでしょうね。著者の部分部分に彼本来の信条は顔を出しますが、現実に対応するためにはどうすべきかとなると必ずしも本来の信条通りではないようにも思います。もっともエリートが大事というのは、なんだかんだいってキリスト教的なものなのかもしれません。神の下では人は平等ですが、間に聖職者がいます。それがエリートでしょう。

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