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道北戦争1979

 通勤時間が長くなったので本は読めるのですが、逆に感想などを書く時間がなくなってしまい、あまり書くことが出来ていませんが、最近読んだ本の感想を一つ。
 木元寛明著、「道北戦争1979 シビリアンコントロール機能せず」光人社NF文庫の感想です。
 昔、近未来戦小説が流行った時期があり、その中に佐野稔著「北海道の11日戦争」というのがありました。どうやらそれに対して、ここは違うだろうという思いがこの作品を生んだようです。著者の木元 寛明氏は戦車連隊長も経験した陸自の戦車屋です。なので、戦車屋として、こうだっただろう!というのを小説にしたと思われます(あとがきなどから)。現代戦の過去の架空戦は珍しいですが(近未来戦が中心なので)、もう30年以上前の話ですから、WWIIの架空戦記とあまりかわりませんね。もはや現代戦とは言えないでしょう。

 1979年7月4日にソ連軍が稚内方面へ上陸し、戦争が始まります。これは当時良く想定された状況です。ソ連軍は稚内とその左右(オホーツク海方面と手塩海岸方面)の三方面から侵攻し、自衛隊は正式な防衛出動命令が出る前に可能な限りの備えをしてこれを迎え撃ちます。その先はネタバレになるのでどういう結果になるかは書きません。

 疑問に思った点だけを述べます。

 APFSDSとHEAT-MPを装備していますが、この段階ではまだだったと思うのですが?1979年の段階ではAPDSとHEPだったと思います。同じ著者の別の本(「戦車隊長 陸上自衛隊の機甲部隊を指揮する」光人社NF文庫)では、HEAT-MPは平成4年頃から部隊に導入されたと記述されています(184ページ)。また、APFSDSも色々みると1980年代半ばからのようですが??

 当時、最新鋭だった74式戦車が北海道には相応に配備が終わっていたようです。ただ、本当にそこまで配備が終わっていたのかなと疑問に思う部分もあります。第七師団はまだ機甲師団化されていません。各師団の戦車大隊、戦車群は74式が配備されています。でも、少なく見ても300両程度配備されていることになりますが、さて?5年でそこまで配備されていたかどうか?登場した九州の部隊はまだ61式でしたが。年間80両の調達だったとすると5年で400両ですが、1979年の調達分は間に合わないでしょうから、4年で320両。うーん、まあ、ぎりぎり配備終わっていますか?

 対空装備の欠如を作品中強調しています。確かに当時は、今と比べると貧弱で、少数の対空機関砲(牽引式のL90とM42)があっただけで、携行対空ミサイルすら装備されていません。ですが、その影響が作品中ではほとんど描写されていません。これだと別に問題ないと思えてしまいます。

 シビリアンコントロールや有事法制の不備を大きな問題だと指摘していますが、結果的にはなんとかなってしまったように思えます。話の流れの都合もあると思いますが、問題ありとしつつ、なんとかなってしまうのは、どうなんでしょうね。

 海自が北転部隊の輸送の護衛位でしか登場しません。確かにこの頃の護衛艦は対空能力が今と比べると低く、ソ連機の攻撃には耐えられなかった可能性がありますし、対艦ミサイルも装備されていませんから、上陸阻止に登場することはないでしょう(難しいでしょう)。が、空自は相応に活躍していますので、制空権はソ連側が一方的に握っているという設定ではなかったようです。なら、反撃の際に艦砲射撃などを行っても良いのではないかなとも思いました。また、潜水艦はもっと活躍できたと思います。潜水艦なら、正式な防衛出動命令が出なくても(超法規的な措置になるかもしれないですが)行動は可能です。まあ、陸の戦車屋からは見えないということで、実際には相応に攻撃を行っているということかもしれませんが。
 立場が違えば視点も違います。もし、海の潜水艦乗りが同様の小説を書いたとしたら、陸はおされっぱなり、制空権握られて空もまともに反撃できず、水上艦部隊は対艦ミサイルくらってやられ、唯一潜水艦だけが反撃する、というような話になるかもしれません。

 私ならまた違う物語にしますという部分は多々あります。でも、さうが戦車屋という部分もあり、昔の近未来戦記のほとんどよりは良くできていると思います。当時のは正直、あまり良い出来ではないものも多かったですから。

 ただ、最大の問題は、何故、ソ連が攻めてくるのか、その説明でしょう。史実では、ソ連の侵攻はありませんでした。その理由はいくつかあると思いますが、私なりにまとめてみると以下だと思います。

1.技術的難易度
 当時のソ連軍の揚陸能力は限られており、強襲上陸は1個師団かそこら程度に過ぎなかったと思います。規模が小さいとはいえ、4個師団が守る北海道を攻めるためには、攻撃側3倍原則から言えば、12個師団必要です。ソ連の自動車化狙撃兵師団1個師団の戦力を陸自1個師団の倍*と見ても、6個師団必要です。上陸戦であることを考えれば3倍ではすまないでしょう。
 稚内方面だけに限ってみたとしても、第二師団だけが守備しているとしても、最低3個師団、戦力を倍と評価してもやはり2個師団は必要でしょう。しかし、それだけの輸送力があったのか?なかったように思います。仮になんらかの理由で米軍がすぐに参戦できない(しない)としても、空自、海自も妨害に出てきます。水上艦は排除できたとしても、潜水艦による攻撃は完全には防げません。時代が後になれば、海自の対空対艦能力が向上しますし、空自も同様です。
 いくらソ連軍とはいえ、補給は必要ですが、その補給もほぼ海路に頼るしかありません(ある程度は空輸もあるとしても)。陸続きの大陸とは違います。平時なら輸送コストは低いですが、戦時はそうともいえません。攻撃に対する弱さは陸路よりも海路でしょう。

* 陸自は連隊の下に大隊がなく中隊です。なので、中隊の数だけで比較すると半分どころか1/3から1/4程度に過ぎませんが、ソ連の狙撃兵(歩兵)大隊は規模はそう大きくはありません。歩兵の数で見ると陸自普通化中隊との差は意外と少ないです。とはいえ、戦車、装甲車などで見れば確かに強力です。戦車の数だけを見ても倍はありますし、装甲車はもっと差があります。砲兵もこの当時では倍近い差があるでしょう。対戦車火器もまだ貧弱です。総合的に見れば、2倍とみても良いと思います。

2.戦略的必然性
 もちろん、北海道を入手できればソ連にとって大きなメリットはあります。しかし、それは必要なコストなコストはメリットに見合うものでなければなりません。第三次世界大戦が勃発し、全面戦争になっているのであれば、戦力の余裕があるかどうかだけが問題ですが、そうではなく、冷戦状態だったとすると、局所戦を起こしてまで北海道(稚内だけでもいいですが)を占領する必要があるのか?米軍がどれだけ手を出すかははっきりしないとはいえ、最悪、米ソ戦争を引き起こします。そこまでのリスクをおかしてまで、北海道を取る必要があるでしょうか?私には無いと思います。
 本作品では、道北に限定して侵攻し、宗谷海峡確保する、ことを目的としているようです。明確にソ連側が言っているのではなく、迎撃する自衛隊側にそうではないかと言わせていますが。確かに道北を占領すれば長距離対艦ミサイル(当時はまだ日本にはなかった)以外の脅威を排除できます。航空攻撃に対しても宗谷海峡以南に対空ミサイルなどを配備することによりかなり防げるでしょう。
 が、しかし、ソ連による宗谷海峡の通行が妨害されるのはいつでしょうか?それは平時ではありません。有事です。つまり、日本(またはアメリカ)とソ連が戦争状態になった時です。平時であれば妨害はありません。妨害されていない状態で、侵攻して確保すれば、今度は日本側に妨害する大義名分を与えることになります。道北を占領しないと当時の手段でも攻撃は可能です。また、海峡そのものは確保してもその出入り口で潜水艦などによる攻撃を受けます。つまり、宗谷海峡の通行(自由で安全な)のために侵攻すると逆に通行が妨げられます。まさに本末転倒です。
 もし、第三次世界大戦が勃発し、日本側が妨害に出てきた状況であれば、通行の安全を確保するための侵攻はありえますが。

 結局、簡単ではなくかつコストに見合ったメリットがないので発生しなかった、と思います。

 なので、納得出来る架空戦記にするには、何故、侵攻してきたのか?という部分をより説明する必要があると思います。今回は、もし、侵攻してきたらどうなっていたかのより重点がおかれていましたが。

 ただ、第三次世界大戦が起きない想定で納得出来る説明をするのは簡単ではないでしょう。アメリカが閉じこもって、日米安保が破棄されて、日本を攻撃しても、精々安保理から非難される程度、という状況から起きるかもしれませんが、その場合でも、傀儡政権の樹立は必要でしょうね。よくある手ですが、日本人民共和国政府が樹立され、それを助けるため、というような大義名分は必要だと思います。

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