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世代間格差

 この文章はしばらく前に書いて、一度見合わせたものです。極論、暴論だと自覚しています。

 民主党を支持していませんし、野田政権に期待はしていませんでしたが、それまでよりは相対的にはましだと思っていました。しかし、やはり政策は私の希望・主張とは異なっているようです。
 消費税増税を通すために公務員の人件費削減を打ち出してきました。それそのものは良いとしても、問題はその手法です。新規採用を減らすといっていますが、これは間違っていると思います。人件費が高いのは年齢が高い世代であって若い世代ではありません(若いキャリアは50代のノンキャリよりも高給かもしれませんが、キャリア同士ならやはり年齢が高い方が高給でしょう)。同じ仕事をするのに必要な人数であるなら、悪い言い方をすると40代、50代を切って、20代を増やす方が人件費は抑制されます。
 倒産寸前または会社更生法適用後に上も切って、全体的に給料も抑えて、新規採用も減らすというのならわかります。しかし、新規採用だけを減らすというのはいかがなものでしょうか?勿論、全体的な給与削減もされますので、新規採用だけを減らすというと言い過ぎでしょうが、削減するのなら、全体を見て、不要と思われる組織をなくす・減らすのが本来あるべき姿ではないでしょうか?重複している部分があれば、そこは削れます。
 誰か(すみません、ちらっと見ただけでソース思い出せません)が民主党は既得権を守る政党だと批判していましたが、そう受け取られても仕方ないでしょう。
 若者が正規雇用者になかなかなれないことが問題になっているのに公務員の採用を減らすとますます雇用機会が減ります。
 誰かが犠牲にならなければならないのなら、それはこれまで恩恵を得てきた世代であるべきだと思います。もちろん、50代を人員削減したとして、それらの人が再雇用の機会が得られる確率は採用されなかった若い世代が他で就職出来る確率よりも低いかもしれません(多分、低い)。しかし、どちらかを取れというのなら、若い世代を取るべきです。
 再雇用の話も出てきました。単純に定年延長よりはもちろん良いですし、能力が低い人間は再雇用しないということのようではありますが、しかし、それよりも若い世代の雇用を確保する方が先ではないでしょうか?人件費の総額が同じならそうすべきだと思います。

 公務員に限らず、民間も対象に含めて述べますが、評価と給与の制度も抜本的に改めるべきでしょう。なんだかんだいって、日本では長くいれば給与は高くなります。乱暴に言えば、首にならない程度に仕事をすれば、徐々に上がっていきます。なので、能力が相対的に低い40代、50代の人間の給与は、能力が相対的に高い20代、30代の人間の給与よりも高いのです(能力が高い40代、50代や能力が低い20代、30代も当然います。経験を加味すれば、その方が多いかもしれません。しかし、どうみても無能なのに相対的に高給もらっている人間は決して少なくありません)。同じ仕事をより早くより正確に終わらせることが出来る人間でも、若いというだけで給与は、同じ仕事をより遅くより不正確にしか終わらせられない40代、50代の人間よりも低いのです。
 これは不公平と言えませんか?これを改めるためには、ある程度まで(5年とか精々10年)は、少しずつ給与は上がるものの、その後は、能力が低ければ、それ以上あがらなくなる(場合によっては下がる・・・下限は設けるとしても)という制度にすべきだと思います。勿論、能力が高い場合には、年齢によらずどんどんあげていきます。
 給与を標準給と能力給に分けるとも言えます。以下の金額は職種・会社などにより異なると思いますので、数字は説明をわかりやすくするためのの例です。
 新入社員の標準給15万で、年1万ずつ上がって、5年目で20万になって、これが全社員の標準給です。能力が上がらなければ、定年までずっと20万です。それに加えて、実績に基づいた能力給が支払われます。ボーナスは全て能力給です。つまり、最低限度の能力だと年240万(何かしらの手当は他につくでしょうけれど)が定年まで続きます。反面、能力が高く、実績をあげれば、20代でその何倍ももらえることもありえます。勿論、実際には物価による上昇はありえますが、それは除外して考えて下さい。

 これなら公平です。努力し、能力を向上させ、頑張って結果を出せば、それだけ給与は上がります。努力せず、能力が低いままで、怠惰にすごせば、ずっと上がりません。しかし、最低限度は保証されています。

 また、職種にもよりますが、残業手当を廃止し、裁量性にするのも有効だと思います。同じ仕事を残業せずに手早くすませた人と、時間がかかって(または意図的にゆっくり)、残業してやった人を比べて、後者は残業手当がもらえるというのはおかしいでしょう。勿論、時間を切り売りしている訳ですが、組織側からすれば後者への残業手当は能力が十分なら支払わずに済んだものです。
 裁量性にすれば、同じ仕事をするのに時間がかかる人の時間賃金相当額は下がります。つまり支払い額そのものは仮に同じでも、結果的に能力に応じた賃金になると言えます。サービス残業が増えるからよくないという話もあるとは思いますが、それは仕事量で調整出来るはずです。
 事務仕事なら標準作業時間を設けてそれで仕事を与えれば良いのです。自動車などの部品交換やディーラーオプションの装着などには標準作業時間が設定されており、それでユーザーに請求する工賃が決まります。同様のことは他の職種でも出来るはずです。標準作業時間よりも早く終われば、結果的に時間賃金相当額は高くなり(余った時間を使えるから)、遅くなれば、低くなる(自分の時間を使わないといけないから)のです。これなら公平でしょう。そして、「残業」は管理職が命じた場合のみ行うのです。残業手当も標準作業時間に応じて支払われます。標準作業時間が1時間の仕事の残業を命じられた場合には、1時間分の残業手当です。30分でやっても4時間かかっても同じです。

 勿論、工場のラインのように個人の裁量の余地がない職場も多くありますので、全ての職場で出来るとはいいません。工場のラインなら、その仕事の内容に応じて賃金を決めるべきでしょうね。物作りであっても個人の裁量の余地がある場合なら、結果に応じた賃金でもいいでしょうし、裁量性でもいいでしょう。例えば、全行程を一人でやるのなら、それをどのようにこなすかは個人の裁量にゆだねることも出来ます。
 また、逆に仕事量が不定な職場でも裁量性は無理でしょう。例えば、「なおす」仕事。人間相手なら病院。機械相手なら保守作業。どれだけの仕事がいつくるかは働く人にはわかりませんから、裁量の余地は余りありません。また、消防や警察、海保、それから自衛隊なども裁量性という訳にはいかないでしょう。
 それでもかなりの職場で裁量性へ移行出来ると考えています。ちなみに私自身、裁量性です。ですが、本来は裁量性は不適切であろう仕事をしています。それでも、個人的には裁量性でよいと考えています。さっさと片づけられればさっさと帰るようになりましたから。夜中に電話で呼び出されることもありますが、平均すればそう多くはありません。総合的に考えると、会社よりも私が得していると思っています。

 以上は理想であって、現実には問題が多いことも判っています。一番の問題は、仕事の配分、能力、実績(成果)の評価、です。
 仕事の配分は現実には多くの問題が、現在の制度でも生じています。ですので制度の変更で状況が大きく悪化することはなく、むしろ相対的には良くなると思います。ただし、管理職次第で大きな問題が生じるのは確かですし、そのリスクは相対的には高くなるとは思います。しかし、従来明文化されていなかったものが明文化されるようなものだと思っています。つまり、従来もいた無能や横暴な管理職の行為が従来よりも明確になりやすくなるとも考えます。残業命令(制度上は命令することになっていても実際には自発的にやらせたり、口頭で伝えるのみの場合が多い)も標準作業時間1時間分の残業を命令という風に記録に残ります(そうでないと残業手当の支給が出来ない)。救済措置も必要でしょう。管理職の命令が不適切な場合、組織内の第三者にその裁定を依頼出来るような仕組みは必要です。

 能力、実績の評価も、基本的には現在の査定と同じで上司(上司の上司も含むでしょう)に判断が主になるでしょう。しかし、現実にはそれが必ずしも公平・正確とは言えないことも多いと思います。それは何が問題かと言えば、要するに管理職への昇進が適切な評価で行われていないことにあると思います。言い替えると成果主義と言いつつ、そのスタートの段階で成果主義にもとづかない管理職が多数いると、その後、うまくいかないと言えます。逆に言えば、成果主義を長く続ければ、次第に管理職になるのは実際に能力が高い者だけになっていくのではないでしょうか?その過程では、色々な問題はおきますが。しかし、かとってやめてしまうのはもっと問題でしょう。
 もう一つは、例えば、営業職なら売り上げというわかりやすい数字があるので、評価は簡単ですが、事務の場合には数字では評価しにくいというのはあるでしょう。ただ、これは、管理職の能力が高ければ解決出来ると私は思っています。皆さん、自分の職場で、あの人は仕事出来るし、優秀だけど、あの人は駄目だという風に思うことはあるでしょう?そう思う人の評価が適切であれば、どんな仕事であっても評価は出来ます。
 ただ、どこまで高く評価すべきかというのは確かに難しいです。数字で結果が残らない職域の場合、やはり何かしら目安は必要でしょうね。例えば、通信簿と同じで5段階評価にするとか(実際、そうなっている会社・組織は既にたくさんあるでしょう)。
 また、同じ組織(公務員だと会社ではないので)でも、部署によって仕事・人材の偏りはありますので、部署内での相対評価にすると、他の部署でなら5をもらえる人が別の部署では3しかもらえないというこもあります。やっている仕事・能力は同じでも部署により給与が変わるのは不公平です。部署単位での成果にどれだけ貢献できたかというのも見るべきでしょうから、ある程度の変動がでるのはかまわないとは思います。理想は組織全体での絶対評価でしょう。が、巨大な組織であればそれは難しいでしょうから、先に組織単位での相対評価がなされ、更にその下の組織単位での相対評価・・・・個人の相対評価という風にやるべきでしょうか。
 例えば、全部で1000人いるとして、評価5が100人、4が200人割り当てられるとします。評価3以下は割り当ては無くします。評価2や1をつけるべき人間だけにその評価をし、別に能力・業績が極端に悪くなければ、5/4以外全員3でいいシステムにします。言い替えると、高い評価をして良い枠だけを設けるのです。要するに予算をそれだけ与えるとも言えます。現状(私の会社もそうですが)、低い評価もかならず割り振るようになっている場合が多いようですが、これだと組織間格差で低く評価されてしまう場合があるので、それはやりません。あくまで高い評価を出来る人数だけ限定しておきます。組織が1から5まで200人ずついるとして、それぞれの組織の成果に基づいて、更に割り当てていきます。評価5の組織には5:30人、2:60人とか、評価1の組織は5:5人、2:10人とか、そういう風に。組織の評価=管理職の評価です。これで理論的には相対評価でも概ね公平な評価になるはずです。
 でも、やっぱり現実は難しくで、簡単にはいきませんね。これをやると何が起きるかというと自分の組織、自分自身本位になっていくでしょう。失敗しそうな仕事は他へ押しつけて、成功しそうな仕事だけをやるたがる組織・個人が増えるでしょうし、失敗した時に複数の組織・個人でやっていた場合、責任のなすりつけあいが起きるでしょうし、責任を取らない組織・個人も増えるでしょう。
 また、高く評価してもらおうとして、不正を働くこともあるかもしれません。ま、これはそれを見つけて処分することにより、防止(減らす)しかないでしょうね。

 また、競争が激しくなるので、ストレスが増えて、病気になる人も増えるかもしれません。皆がライバルになってしまい、職場の人間関係が悪化するかもしれません。

 でも、それは今でも既にあります。また、先ほど述べたようにある組織の評価が上がれば、その組織に属する個人に高い評価をしやすくなる制度にすれば、少なくともその組織の中では協力しあうことも期待出来ます。皆が頑張れば皆が高い評価を得られるのですから。

 いずれにしても、管理職にはより高い能力と適性が求められます。それは別の言い方をすると年功序列だけで管理職に任命すると組織が崩壊するとも言えます。つまり、年齢によらず、能力と適性をもった人物が管理職になれるようになっていくと考えます。

 弊害はあると思います。部分的に生じた不公平で不利益を被り人もでるでしょう。しかし、それでも、全体として、少なくとも制度は公平なものにしておけば、長期的に見れば、今よりも公平な組織になると私は思います。

 以上はいわば、現役世代の中での世代間格差の是正の話です。次はその前後(上下か)も含む話です。

 従来、寿命が短かった時代には高齢者は貴重でしたから、尊重され、保護されるべき存在でした。しかし、いまや、高齢者は珍しくありません。この先もどんどん増えていくと思われます。であれば今度は相対的に貴重になる若者を尊重し、保護すべきではないでしょうか?

 若い世代が安定した収入を得られるというのは、更にその次の世代へつながっていきます。40代、50代はその若い世代の親で、親の収入が減少することは、若い世代へ影響を与えることもありますが、別の方法もあるでしょう(もっと使いやすい奨学金制度など)。

 暴論(それが良いと主張する訳ではなく、あくまで極端な例として)を言えば、60歳以上の世代を切り捨ててその分の予算を子供を含む30歳以下の世代へ振り向ければ、人口は一度減るものの、また次第に増えてくることが期待出来るのではないでしょうか?削られる60歳以上は悲惨です。個人的な貯蓄・収入源が無い場合、いわば、のたれ死にするしかなくなりますから。しかし、同じ財政負担で、若年人口の増加ははかれると思います。高齢化している日本という国を治療するには、人口ピラミッドの上を切り捨ててでも、下を増やすことが必要というか、そうでもしないと出来ないでしょう。それ位、危機的な状態にあると思います。

 もちろん、実際にそんなことをすれば、今の若い世代は将来に不安をいだきますし、40代、50代はも近い将来の死刑宣告を受けるに近く、うまくはいきません。裁判も起こされるでしょうし、暴動も起きるかもしれません。

 ですが、相対的に見れば、同じ財源なら、上よりも下により多く振り向けないと日本という国が死にます。建て直して、余裕が出来てからでしょう。上への手当を増やす(元に戻す)のは。

 以上、極論、暴論承知で述べました。

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