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2010年6月

お祭り騒ぎの中、一人沈み込む

 サッカーWカップ、日本は勝ったそうですね。皆さん喜んでいることでしょう。でも、私は一人で沈み込んでます。
 昨日は酷いことばかり起きた一日でした。会社や個人上でも酷いことが続いた上に発表されたエリーゼが値上げされていました。従来のエリーゼSはエアコンオプションでしたが、それと合わせて約505万。新しいエリーゼはエアコン標準で510万。5速から6速になったといっても、精々同額。導入時のレートの違いを考えれば、やはり値上げでしょう。
 個人的には安くなるものだと思っていました。悪くてもエアコン標準で同額程度だと思っていましたから。そうしたら、ポルシェはユーロ安でも値上げする悪い会社が、ロータスは違う、ちゃんとレートを反映してくれる良い会社なんだと相方に言うつもりでした。でも、これではポルシェと同じ・・・。勝手な思いこみといえば、そうなんですが、ますます難しくなっていきます。

 そして寝る前に気が付いたニュース。成瀬弘氏事故死。信じられない。
http://zarutoro.livedoor.biz/archives/51474185.html
 動画ですが、コマ送り出来ますので、写真のように見ることも出来ます。この映像(地元TVのニュース?)を見る限り、現場は左コーナーで、LFAはイン側の道路からはみ出した場所にいて、BMWはほぼセンターライン上でイン側にノーズを向けてとまっています。日本と違って右側通行ですから、LFAは確かに反対車線に飛び出していると言えます。BMWは最終的には中央に位置していますが、衝突前はどうだったかはわかりません。
 LFAはフロント右側の損傷が酷いように見え、BMWも同じくフロント右側の損傷が酷いように見えます。BMWはフロントガラスも破損していますが、右側はルーフから撮れています。左側はそのままです。これからするとお互いに右フロント同士で衝突したように思います。
 もし、これが日本や英連邦圏であれば、速度超過で曲がりきれずにLFAがセンターライオンを越えてはみ出して対向車とぶつかったという事故でしょう。しかし、ここは左側通行です。単純にそういう事故にはなりません。BMW側が最初に対向車線にはみ出したとしたら、左側同士がぶつかるはずですから、衝突の状況はこのようにはなりません。
 相手のBMWもテストカーらしいので、お互いにドライバーはプロです。単純に「対向車線にはみ出して」そのままぶつかったということはないでしょう。
 可能性を考えるとイン側には木が生い茂っています。ブラインドコーナーであったように見えます。であれば、LFAがイン側につけて走っていて、そこにBMWが前からやってきて発見した時にはもう衝突が避けられなかった、とするとBMWの右とLFAの右がぶつかるでしょう。ただし、それはLFAがインベタで走っていてBMW側は特に回避運動を行わなかった場合の話です。テストドライバー同士でそういう素人みたいな事故が起きるでしょうか?
 また、車線や規制速度を守っていたとまでは言いませんが、テスト中に公道のブラインドコーナーにインベタで進入するとは考え難いです。
 そうすると最終的な衝突状況が生じたのは何らかの理由により衝突が避けられない状況が発生し、双方が回避を試みた結果ではないかと思います。LFAはある意味、綺麗にイン側のガードレール沿いにとまっていますので、挙動を乱したのはBMW側かもしれません。例えば、イン側にいたBMWがテールスライドを起こし、アウト側へ流れているところにLFAはある意味がさしかかれば、私ならブレーキングしつつイン側へ逃げます。BMWが姿勢をなんとか立て直したか一度インへテールが流れて再びアウトへ流れた状態でぶつかれば、このような状況になるかもしれません。また、BMWは姿勢を乱していたとは限りません。姿勢は正常であったものの衝突した後にアウト側へテールが流れることは不自然ではありません。ただ、LFAはある程度の時間イン側をコースにそって走行していたとすれば交通法規的な話は別にしてBMWは制御可能ならアウトへ逃げられるようには思いますが・・・。

 LFAのキャビンは映像で見る限り顕著な変形は見られません。エアバックのような白いものも助手席に見えますが、エアバックかどうかはあっきりしません。映像は右側からなので運転席側は良くわかりませんが。それでもBMWと比べるとキャビンの損傷は少ないように見えます。何故、これで死ななければならなかったのでしょう・・・・。

http://www.express.de/news/panorama/lexus-testfahrer-stirbt-bei-frontal-unfall/-/2192/4354552/-/index.html
 別の動画。これだとLFAの様子がもう少しよくわかります。フロントガラスはひびは入っているものの原型をとどめています。40秒目位に運転席側が少し見えますが、ステアリングのエアバッグが作動していないようにも見えます。助手席の白いものはシート内蔵のサイドエアバッグのようにも見えます。その後、血のついたヘルメットが地面におかれています。どちらの物かはわかりません。BSのステッカーははってありますが、どちらもBS使いますから。
 ただ、いずれにしても、キャビンの変形はほとんどありませんし、何故、これで死亡したのかはわかりません。変な言い方ですが、車自体は丈夫だったので変形しなかったものの加えられた衝撃に人間が耐えられなかったということはあるのかもしれません。

 事故原因はBMW側は一名重体、一名重傷だそうですから、証言によりわかるでしょう。素人ではないですから、比較的正確に状況を説明出来ると思います。勿論、正直に証言してくれれば、ですが。

 成瀬氏の業績は評価が分かれる部分もあるでしょう。関与した全ての車が「名車」という訳ではありませんし、疑問が残るものもあります。ただ、彼はあくまでテストドライバーであり、全てを決められる訳ではありません。それでもMR2は彼が手がけた作品です。それだけで私は評価します。トヨタFRスポーツで最高の出来だと思える80スープラも彼の功績でしょう。アルテッツァには疑問を感じますが・・・。
 LFAは彼の遺作になってしまったとも言えます。こういう事故は販売に影響を与えるとは思いますが、一応は販売自体は終了しているので、大きな影響はないかもしれません。
 それよりもFT-86、私が呼ぶところのスバルクーペへの影響が大きいでしょう。社長一人でがんばれれば良いですが・・・・既に延期されていることも踏まえると、もしかして、この事故のせいで、世に出ないまま終わってしまうかもしれません・・・。

 ご冥福をお祈りいたします。

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零式艦上戦闘機

 読書感想文です。前に良書であると紹介された新潮選書の清水政彦著、「零式艦上戦闘機」を今頃ではありますが、読了しました。一言で言えば、「素晴らしい」です。帯に「新説搭載 俗論撃墜」と書かれていますが、まさにその通りです。良書であっても大概、部分的には「それはちょっと違うのではないか?」と思える部分が少しはあるのですが、この本にはそれがありません。むしろ、鵜呑みにしないようにしないと、批判的に読まないと、著者の事実誤認にもとづいているかもしれないと考えないとと、そのまま信じないように自分に言い聞かせる必要があった位です。
 勿論、全てが「新説」ではなく、既に指摘されている点も多く含まれてはいます。しかし、過去、少なくとも私は他でそのような主張を読んだことがない主張が多いです。そしてそれらは決して突飛な主張ではなく、ある意味では当たり前のことです。ただ、従来、それに気が付いていなかっただけ。

 私は最大のポイントは「20mm機銃」にあると理解しました。20mm機銃を装備したことが悪いという訳では決してありません。著者はそれ自体は評価しています。搭乗員の証言を元に20mm機銃は直進性が悪く当たらないということが定説になっていたと思いますが、著者はそれは勘違いで、7.7mmや米軍の12.7mmと比較して、顕著に悪い訳ではなく、見え方の問題であるとしています。そしてこれは極めて重大な問題を引き起こしています。
 図がないとわかりにくいので、本で欲しいですが、著者の主張は機首を引き起こしながら射撃を行った場合、7.7mmは照準機の中の敵機に対して直進しているように見えるが、20mmの弾道は下へ曲がって落ちているように見える、しかし、実際にはこれは機首上げのためにそう見えるのであって、20mmの弾道そのものはほぼ直進している、7.7mmは直進しているように見えるが搭乗員から見えにくくなったところで実際には同様に下へ曲がっていく(実際にはこれも直進状態)。この差は機首に装備されているか、主翼に装備されているかの違いと20mmは最後まではっきり見えやすいの対して7.7mmは距離が離れると見えにくくなるあらであるとしています。
 言われてみればその通りです。両者は200mm先で弾道が交差するように調整されており、その位で極端に弾道が下落することは本来はありません。曲がって見えるのは、搭乗員の目から見えた相対的な弾道に過ぎないというのはその通りだと思います。
 そしてこれが生み出した重大な問題は・・・・極めて衝撃的なことですが、日本の搭乗員の射撃が下手、であるということです。7.7mmは目標に命中しているように見えて、20mmは下落しているように見えるとすると、照準は正しくて弾道特性の問題で20mmは当たっていないように思えてしまいます。しかし、実際には7.7mmも命中していませんし、照準は正しくありません。20mmの下落して見える弾道に合わせて照準しなければならないのです。これに気が付かないと、正しい射撃が出来ません。結果、操縦技量は高くても射撃が下手な搭乗員が出来上がります。著者は当時正しい教育がされていなかったようだとしています。それについては本当のところどうかはわかりません。わかりませんが、仮にそうだとしたら恐ろしい話です。勿論、エース級はそれを正しく理解した上で照準していたのでしょう。

 では、米軍はどうか?著者は操縦は下手でも射撃はそこそこ上手なのが多かったのではないかとしています。上手というよりも、期待命中弾数は米軍が多かったであろうというのが正しいでしょうか?つまり、12.7mmは20mmと違って携行弾数が多いので、射撃しながら修正出来ます。そうすれば最初の照準がずれていても、弾道に合わせていけば当たります。
 それに対して零戦はどうか?著者は直接書いていませんが(と思うけど)、20mmは弾数が少ないので、20mmで射撃しながら修正、とはいかないでしょう。であれば、まずは7.7mmで射撃しながら修正を行うでしょう。そして、7.7mmが命中しているのなら、その時20mmを撃てば命中するはずです・・・はずですが、それは本当に7.7mmが命中しているのなら、です。前述の問題で実は照準は正しくないのに見た目命中しているように見えた時に20mmをいくら撃っても当たりません。そして弾道は下落して見えます。7.7mmが命中しているはずの敵機が平気なのは威力が低いからだと考えてしまえば、実際には命中していなくても気が付きません。

 私は、いや、実際にはそうではなかった、ちゃんと海軍はそのことをわかっていて教育していた。ただ、それが不徹底だった、十分な時間が取れなくなって、そういう未熟な搭乗員が増えてしまったのだ、そういうことであったと信じたいです・・・祈りたいです・・・。

 機銃についていえば、著者はもっと早く7.7mmを13mmに出来なかったのかとも述べています。もし、最初から機首の機銃が13mmであれば、もっと違った結果になっていたかもしれません。

 もう一つは裏表紙に書かれている「零戦と米軍機の勝敗を分けたのは、性能(ハード)ではなく運用(ソフト)だった!」という指摘です。これは部分的には類似の指摘はあったかもしれません。しかし、実例を出しつつ明確にまとめて指摘したのを読んだのは私はこれが最初です。
 搭乗員はここでは「性能」側に含められています。勿論、最低限度の技量は必要ですが、熟練パイロットがいれば勝てる、いないと負けるという訳ではないという主張をされています。重要なのは早期警戒を含む防空体制や支援機能(基地機能)の有無だとしています。それらが整っていたラバウルや本土では、健闘しており、それが無かった孤立した島や南方では惨敗しているとしています。戦争末期ですら、本土での迎撃戦闘では相応に健闘している、と主張しています。ついでに言えば、紫電改の三四三空とそれ以外で戦果に大きな違いはないともしています。
 搭乗員の練度については米軍はずっとそれほど高かった訳ではなく、戦争初期に熟練パイロットを失った後(1942年後半)は技量の低いパイロット中心に戦っていたとしています。それでも、運用でカバーして戦い抜いたというのが主張です。
 良くある話ですが、米軍は操縦技術そこそこの技量のパイロットを大量に養成(ただし、射撃だけはちゃんと教育した)し、仕組みをちゃんと整えて、それで戦い抜いた。日本は個人芸に頼る結果になり、仕組みが整えられず、運用が全般的に下手だった、ということです。

 序盤の勝利は熟練パイロットが多かったせいではなく、状況(幸運も含む)が日本側に有利であったせいだとしています。また、ラバウルがあれだけの激しい空襲を受け続けても耐え続けた(この本でも述べられていますが、最終的にはラバウル自体が屈服したのではなく、トラックが壊滅したため、ラバウルに存在価値が無くなっただけ)のは、ラバウルでは運用体制がとどのっていたからです。決して少数の熟練パイロットが奮闘したからではありません。架空戦記ネタ的に言うと、運用がちゃんとしていればもっと戦えた、と言えます。

 他にも機体の強度や降下制限速度自体は低くなかったとか色々ありますが、個人的には、我が意を得たりと思ったのは、米軍でも対空砲火はたいして当たらないということです。日本軍の対空砲火はほとんど当たらないが、米軍のは凄くて、大きな被害を出したと言われることが多いです。特に南太平洋海戦ではサウスダコタなどの対空砲火により大損害を被ったと言われ、マリアナ沖海戦でもVT信管によりばたばた落とされたと言われることが多いように思います。しかし、従来から私は防空の基本は戦闘機であり、対空砲火は補充的なものであり、米軍ですらそれほど実際に撃墜している訳ではないと主張しています。著者も同様に主張をしています。
 サウスダコタは、恐らく参加した搭乗員に強い印象を残し、凄かったと証言していること、航空機の被害が大きかったことから、対空砲火にやられたというイメージが出来上がったのでしょう。
 また、結果的には対空砲火の効果もあるのでしょうが、遭難と書かれていますが、要するに撃墜されなかったものの、母艦にたどり着けずに失われた機体も相当数あるのではないかともしています。米軍側はわりあいそういう数字が出てきますので知られていますが、日本側は未帰還=被撃墜と考えられているように思います。

 ミッドウェーでの搭乗員の被害はそれほどではなく、また、ガダルカナルの消耗戦も全体でみればそう大きかった訳ではないとしています。そして、空母については南太平洋海戦での被害が多く、海軍航空隊全体でいえば、1943年に大消耗したとしています。

 つまり、ミッドウェーはターニングポイントでもないし、ガダルカナル攻防戦は戦争の結果を決めるほどのものでもない、ということです。局地的な激戦に過ぎなかったと言えます。確かにガダルカナル攻防戦で消耗してしまったのなら、その後、ラバウルが持ちこたえたのは理解出来ませんね。

 興味深いのはガダルカナル上空での戦いで、大損害を受けた時は、最初の空中戦が発生せず、地上目標に対して銃撃をくわえていたところをやられたり、深追いして奇襲されたり、など戦術的ミスが生じた場合に多いのではないかともしています(当たり前ですが)。それらも含めてトータルで零戦とF4Fの損害比率は劣勢、贔屓目にみてほぼ同じであったとしています。ガダルカナルの戦いは、装備体制とも劣る米軍が巧みな運用で粘り強く戦い続けた結果、勝ち抜いた、というのが著者の評価でしょう。言い換えるとやり方次第では勝てたとも言えます。

 細かい部分を書き出せば切りがないのでこれ位でやめておきますが、とにかく読んで見て下さい。

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ルーテシアRS試乗

 先日、試乗したもう一台は(順番から言えば4台目中の3番目)は、ルノー ルーテシア ルノー・スポールです。長いのでRSと略します。
 前回、中古車として売約済みになっていて試乗は出来なかったのですが、今回、試乗車があったんです。話をしていて気になってしかななく、乗せてもらいました。普通のルーテシアとの違いは5ドアに対して3ドアというのと顔とお尻の形が違うのが外観上の大きな違いです。後はタイヤが215/45R17とそれらしいタイヤになっています。形は好みもあるでしょうが、それらしくてなかなか良いです。リアにはディフーザーもついています(ちゃんと空力考えているらしい)。
 シートはバケットタイプの素晴らしい出来です。極めて快適です。足下もまずまず。テレスコはないですが、概ねポジションは問題ありません。少しステアリングが寝ていますが、まあ、許容範囲内です。クラッチは軽めですが、シフトの感じはMitoと違ってちゃんと手応えがあり、すかすかしません。ま。内装はシートを除けば黄色いタコメーターのステアリングにセンターを示す黄色い線がある位で、普通のルーテシアと後はほとんど変わりませんが。

 さて、発進。ははは、こりゃ全然違います。素晴らしい乗り心地です。もうちょっと走っただけでノーマルのルーテシアとの違いがわかります。RSが一番快適です。トゥインゴなんか当然比較にならないし、ノーマルのルーテシアも比較になりません。すんばらしい!!
 シフトフィールもなかなかいいです。ブレーキの感じだけ少しつかめなくて、ヒールアンドトゥが最初うまくいきませんでした。シフトダウンは慣れたらOK。エンジン音もいいんですと暑いので全開になっていたエアコンを弱めてくれましたが、エンジン音なんてどうでもいいです。運転しているだけで、とにかく楽しいです。あ、いや、音はやっぱり大事ですよ。上まで本気で回せはしませんでしたが、良い感じです。直四の良い音です。ピー太郎やピー次郎とは違います。4AGに通じるものがあります。
 慣れてくると最初に気が付かなかった部分が少しずつわかってはいきます。さすがにタイヤは215/45R17ですから、ある程度は路面の凹凸を拾ってごつごつ感が出ます。とはいえ、なっちゃん(ゴルフ5)だって、195/65R15なんて丸いタイヤでもこの位はあります。更によくよく感じ取るとトーションビームのせいか、リアの動きに少しだけばたつき感がありますが・・・でも、それはトーションビームだからという先入観によるものかもしれません。
 まだ暑くならない季節か、暑さが終わった頃に窓を開けてワインディングでエンジン音を聞きつつ走ると楽しいでしょうね。また、そこらを走るのにも快適ですし、楽しいと思います。実に素晴らしい。FFだなんてことを忘れます。とにかく快適です。ピー太郎よりはましとはいえ、ピー次郎も慣れたら(とタイヤの最初の良い時期が終わったら)、やっぱり、987だねという乗り心地が顔を出してきましたが、それとは全然違います。
 いやあ、ずっと乗っていたかったです。いいな、これ。久しぶりのヒットです。FFだとインテR以来でしょうか?歴代でいっても、実際に運転した中では普通の初代フォーカスを抜いて、インテR、MG-ZTと並んでベスト3に入るでしょう。試乗する機械が無かったフォーカスST170はこれよりも良かったかもしれませんが・・・。また、試乗を希望すれば出来たものの、買うことはないからと試乗しなかったフィエスタSTはこういう車だったのではないかあと思いますが、エンジンはこっちが勝っているでしょうね。2LNAで200馬力ですから。でも、乗り心地だけ見れば、FF最高かも!?
 いやあ、いいです。でも、非常に残念なことに安全基準の問題(歩行者をはねてボンネットぶぶつかった時に怪我の度合いを軽減するためにボンネット下のクリアランスの基準を満たせない)により8月一杯で輸入出来なくなるので、もうこの素晴らしい車は買えなくなります。でも、とりあえず、6月中に注文すれば色はまだ選べるそうです。色を気にしなければもう少し後でも買えるとのこと。黄色と緑は特注色で15万高いそうですが、黄色が人気なんだろうです。ルノーのイメージカラーだからかな?やっぱり?納車直前の黄色が一台あるというので見せてもらいましたが、なかなか良い感じです。私は緑が好きなので、緑かな?青もいいけど、ルノーの青は定番過ぎますしね。
061710rs
 実に快適ですし(ゴルフ梅もこれには負けるかも。静粛性は上でしょうが、乗り心地はこっちが上でしょう)、3ドアとはいえ、まともな後部座席もあるので、なんとか相方号に・・・・は無理ですね。やっぱり。いくら最近は95%は私が運転手とはいえ、相方の車ですからMTはね・・・。でも、この車ならちょっと練習すれば運転出来るようになる気もするのですが・・・・駄目かなあ。ああ、シートヒーターがないかあ。まあ、それは電気敷き毛布みたいなのでカバー出来ないかなあ。
 うーん、惜しい。実に惜しい。車自体はFFであることと仏車であること以外に何ら問題はありません。細かく見ても、リアがトーションバーが感覚的に気になるのとステアリングがやや寝ていること位です。とはいえ、FFの仏車を自分の車として買えるかというと・・・・やっぱり踏み切れませんね。でも、ピー太郎をピー次郎に買い換える前だったら・・・・行ってしまったかもしれません。うん、あの時だったら、あのピー太郎の非快適性とくさったATに嫌気がさしていたあの時だったら、FF?それがなんだ、仏車?ルノーはロータスにエンジン供給していたお友達だい!といって買っていたかもしれません。
 実際問題、昔と違って、お山で本気走りなんかしないので、FFでも問題はないでしょう。なっちゃんでFFの練習もしたし(笑)。ちょっとワインディング走行や普通のお出かけなら、FFだからといって問題になることはまず考えられません。私のFF嫌いはあくまで限界走行での挙動の問題と理屈上の毛嫌いですから。実際にフォーカスST170ならいいかなと思ったこともありました。

 FFに抵抗がないMT乗りの方々へ。もし、そろそろ乗り換えてみようと思っていたら、是非、試乗して見て下さい。これを気に入らないという人はまずいないでしょう。いるとしたら、もっとパワーがないと駄目な人位ではないかと(もしくは、町中で現行シビックRを気にせず乗れる人か(笑))。仏車が基本的に嫌いで、FFが嫌いな私がこれだけ褒めるのです!どれだけ素晴らしいかわかるでしょう!!!ああ、もう一台買えたらなあ・・・・いや、まあ、とめる場所はなくはないか・・・・ま、お金は無いか(苦笑)。

 でも、惜しい・・・、欲しい・・・。うーん、馬鹿みたいに同じことを繰り返しますが、本当に、すんばらしい車です。でも、フォーカスSTと同様に縁はないのでしょうね・・・。相方乗せたら気に入らないかなあ?あの人、良い物は理解出来るから・・・・でも、やっぱMTは無理かな?じゃあ、ATの小さいのを別途用意して・・・・うーん、やっぱり4台目じゃないと無理か・・・・。まあ、これが4台目に来たら、車庫の前に置くしかないから、車庫の中の車がほとんど動かなくなってしまいますね。野ざらしはかわいそうだからカバーはするだろうし、そうするとますます残るゴルフかこれしか動かない(笑)。

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試乗記三連発

 先日、会社が創立記念日で休みでした。例年、晴れていれば、箱根などに行くのですが(梅雨時なので晴れることは少ないですが・・・)、体調は余り良くなかったで断念。かといって家にいると暑いで、Bセグ選手権?の試乗していない車の試乗に行ってきました。
 まずは、シトロエンDS3 Sport Chic。これは1.6ターボのMTです。もちろん、相方号として検討するのはATですが、それはChicで、1.6のNA。タイヤも205/45R17と195/55R16とかなり違います。サスペンションも相応に違いはあるそうです。でも、DS3の試乗車はこれしかないので仕方ありません。C3との比較をすればある程度は参考になるでしょう。
 ポジションはまあまあ。少しシートが高い気がします(こういうスポーツグタイプにしては)。クラッチは軽めです。シフトフィールはMitoよりは手応えありますが、軽めで、やはりすこすこ入ります(回転が合っていなくても)。
 走り出したらすぐにC3との違いはわかりました。こっちは普通です。やや硬め。でも、MTでターボという車だということを考えると相対的には硬い方ではないでしょう。タイヤが薄い(205の45だから)ことを考えると上々。確かに路面が荒れていると突き上げはきます。きますが、C3のようにいつまでも揺れが収まらないという訳ではありません。まあ、エリーゼやインテR並とはいきませんが、まずまずです。概ねポロと同等でしょう。タイヤサイズが同じなら同じ位ではないかと思います。
 動力性能はまあ十分。上まで回してはいませんが、スペック通りということではないかと。悪くないです。悪くはないですが・・・・DS3を選び理由に欠けます。ATはこれよりも柔らかいでしょう。どの程度かはわかりませんが、営業氏の言うのはこれよりはC3寄りだと言うことですので柔らか過ぎるかもしれません。そして3ドアで、4ATで、シートヒーターもない。うーん、候補にはなりませんね。C3にはあのフロントガラスという飛び道具がありますが・・・。という訳で、シトロエン、リベンジならず。ま、想定された結果で、それを確認したようなものですが(苦笑)。

 次ぎはルノー・トゥインゴ。ルーテシアが期待外れに終わったルノーですが、雑誌などではトゥインゴも乗り心地が良いと書かれています。また、先代ルーテシアのプラットフォームを流用しているとのこと(現行、ルーテシアは日産と共通のBセグ用プラットーフォーム。乱暴に言えば、マーチと基本は同じ)なので期待出来ます(先代ルーテシアの乗り心地は良かったです。パワステは超変でしたが。)。3ドアだったし、ルノーならルーティアの方が良いだろうと考えて前回は試乗しませんでした。が、先日、素のトゥインゴが148万、GTが178万と実質値下げ(特別価格というものの)された広告を見て、相方が安いねと言っていたこともありますし、なんとかVW以外に良いのがないかと思うので、試乗することにしました。
 が、行ってみたら、素の試乗車はありません。あったのはGT、それもフジツボ製マフラーなどをつけたLimited2。ただ、タイヤやサスペンションはGTと同じで、素も基本的には変わらないということなので、乗り心地を見るために試乗させてもらいました。
 前回、ちょっと座った時にはいまいちな気がしたシートですが、運転してみると気になりません。ポジションは・・・シートが高すぎます。それとステアリングが寝過ぎています。一応、チルトもしましたが(テレスコは無し)・・・まだトラックみたい・・・は言い過ぎか・・・オリジナルミニみたいです。足下はやや右側にオフセットしている気がしますが・・・これはいつもの人間の問題。一般的に言えば、右ハンドルでも違和感なしというべきでしょう。
 走り出したら・・・ははは、こりゃ不合格です。荒っぽいです。(^^;まあ、ルーテシアも乗り心地が良いと言われていたのに、乗ったらそうでもなかったこと、それよりも一クラス下の車であることから考えればわかることかもしれませんが、乗り心地が良いとは言えません。
 ただし、駄目な車かというとそうとも言えません。相方号としては不合格ですが、MTのコンパクトカーとして見ると評価はまた違います。シフトフィールはまあまあで、ステアフィールも悪くはありません。乗り味は荒っぽいですが、でも、MTをコキコキ駆使して走り回る車、としては結構いいです。うん、楽しいかも。上質とかそういう言葉とか縁がありませんが、ある意味、このクラスの車、本来の味を持っていると言えるでしょう。
 動力性能も十分です。マフラーで少しパワーが上がっているらしいですが、1.2のターボで、100馬力14.8kgmのノーマルとそう極端には違わないでしょう。1040kgという車重を見ると上は伸びないものの、ほぼNAのAW並の動力性能はありそうです。トラクションの差でヨーイ、ドンすればAWが勝つでしょうが。素だと75馬力の10.9kgmなので、ややつらいかな?980kgとだいぶ軽くはなりますが。
 後で、タイヤが185/55R16と175/65R14と違いが結構あることに気が付きました。素ならそんなに酷くはないかもしれません。ただ、非力なので、素のトゥインゴにこそMTが欲しい気もします。所謂、セカンドカーとしては結構いい車だと思います。最近、国産車でほぼ絶滅したボーイズレーサーとしてはお勧めの一台でしょう。GTは装備もまずまずなので、178万なら高くはありません。ライバルはスイフトスーツ位しか国産車にはないですし、輸入車でも直接競合する車はないでしょう。うん、ターボとFFが嫌いでなければ、人には勧められる車です。ルノー、見直しました。ただし、今の我が家には要りません。4台目にあると便利でしょうけど、さすがそれは。(^^;ま、後、私はターボは嫌いですしね。でも、乗ると楽しいです。

 さて、最後はプジョー207。Bセグ選手権、最後のエントリーカーです。まあ、一応、確認してみないとね。206が相方にがーがーライオンと言われて以来、試乗はまったくしていません。私自身がフランス車は元々好きじゃない・・・はっきり言えば嫌いなので、興味を持たないのはあたりまえです。特にプジョーは嫌いですから。ルノーとシトロエンはロータスつながりで拒否反応まではありませんが。 
 207についての知識は、206よりも大型化した、顔もでかくなったし、ライオンマークもでかくなった、ということ位です。
 実物を見ると・・・やっぱりでかいです(苦笑)。Bセグというよりも、Cセグですね、これは。長さはそうでもないですが、幅が1750という数値通りゴルフ並です。顔もでかいせいもあるかもしれませんが(苦笑)。試乗車はCieloという最上級グレード(SWやCCは別にして普通の5ドアハッチバックの中の)。250万なり。308の一番安いのが254万なので、ポロとゴルフよりも差はありません。
 まあ、ともかく、走ってどうかです。シートはハーフレザー(座面はファブリックで端がレザー)で、なかなか良いです。うん、このシートはいいです。ポジションもまずまず。ステアリングもルノーと違ってわりと自然(寝ていない)。センターコンソール上部の良く時計がついている辺りに外気温計があり(時計もある)、バックに入れるとここにバックソナーの図が出てきます。簡単な図ですが、障害物との距離がわかりやすく表意されます。VWにも同じようなのがありますが、VWだと純正オーディオのパネルの中に表示されるので、カーナビをつけると無くなってしまったりします(メーカーオプションのナビは別にして)。207はオーディオも普通の2DINの内上に普通のカーオーディオがついているだけ。下に1DINのナビを入れることも出来ますし、2DINのナビをそのまま入れ替えることも出来ます。
 ヒューズボックスやフロントボンネットのオープナーが左にあったりするのは生まれが左ハンドルであることを暴露していますが、まあ、それほと使う物ではありません。変なところはなく、結構いいです。強いて言えば、アームレストが運転席と助手席に独立してついているのですが、これがサイドブレーキをひくのに邪魔なるし、小物入れになっていないので、ちょっと不便な位。
 リアはシート自体はいいです。足下に余裕はありませんが、ポロよりは上、ヘッドクリアランスがやや不足しますが、ゴルフのリアよりも快適性は上かもしれません。
 さて、発進。うーん?うん?ちょっと硬め?でも、悪くはないですね。予想と違うだけで。仏車というよりはVWみたいな感じ。ただし、営業氏に伝えると、おろしたてですからと。ありゃ?走行距離29kmだって(笑)。なるほど、その点は考慮しておくべきでしょう。
 うーん、ちょっとシフトレバーが遠いかな?ここはC3と同じかも?私の手が短いだけかもしれませんが。動力性能は十分です。後でスペックを見ると1270kgもあって、結構重たいのですが、下のトルクがわりと出ているようで、なっちゃんのようにとろくはないです。ルーテシアよりも速い感じがします。馬力荷重、トルク荷重はほぼ両者同じ。ルーテシアの方が軽いから二人乗車だと207の方が実際の馬力荷重、トルク荷重で勝っているはずだから、動力性能は体感の通りで正しいでしょう。
 乗り心地は最初は少し硬く感じましたが、走っていると意外と良く感じてきました。そして何よりも驚いたのは、上質感、があることです。先代の206は相方により、ガーガーライオンと命名されたような車でしたが、その後継車とは思えません。これには驚きました。Cセグ並の大きさになったと言いましたが、中身ももうCセグ並でしょう。それもCセグの中でも上質な部類です。
 ただし、動力性能は不満はないとはいえ、4ATがその上質さを打ち消すこともあります。シフトダウンしたり踏み込んだりした時にやや、相方風に言えば、エンジンがうなります。通常はわりと静かなだけにこの時だけ、Bセグに戻りますね。
 うん、見直しました、207。最上位グレードのため、装備も充実しています。グラスルーフはあれば楽しいでしょう。サンシェードも内張のある立派なもので、引けば普通のルーフの内側と同じです(トゥインゴGTにもグラスルーフはあったものの、こっちは、ひよけ、みたいな代物。(^^;)。HID以外の装備は何でもついています。ヘッドライトはHIDではないもののステアリング連動して照射方向が変わるとか。使わないだろうけどクルーズコントロールまであります。レザーシートを選べばシートヒーターもつきます(21万のオプションですが・・・)。
 いやはや、これは予想外です。206とはもうクラスが違いますね。驚きました。では、有力候補になるか?うーん、2位にはなるのですが、やはりこれでもポロは越えられません。やはり難点は4AT。計算上の100km/h巡航時にエンジン回転数は約2850回転、なっちゃん(ゴルフ5のE)だと2550回転、ポロ1.2TSIだとなんと2140回転。やはり4ATでは6ATや7DSGにはかないません。試乗した時にも4ATがやはり気になってしまいました。まあ、後は相方が実際に乗ってどうかではありますが・・・。
 もう一つの問題は、エクステリアデザインです。はっきり言えば、我が家の好みには合いません。それから色も相方好みの色がありません。従来色では駄目だったVWですが、ポロは黄色があるので今回はポロなら色は問題ないのです。
 308は6ATが導入されましたが(ゴルフ5と基本的には同じアイシン製)、それがもし、207にも導入されれば、ポロといい勝負でしょう。いや、質感はポロよりも上ですから、その時に色と形の好みさえあえば、ポロを越えるかもしれません。うん、見直しました。

 仏車3社を一日で試乗してみた訳ですが、当然ながら違いますね。先日のC3も含めて、やっぱりシトロエンはちょっと変わっています。残念ながらその方向性は我が家にはあいませんでした。ルノーは悪くはないのですが、上質さとは無縁。ただ、本来のAセグやBセグらしい車だとは思います。MTで乗るのならいいでしょう。そして、プジョー。批判を恐れずに言えば、一番日本車っぽいです。もう少し言い方を変えると日本に一番合っている気がします(カーナビ含めて)。ついでに言えば、3カ所のディーラー全て実は同じ会社(GST)だったりしますが、対応は全然違います。シトロエンが商売気がない(のかC3/DS3好調でがつがつしていないのか)です。ルノーはフレンドリー?「車好き」という感じを受けました。プジョーは最初の対応やセールストークを含めて、トヨタディーラーみたいな感じ。そういう意味でも一番、日本車に近い気がします。

 Bセグ選手権は、結局、優勝はポロ1.2TSI、2位が207、3位にミニクラブマン、それと同率でTCTが導入されたことを前提にして、Mitoでした・・・・で終わりにしたいところですが、実はもう一台試乗しています。一日に4台は新記録です。そしてそれは実に素晴らしい車でした。ちょっと例外的ではありますが、Bセグかといえば、Bセグです。個人的にBセグ優勝はその車です。でも、それはまた日を改めて。ひっぱるなって?(^^;

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桶狭間の戦い:MOY仮説(ちょっとだけゲームリプレイ風)

 義元は出陣前にうなっていた。予定されている作戦に動員可能な兵力が思ったほど多くは無いためだ。本来なら、三河衆を主力にしたいところであったが、水野に備える必要もあり、また、尾張との国境には織田に備えて兵力を相応に残さなければならなかった。結局、三千程度しか動員出来なかった。主力は松平勢で、その高い戦闘力は多いに大いに期待出来るが、数は千程度に過ぎない。かといって駿河から多くの人数を出す訳にはいかなかった。同盟を結んでいるとは言え、武田と北条に接している駿河をがら空きには出来ない。また、駿河からでは尾張は遠く、大軍勢を移動させるのは無駄だった。結局、主力は遠江衆にせざるを得なかった。とはいえ、武田への備えは残さなければならないし、五千程度が限界だった。それに義元が率いる旗本衆二千、合計一万が動員可能兵力だった。それらも本当のところどれだけの人数が集まるかは始まってみないと分からないが。
 信長はどれだけの兵を繰り出してくるであろうかと考えた。鳴海城と大高城の付け城に既に合計すれば二千程度の兵を張り付けている。未だ、尾張一国を統一しているとは言えず、水野ら知多半島の軍勢も今回は動かせないだろう。こちらが尾張との国境の兵を動かせないのと同様に織田も三河や美濃との国境の兵は動かせまい。すると精々二千か三千か。合計しても五千には届かないだろう。ならば、まあ、一万でも大怪我することはなかろう。それに信長が出てくるとは限らない。二万は動員したかったが、一万でも織田と比べれば大軍である。馬鹿正直に向かってくるとは思えなかった。一度付け城を排除し、こちらが引き上げたところでまた出てくる、そういうところであろうと思った。信長が出てこないのなら、熱田まで押し込んでみるか、そう思った。

 義元は三州の兵を四万五千動員したと喧伝し、尾張へ向けて出陣した。実際には三河で動員した小荷駄の三千を含めてその三分の一にも満たなかったが。

 5月18日、大高城へ兵糧を運ぶこませるために、松平元康率いる二千五百の軍勢を先発させた。その内訳は、岡崎衆と松平諸家の合計千、菅沼、奥平らの三河小領主が五百、それと小荷駄千だった。東海道を織田が西進してきた際の備えに瀬名氏俊に千を与え、桶狭間周辺に陣を構えさせた。義元は残る兵と共に沓掛城に留まった。義元は信長の動きを見てから動くつもりであった。
 織田方に動きはなかった。丸根砦、鷲津砦の織田勢は合計で五百程度に過ぎず、妨害されることなく、大高城へ兵糧が運び込むことが出来た。一部は大高城の南側から西側にあった織田方の砦を攻めたが、既に織田は兵を引いており、戦いは生じなかった。日暮れ時になったので、丸根砦、鷲津砦攻めは翌朝行うことにした。

 5月19日
 義元は松井宗信に二千、井伊直盛に千の兵を与えて早朝、先発させた。桶狭間から東海道を進み、中島砦の前面の山地に陣取らせた。義元自身は残る五千(うち鳴海城へ補給を行うためなどの小荷駄二千)を率いて遅れて出発した。五百は念のため沓掛城に残した。
 早朝、松平元康は手勢を二つに分けて、自身は丸根砦を攻撃し、半数を大高城にいた鵜殿長照と朝比奈筑前守に委ねて鷲津砦を攻撃した。被害は出たものの、両砦を陥落させた。
 昼前には、松平元康らは中島砦の南側の山地へ進出、松井宗信と井伊直盛も南西側の山地へ進出した。義元本隊は桶狭間の先までは街道上を急ぎ、その後は隊形を整え、周辺に布陣した。
 義元の元には鷲津砦及び丸根砦攻略の状況が報告されてきていた。鵜殿長照が負傷し、松平勢にかなりの被害が出ていることが報告されたため、大高城へ下がり、休息することを命じた。また、負傷した鵜殿長照らはそのまま帰国を許された。

 織田の主力は信長らは丹下砦から善照寺砦に進出してきたのが確認出来た。その直後、一部の織田勢が討って出てきてが、松井宗信がこれを短時間で撃破した。
 信長は更に中島砦へ移動した。その頃、松平元康は休息のために大高城へ移動を開始した。松井宗信は、それに伴い西側へ陣を移動させた。そして、義元は本隊を前進させた。
 義元は信長は動けまいと思った。信長の手勢は精々二千程度にしか見えない。松平元康を下げたとはいえ、まだ、八千の兵がいる。もちろん、少数で大軍を相手にする場合には、打って出ることも重要だが、先程、打って出てきた織田の一隊が壊滅したばかりである。恐らく、しばらくにらみ合った末に信長は引くのではないかと考えた。そしてふと、その後、鎌倉街道から沓掛城をつかれはしないだろうかと不安を覚えた。沓掛城には五百の兵を残してきたが(元々の守備隊と併せて合計約千)、もし、信長が引き上げると見せかけて、鎌倉街道から沓掛城を攻めてくると退路を断たれる恐れもある。そして、瀬名氏俊に沓掛城へ移動し、鎌倉街道を警戒するように命じた。

 結果的に義元は戦力分散の愚を犯してしまった。引き上げるか、そのまま動かないと思っていた信長は中島砦から打って出てきた。当初は松井宗信に向かっているように見えた。しかし、そこで急に東から強風と共に大雨が降り出し、雹も混じった。今川の軍勢はこれにより混乱した。ある者のは木陰へ逃げ込み、ある者はしゃがんで頭を下げた。またある者は雨に背を向けた。大高城へ向かっていた松平元康は大雨の中、急いで大高城へ逃げ込んだ。

 雨が上がった時、今川軍の陣は乱れ、兵は散らばってしまっていた。そこへ信長が突入してきた。前進していた義元本隊の前備は一挙にけ散らされ敗走した。義元はこれを見て一旦、後退して立て直すことを決意した。
 更に進撃を続ける信長は義元の塗り輿が放置されているのを見つけた。そして、三百人程に守られて後退していた義元もついに捕捉された。何度も踏みとどまって応戦していた義元の旗本らは次第に数を減らし、最終的に討ち取られた。
 松井宗信は手勢をかき集めて信長を追いかけて来たが、義元を討ち取って勢いに乗る織田勢に粉砕され、討ち死にした。井伊直盛も包囲され討ち取られた。

 大高城に入った松平元康は、特に命令も来ないので休息していた。戦いが行われていることはなんとなく感じられた。今川が負けるとは思わなかったので、今回はもう自分らの出番はあるまいと悔しがっていた。いずれにしても疲労により動くことは出来なかった。夕刻近くになり、義元討ち死の知らせが届いた。
 松平元康に謀略であるとし、大高城の守りを固めるように命じて動かなかった。夜に入り、水野信元の使いがきて、どうやら義元討ち死には間違いないと確信し、最終的には、松平元康は岡崎へ戻った。

 今川勢の敗走後も、鳴海城は落城しなかった。岡部元信は何度開城要求の使者を送られても拒否し続けた。織田も守兵の少なかった沓掛城は攻め落としたものの、鳴海城は過去、何度も攻略に失敗しており、力攻めすることは避けた。
 最終的に今川と織田との間で、義元の首を返還する代わりに鳴海城を開城し、岡部信元は退去することで決着した。
 こうして戦いは織田の勝利に終わり、今川に侵食されていた地域を一気に奪回した。

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 とまあ、こういう風にしてみました。延々悩んだわりにはつまらない結論ですが(苦笑)。一応、オリジナリティがあるのは、 朝比奈泰朝は参加しておらず、丸根砦と鷲津砦は、比較的少数の松平ら三河勢と大高城在番の今川勢で攻撃したという点です。そして、一度は織田から見える場所に前進し、信長にあの武者は大高城へ兵糧を運び入れ・・・と言わせます。しかし、次の戦闘が始まる前に大高城へ引きます。なので、実際に織田勢がぶつかるのは新手の今川勢ですが。後はどうにもならんので雨のせいにしてしまいました(苦笑)。
 朝比奈泰朝が参加していないとしたのは、明確にそう判断できる根拠がないのと大高城の規模が小さいためです。信長公記至上主義を取るのなら、二砦を攻めた今川軍の部隊長は元康であるとしか言えません。そこに朝比奈泰朝がいたとしたら、今川家の中の上下関係ははっきりしないにせよ、元康の下に朝比奈泰朝がつくはず、とは言えないでしょう。記録が残っていないのは朝比奈泰朝が徳川幕府で大名や旗本として生き残っていないこともあるでしょうし、神君家康公の業績を強調するために省かれた可能性もあるにはあります。が、武徳編年集成には朝比奈が攻めたと記述されていることを考えると、時代が近い記録にないのは不自然です。ですので、私は参加していなかった可能性が高いとここでは考えました。そして大高城に上番した記録のある朝比奈筑前守(輝勝?)が砦攻めに参加した記録が何らかの形で残り、これが朝比奈備中守泰能と誤認されたのではないかと考えます。朝比奈筑前守は鵜殿長照と交代したという説もありますが、共に上番を命じられた書状が残っているだけです。交代したとは書かれていないようです。鵜殿長照が増援として大高城に入ったという解釈も出来ると思います。
 そのため、大高城方面隊は元康率いる比較的少数であったと考えました。そうであるが故に二砦攻略でかなりの被害をだし、疲労し、大高城で休息することになり、肝心の信長と義元の戦いに関与出来なかったのだと判断しました。そうでないと朝比奈泰朝率いる部隊が何もしなかったというのは困るのです。そして、大高城はそれも休養出来るほどの規模には思えません。
 そういう風に考えていくと今川の兵力は言われているよりも少なく、大高城、鳴海城への補給物資を運ぶ部隊を除けば、動員された今川の兵力は1万程度にとどまるのではなかろうかと考えたのです。
 私は当時の文章を読む(文字通り文字を読むこと。現代語訳ではなく。)ことは出来ませんし、一次資料を直接調査してもいないし、出来もしません。なので、他の方が調べたことを元にしていますので、これが正しいと主張する訳ではありません。あくまで、色々見た結果、私にはこう思えるということを述べたに過ぎません。
 正直なところ、義元が破れた最後の戦いの状況はやっぱりわかりません。ある程度の推測は試みましたが、結局、荒天のせいにするしかありませんでした(苦笑)。

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C3試乗

 はやぶさのカプセルもあっさり回収されましたね。やはり名前が良かったかな?「ひえん」とか「はやて」だったら帰ってこれなかったかも(苦笑)。

 さて、書ききれなかった先週末分の試乗記です。珍しくもフランス車!理由は乗り心地に期待したこととあのルームまで伸びているフロントガラスを相方が気に入ったからです。

 夕方に行ったので暇しているかなと思ったら意外とにぎわっていました。C3/DS3は売れ行き好調だそうです。幸い、タイミングは良かったのでそれほど待たずに試乗出来ました。

 試乗車はC3のベースモデル。209万円なり。上級モデル(239万円)と比べるとエアコンがマニュアルになったり、オートライト・レインセンサーが無かったり、パーキングアシストが無くなったりしますが、それほど大きな装備差がある訳ではありません。ああ、ただ、ESP(VSCの類)もないのですね。これは問題かもしれません。が、ともかく、快適装備・贅沢装備はそう差がないです。そして、オートライト・レインセンサーがあるとバックミラーの付根からセンサーの配線が上へ伸びていき、せっかくのグラスルーフ(ではないけど、真上をみないとほぼそういう感じ)に太いカバー付の線がはしって邪魔です。装備を気にしなければ、ベースモデルの方がいいのではないかと思います。

 サイズはこれもポロやMitoとほぼ同じ。全長は4m以内ですが、幅は1.7mを少し越えています。室内空間は必要にして十分です。リアは最近、試乗したこのクラスの中ではもっとも余裕があると思います。

 フロントシートは仏車らしく柔らか目です。ちょっと座りが悪い気がします。それと背中から腰の辺りにかけてもちょっとしっくりきません。駄目なシートだとは思いませんが・・・。それと一番下に下げても少々シートが高い気がします。相方も同様に感じたようです。もっともお陰で視界は広いですので、まあ、これは悪いことではないでしょう。後はポジション合わせは問題ありません。

 エンジンかけたらアイドル状態では静かです。相方から静かだの声があがります。最近のこのクラスの車の静粛性は向上していますね。さて発進。ありゃあ?私だけではなく、相方もありゃという顔をします。うーん、なんだろう、これは。今まで乗ったことがない感じ。相方は違う乗り物みたいと。
 4ATですが、1200kg(正確にはベースグレードは1190kg、上級グレードは1210kg)で、120馬力なので、必要にして十分な動力性能です。マニュアルモードはあるのですが、シフトレバーが短めでかつ下側についているので、手から遠くやや操作しにくいです。反応はまあ普通のAT。
 エンジン音は回転が低いとまずまず静かなんですが、回すとうるさいです。4速しかないのでややひっぱり気味にせざるを得ません。ただ、それでも相方はなっちゃん(ゴルフ5)よりは静かだと言います。助手席だと耳から入る音だけなのが、運転席だとステアリングやペダル経由で伝わる部分もあるので、相対的に音量が大きく感じるのかもしれません。それと音質があまりよくないですね。
 ステアリングは軽め。でも、極端に軽い訳ではありません。が、フィーリングはいまいち・・・というか手応えが良くわかりません。

 さて、最初に明確に書かなかった点であり、かつこの車を検討した最大の理由でもある乗り心地です。一言で言えば、不合格。はっきり言えば、酷い乗り心地です。ここ最近、試乗した中で最低。がっかりしました。わざわざ仏車の4ATしかなく、シートヒーターも付かないC3を試乗したのは乗り心地が良いという評判を聞いたからなんですが、どこが良いのでしょうか?
 脚は柔らかいです。タイヤは195/55R16なので、それほど薄くはありませんが、この手の実用車にしては厚くもありません。どちらかと言えば、標準よりは一段スポーツよりでしょう(欧州では185/60R15なんかが普通かも)。それでこの柔らかさは脚でしょう。
 しかし、柔らかければ乗り心地が良い訳ではないことを証明してしまいました。路面の凹凸で衝撃はがつんがつんきませんし、こつこつもきません。が、揺れが収まるのが遅いのです。ぼよんぼよんしています。エリーゼと正反対です。エリーゼはガツンときましたが、一発で収まります。これを「乗り心地が良い」というのです。ま、最悪はガツンガツンきた上に収まりが悪い車ですが(苦笑)。
 正直申し上げて、私は走り出してすぐにこれは駄目だと思いました。また、シートの相性もやはり良くないようで、妙に人間が揺れます。相方は酔いそうだと。慣れもあるでしょうが、これは少なくとも我が家向きではありません。
 あのフロントガラスは魅力的でしたが・・・・。という訳で、C3、不合格です。これではポロには勝てません。フロントガラス以外で全ての面で負けています。あ、まあ、ベースグレード同士なら装備でC3が勝る面もありますが、ポロはESPは標準。欧州車はコンパクトカーでもVSCは標準なんて嘘ですね。そうでないのもあります。
 これならDS3の方がよさそうです。もっとも、ATだとタイヤサイズはC3と同じなので乗り心地も大差ないかもしれません。DS3のMTは・・・意外といいところに落ちているかも?一度は、試乗して比較して見たい気はします。ただ、相方はもうシトロエンにはいかないといっているので、一人で時間があれば、かな?それとMTとATで差があると意味ないですね。MTで自分の車というのはシトロエンはありえませんから(譲ってもルノー位まで)。だったら同じエンジンのミニにします。

 Bセグ選手権、ポロの圧勝です。一番サイズが小さく、ベースモデルなら値段は同等、唯一の7速DSG。走行性能は一番上、装備も上位グレードならシートヒーターを始め充実(オートライトだけない)。乗り心地もまずます。そして5ドア。どうやっても他は勝てません。
 ま、207がまだ残っていますが、どうでしょう?乗り心地で期待した仏車勢はルノーもシトロエンも期待外れでしたから・・・207も駄目だろうなあ。まあ、逆に期待しないと乗ると良かったり・・・するかなあ?やっぱり私に仏車は合わないということなのでしょう。機会があれば試乗してみたいと思いますが。
 ポロの次は現段階で参加資格を満たしていない(MTだけ)MitoのTCTならミニカントリーマンと並んで同率2位でしょうか?いずれも3ドア(カントリーマンは4ドアというべき?)で、後席への乗り降り、荷物の積み込みが面倒。

 あー、おもしろくない。VWばっか。他にいい車ないのかなあ?国産車がCVTばかりというのがそもそもいけないのですよねえ。あっても、4ATだし。国産車がんばれ! 

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Mito試乗

 はやぶさ、帰ってきましたね。後はお土産が入っているかどうかですが・・・まあ、これはもはや二の次でしょう。元々採取が目的ではなく、往復することが目的だと思っています。採取は予算獲得のための名目でそう。行って帰ってくる技術を確立することが本当の目的だと思います。

 桶狭間の結論はまだ悩んでいて、またまた延期です(苦笑)。その代わり、試乗記を。

 相方が美容院にいっている間にMitoに試乗してきました。行ったのは港北ですが、対応してくれた人から以前にも来たでしょうと言われて、ここは初めてですがと答えつつ、でも、相手の営業氏に見覚えがあり、確認したら、以前、橋本にあったお店で会っていたことがわかりました。そういえば、同じ会社でしたね。
 さて、Mitoです。走行距離2万kmと試乗車にしては走り込まれた個体でした(見間違いでなければ)。オプションのレザーシート付き。乗り込んでポジション合わせ。シートとステアリングは問題ありません。が、問題が足下に。元々左ハンドルで設計されている車を右ハンドルにしているので、左側にオフセットしている・・・・訳ではありません。どちらかというと右側にオフセットしているように思います。ただし、私自身がほとんどがMRなので、足下のペダルはどちらかというと左側(中央より)に向いている車が多くて、少しでもその逆だとずいぶんオフセットしているように感じるのでそのせいかもしれません。そういえば、MT車の試乗は久しぶりです。最近MTの試乗車はろくにありませんからね。
 シート自体は良いです。車は概ね4mx1.7m(ちょっとはみ出していて3ナンバー)ですが、シートは大きめで余裕があります。アルファは概してシートは大きめですね。
 さて、発進。乗り慣れない車のMTは久しぶりですが、エンストせずに発進出来ました(笑)。特に苦労はありません。するっと出て行きます。クラッチは軽いですね。シフトアップ・・・あれ?なんだこれ?妙に手応えがありません。が、すこすこと入ります。シンクロは強力なんでしょうか?うーん、シフトフィールは・・・ない?そういえば、147の1.6のMTに試乗した時もこんな感じだったし、FRの古いアルファも似たような感じ(さすがにFRはもっと手応えありますが)だったような?アルファのMTってこんなものなんでしょうか?3速から4速も同じ。
 ソフトアップはいいのですが、シフトダウンは手こずってしまいました。なんか感覚があいません。ギヤは入るのですが、回転が合わないです。ターボエンジンのせいもあるのでしょうか?
 DNAスイッチをNで走っていましたが、Dにすると変わりますよと言われて、Dに。ほう、ステアリングが重たくなりましたね。スロットルの反応は鋭くなります。が、少しわざとらしいかな?ステアリングは重さにやや不自然さを感じます。ただ、Nに戻すとのろく感じるので、Sの方が総合的に見ると私向きでしょう。
 動力性能は十分です。DとNで比較するとNがのろく感じますが、Nだけで走っていれば別に遅い訳ではありません。音は、まあ、NAではないのでこんなものかな?アルファロメオに期待する音とは違いますが・・・悪くもありません。
 静粛性は向上しています。最近の車はどれも割合静かです。ま、Mitoは大きさはBセグですが、値段はCセグなみですから、この位で当然でしょう。
 さて、乗り心地ですが・・・・微妙なところです。ボディは剛性感は高く、路面からの大きな入力も受け止めます。が、凹凸が激しい場所だとごつごつ感はかなり出てきます。これはボディと脚はまずまずですが、タイヤが薄すぎるかな?214/45R17ですからね。多分、この後入ってくるTCT(アルファ版DCT)版の普通の方だと良いでしょう。195/55R16なので。
 総じてなかなか良く出来た車だと思います。難点はやはりシフトフィールでしょうねえ。バターの中でナイフを動かすような・・・に近いです。FFでもカチカチ決まる車はあるのですが・・・・。なので、TCT版を相方号として導入するのには良さそうです。まあ、その時は3ドアが問題になる訳ですが。

 でも、見直しました、アルファ。ちゃんとしています!音と格好はいいんだけどなあ・・・だった147(前期型)とは大違いです。ただ、最大の取り柄だった音は失われたかも・・・。

 なお、TCTは少し遅れて9月だそうです。そして、TCTが入りだすとMTは終わりだそうで・・・なんでそうなるのかなあ。勿論、このシフトフィールだと積極的にMTを選びたく・・はならないですが、、とはいえ、せっかくMTで入れたのに。その前に175馬力の四つ葉マークさんが入るそうですが。

 それから、TCTは、ツイン・クラッチ・トランスミッションの略だそうですが・・・価格表にはTCT(6速乾式デュアルクラッチオートマチックトランスミッション)と書いてあるのはいかがなものかと。(^^;

 まあ、TCTが入ってくる前に次期相方号が決まっていなければ、また行きましょう。車自体は、3ドアを除けば、相方も問題はないでしょうから。

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城と砦の規模

 余り深く考えていませんでしたが、大高城とはどのくらいの規模の城だったのでしょう?城というとどうしてもある程度の規模のものを連想しますが、それらは江戸時代の城の内、現在に残っている(または復元した)ものが元になっているでしょう。
 調べて見ても、東西106m、南北32mという数字しか出てきません。単純な長方形だとして面積を求めると3392平方mです。そこに人間が長期間滞在するとしたらどれだけ収容出来るでしょうか?最低でも1畳分の面積は必要でしょう。しかし、それは最低限度です。やはり一坪程度は必要でしょう。実際には通路や倉庫などもあります。それも考慮すると大ざっぱに10平方m程度、坪数で言えば3坪位は必要ではないかと思います。押し込んでもその半分の5平方mでしょう。単純に計算すると
 3392平方m/10平方m=339人、3392平方m/5平方m=678人
です。どうみても千人も収容するのは難しそうです。短時間の休養なら可能かもしれませんが。言い換えるととここの守備隊は精々数百人規模だったのではないかと思われます。

 周辺の他の城や砦も同じように計算して表にして比べてみます。また、信長公記の記述にそれぞれの砦にだれそれをおいたと書かれていますのでそれも記述します。名のある武将の人数は兵力と関係があると思われます。前回、「信長公記を読み直す」では省略したのですが、それはちょっとまずかったかもしれません。

大高城  3392平方m 339-678人
 記述無し
鳴海城  8432平方m 843-1686人
 一人:岡部五郎兵衛
沓掛城 67392平方m 6739-13498人
 記述無し 
笠寺砦  4860平方m 486-972人
 五人:岡部五郎兵衛、かつら山、浅井小四郎、飯尾豊前、三浦左馬助
善照寺砦 2160平方m 216-432人
 二人:佐久間右衛門、佐久間左京介
丹下砦  6552平方m 655-1310人
  六人:水野帯刀、山口ゑびの丞、柘植玄蕃頭、真木与十郎、真木宗十郎、伴十左衛門尉
中島砦 13195平方m 1320-2639人 
 一人:梶川平左衛門
丸根砦  1008平方m 101-202人
 一人:佐久間大学
鷲津砦  675平方m 68-135人
 三人:織田玄蕃、飯尾近江守父子
星崎城  3536平方m 354-707人
 記述無し

 沓掛城の規模が突出して大きいことが分かります。それとその次に大きいのが中島砦というのが意外です。小和田先生は義元が尾張攻略の指揮を取るのに鳴海城よりもふさわしいと書いている大高城はそこらの砦と大してかわらない規模で、鳴海城の方が規模が大きいです。義元が拠点にするのにふさわしいのは沓掛城でしょう。

 中島砦は明らかにおかしいことが分かります。また、鷲津砦は三人の武将が配置されるには少し小さすぎる気もします。元データが同じ基準とは限りませんのでそのせいかもしれません。兵が配置される郭の広さだけではなく、これだけは外掘なども含めた面積なのかもしれません。中島砦は基準が違うとしても、丹下砦が大高城よりも広いというのもどうなんでしょうね?ただ、武将が六人配置されていることを考えると善照寺砦や中島砦よりも広くても不思議はありません。イメージで善照寺砦だけが要害と表記されていたので規模が大きいように思いましたが、必ずしもそうではないようです。鳴海城を囲む砦の中で丹下砦が一番大きいのですが、ここは鳴海城と熱田の間に位置していますので、攻めと同時に鳴海方向に対する守りの要であるように思います。そう考えると規模が大きくても不思議はありません。

 信長公記に名前が記載されている数と推測した収容力で割ってみると

鳴海城 :843-1686人:一人:岡部五郎兵衛 : 
笠寺砦 :97-194人:五人:岡部五郎兵衛、かつら山、浅井小四郎、飯尾豊前、三浦左馬助
善照寺砦 :108ー216人:二人:佐久間右衛門、佐久間左京介
丹下砦 :109-218人: 六人:水野帯刀、山口ゑびの丞、柘植玄蕃頭、真木与十郎、真木宗十郎、伴十左衛門尉
中島砦 :1320-2639人:一人:梶川平左衛門
丸根砦 :101-202人:一人:佐久間大学
鷲津砦 :22-45人:三人:織田玄蕃、飯尾近江守父子

 おお、素晴らしい。データがどうみてもおかしい中島砦、それと小さすぎるような鷲津砦、それと武将の名前一人しかない鳴海城を除けば、概ね武将一人当たり約100人から200人でほぼ一致します。また、佐々・千秋の二人で300人というのもほぼこれと一致します。逆に言えば、中島砦と鷲津砦の数値はやはりおかしいと言えます。中島砦はやはりここは小規模で100から200人程度がいいところでしょう。鷲津砦は武将が三人いたとすると守備隊は300から600人、面積は概ね3000平方m程度のはずです。

 似たような推測をここでしています。
http://kagiya.rakurakuhp.net/i_161058.htm
 ここでは鷲津砦は丸根砦の三倍の2760平方mとしていますが、その根拠はわかりません。わかりませんが、2760平方mだとすると、276-552人なので、3で割ると92人から184人で他と一致します。ここでは、中島砦のデータは外郭も含めたもので、内郭は一割と推測しています。132人から264人で概ね一致します。

 鳴海城ですが、岡部元信の名前しかない訳ですが、だからといって100から200人しかいなかったとは考えられません。これは収容力に近い兵力が存在していたと思います。

 改めて城・砦の収容力をまとめます。
大高城  最大約700人
鳴海城  最大約1700人
沓掛城  最大約13500人
笠寺砦  最大約1000人
善照寺砦 最大約450人
丹下砦  最大約1300人
中島砦  最大約300人
丸根砦  最大約200人
鷲津砦  最大約600人
星崎城  最大約700人

 さて、上記の推測が正しいとすると大高城は約1000人と思われる松平勢すら全員収容出来ません。約2000人いたかもしれない朝比奈勢やましてや、義元の本隊が入ることは出来ません。まあ、幹部だけ収容し、その他は城の周辺で野営、はあるかもしれませんが。
 それを踏まえると、大高城方面隊は、松平元康が大将で、岡崎衆を中心に、その他の三河の緒将で構成されており、総数は二千にもとどかなかったのではないかと思われます。丸根砦と鷲津砦の守備隊は合計しても精々500人ですから、松平元康が率いていった兵と大高城在番の今川勢の一部で攻撃し、陥落させることは十分可能です。岡崎衆が500人程度、その外合わせて千人程度であったとしても、大高城在番の兵力と合わせれば、まだ、砦攻略は可能なだけの戦力があります。かなり苦戦したこと、休養を命じられたことなど踏まえると大高方面隊は言われているような数ではなかった可能性はあると思います。

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朝比奈泰朝は本当に鷲津砦を攻めたのか?

 気になることがあるので、結論出す前にもう少し寄り道します。は朝比奈泰朝は本当に参戦し、鷲津砦を攻めたのでしょうか?

 信長公記には、彼の名前は出てきません。鷲津砦は丸根砦と共に松平元康が攻め落としたと解釈出来る記述しかありません。三河物語にも出てきません。にもかかわらず、藤本正行氏ですら、朝比奈泰朝が鷲津砦を攻めたとしています。ですから、明白は根拠があるはずです。それを確認したいと思ったのです。

 信長公記に記述がないのに藤本正行氏ですら認めるということは、例えば、今川氏真から鷲津砦を落としたことに対する感状が残っているなど何かしらの証拠があるはずです。

で、色々調べていたら、武徳編年集成がどうも元ネタのようです。えっと、徳川幕府の公刊戦史?・・・は言い過ぎ?ただ、難点があるとしたら、時代がかなり後だということでしょう。1741年ですから、二百年近く後に編集されたものです。更に言えば、そこには朝比奈備中守泰能と泰朝の父親の名前が書かれているようです。泰能は、1557年に死去しているらしいので、朝比奈泰朝の誤りであろうとしているようですが・・・。何せ、いいとこ三次資料です。当時は今よりもまだ一次資料も残ってはいたでしょうから、現代の我々よりは真実に近づけるかもしれませんが・・・・正しいかどうかわかりません。

 今回は私の現状もあり、主にネット上にある情報を吟味しつつ利用しています。そうやって色々探していると当時の書状などを中心に調べている方のサイトなども見つかりました。信長公記は信用出来ない(少なくとも首巻の桶狭間の戦いの記述は)と主張されている方ではありますが、例えば、こういうのがありました。
http://rek.jp/index.php?UID=1196184753
書状などで確認出来る関係者とその所在地です。
 ここには朝比奈泰朝は出てきません。その代わり、朝比奈備中守ではなく、丹波守という人物がいたことをしてしてます。その関係書状についての記事が以下です。
http://rek.jp/index.php?UID=1194106876

 朝比奈丹波守親徳という人物らしいですが、遠江の朝比奈とは別系統の朝比奈氏のようです。合戦で負傷し、義元が討ち取られた時にその場にはいられなかった、桶狭間の戦いの後、三河にとどまっていたということが記述されています。
 この人物が桶狭間の戦いのどこかで負傷したとすると考えられるのは
1.鷲津砦または丸根砦攻撃に参加して負傷
2.佐々、千秋らとの戦いで負傷
3.信長本隊の攻撃を受けた直後に負傷
 義元が討ち取られた時にその場にいなかったということを考えると1.が一番自然でしょう。負傷したので大高城へ下がったか、そのまま帰国の途についた、と考えるのがしっくり来ます。2.または3.の場合には同様に負傷したので後送されたという可能性もありますが、時間を考えると時間が無さ過ぎます。

 ただし、桶狭間の戦いで負傷したとは書いていません。例えば、その直前に三河と尾張の国境周辺のどこかで行われた戦闘で負傷して、桶狭間の戦いには参加出来ず三河にいた、というだけかもしれません。

 また、その他に朝比奈筑前守という人物が大高城にいたように思われるようです。
http://kagiya.at.webry.info/200711/article_12.html
これによると義元から朝比奈筑前守に大高城在番を命じる書状が残っているようです。ただし、それは前年のもののようですから、当時いたかどうかはわかりません。

 また、上記リンク先には義元が4月12日に水野十郎左衛門尉に送った、朝比奈備中守を派遣するという内容の手紙があるそうです。ここにも原文を引用させてもらいます。
「 夏中可令進発候条、其以前尾州境取出之儀、申付人数差遣候、然者其表之事、弥馳走可為祝着候、尚朝比奈備中守可申候、恐々謹言(永禄?年)四月十二日、義元、水野十郎左衛門尉殿 」

 リンク先では引用もとでは、夏中に義元自身が出陣するが、その前に朝比奈備中守に尾張との国境の砦のことを申しつけてを人数をさしむけますという意味だとしていますが。

 ただ、同じ書状の解釈でも以下では、水野十郎左衛門尉に出兵を依頼した手紙だとしています。つまり、「馳走」して下さいという趣旨だとしています。
http://mizunoclan.exblog.jp/7896123/

 別のところでは、
http://okehazama.net/modules/battle/mrh_03.html
 夏中に義元自身が出陣するから、その前に尾張との国境の砦をつくるために人数を出してください、このことは(大高城にいる)朝比奈備中守に伝えておきます、と解釈しています。ここでは、永禄二年八月に朝比奈備中守に大高城在番を命じたとしていますので、その流れでそうなっているのでしょう。ただし、それは朝比奈筑前守に、大高城在番を命じた書状を朝比奈備中守と誤解しているのではないかとも思います。

 うーむ、同じ文章なのに人によって解釈が異なります。困りました。夏中に「進発」を令するが、その前に尾張との境にある砦に人数を差し向けさせる、という趣旨なのはまあ間違いないかなとは思います。問題は、その人数を差し向けるのは誰か?です。その次は、水野十郎左衛門尉に馳走してくれというこだと思いますが・・・。そして、最後の朝比奈備中守に申しつけるという部分は何かは私の解釈力では分かりません(なさけない)。義元が差し向ける人数を率いているのが朝比奈備中守なのか、水野十郎左衛門尉に人数を差し向けてください、そのことは、朝比奈備中守に伝えておきます、といっているのはわかりません。ただ、水野十郎左衛門尉に砦を作れといっているかというとそれは違うのではないかと思いますが・・・。

 水野十郎左衛門尉は誰?というのも大きな問題になのですが、とりあえずここでは扱いません(水野元信説が有力らしいですが、元々大高城城主の水野亮忠だとつじつまが合うという意見もあるようですが)。仮にこれが永禄三年の四月の手紙だとするとともかく、義元は尾張との境の砦があるところへ夏中に出兵する、その前に誰かは別にして人数を差し向けると言っているのは、まあ、外さないと思いますし、それに朝比奈備中守が参加するのもまず間違いないでしょう。そうすると朝比奈備中守を先発させて大高城そばにある二砦を攻撃させ、その後、義元本隊が少なくとも「おけはざま山」に進出していった、としてもとつじつまはあいます。

 ただし、問題はこの手紙はそうするつもりです、というものであって、そうしました、ではないのですよね。それとどこへ何をというのは不明確です。尾張との境にある砦へという程度で、鳴海城を包囲する砦・・・と名言されている訳でもありません。本人達には何年かは明確なので、書かれていないため、後から読むと困るのですが、永禄三年よりも前のことかもしれません。(まあ、これは他にはないとは思いますが・。また、進発を命令するとあるので、義元自身が出陣するとも限りません。例えば、夏中に朝比奈備中守を送るので、そっちも人数出して働いてくれ、という趣旨とも受け取れなくもありません。であれば、時期によって場所も意味合いも変わってきます。

 よくわからないので、これはとりあえずこの辺で止めておきます。漢文の勉強やり直さないと(苦笑)。それとも仕事でつきあいのある中国人(台湾だけど)に読んで英語にしてもらおうかな(笑)。まあ、もっとも原文は中国語、とも言えないので、それだと更に意味不明になるかもしれませんね。(^^;

 鷲津砦を攻めた武将は「武徳編年集成」では朝比奈備中守泰能の他に瀬名の名前も出ているそうです。「東照軍鑑」は朝比奈備中守、馬場民部少輔(でも、これって武田のあの馬場と同じですが??)、松平紀伊守、菅沼新八郎、奥平道分父子の名前が書かれているそうです。「改正三河風土記」には朝比奈備中守泰能、井伊信濃守直盛と書かれているようです。
 「馬場民部少輔」は何かの間違いでしょうが、他はいてもおかしくはありません。三河の諸領主は動員されて松平元康らと行動を共にしていたというのは自然です。ただし、井伊含めて、徳川幕府体制下で大名になっているので、先祖の功績を訴えただけで事実ではないかもしれませんが。
 まあ、ともかく、朝比奈備中守がいたらしいのは共通していますが・・・これらは全部、二次、三次資料ですから、共通する元ネタがあるかもしれません。朝比奈備中守泰能になっているのが複数あるのはそれらに共通する元ネタがそうなっているからでしょう。1557年に死去というのが間違いでない限りは、その元ネタは少なくとも間違っています。まあ、元ネタは、
朝比奈備中守としか書かれていなくて、それを引用した資料が勝手に朝比奈備中守なら泰能だろうと勝手に決めつけたのかもしれません。

 今川滅亡後、朝比奈泰朝がどうなったかは定かではないようです。徳川幕府で大名にでもなっていたら何かしら記録は残ったのでしょうが(もっとも、先祖の功績を誇張する記録かもしれませんが)、そうではないので、当時の書状位しか資料はないのでしょう。氏真から、負けたけど、鷲津砦を落としたのはえらい、というような感状が出ていても不思議ではないのですが・・・残っていないようです(知らないところにあるかもしれないですが)。

 今回調べた範囲内では、朝比奈某が鷲津砦攻撃に加わっていた可能性はありますが、それが朝比奈泰朝である証拠はまたそうだと高い確度で推定出来るものは見当たりませんでした。

 これがどういう意味を持つか、ですが、要するに先発して、大高城へ兵糧を運び込み、翌朝、二砦を攻めた部隊の規模の推測です。もし、朝比奈泰朝が参加しておらず、その同族の誰かまたは同姓の誰かが参加しているだけであるとするとこの作戦は松平元康を指揮官に岡崎衆とそれに付属させられた部隊(恐らく三河の小規模勢力の集成部隊)により行われた可能性が高い、ということです。今川の有力家臣である朝比奈泰朝が参加しているのなら松平元康と同等以上の兵力を率いていたでしょう。松平元康自身の兵力は精々千人程度と思われます。朝比奈泰朝がいたのであれば、合計すれば少なくとも三千程度はいたでしょう。しかし、松平元康だけなら多くても二千程度にとどまったと思われます。朝比奈泰朝が参加していなかったとすると、松平元康が率いてきた精々二千程度(もっと少ないかもしれない)と大高城にいた戦力の一部が二砦攻撃に参加したと推測されます。 
 そうであるとすれば、同時に攻撃したのなら、それぞれの戦力は精々千程度です。相応の被害を出し、かなり疲労し、大高城で休養を命じられるのは自然ですし、その結果、後の戦闘に参加出来なかったと考えられます。
 ですが、朝比奈泰朝もいたとすると相応の余力が残り、砦攻略後も全員が大高城へ入って休息したとは思えません。そもそも、大高城はどんな城なんでしょう?

 次回に続く

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ポロ1.2 Highline試乗

 シリーズ桶狭間はもう少し調べたいことが出来たので,中断して、ポロの試乗記です。

 試乗したのは1.4LのNAから1.2Lのターボになったポロ1.2 Hightline(正式名前はTSI Higlineですが、排気量の違いを明確にするために1.2と書いておきます)です。1.4Lとほぼ同じ装備のComfortlineもあります。実物を見て驚いたのは、単にエンジンが変わっただけではなかったことです。Highlineは勿論、Comfortlineもシートが全然違います。1.4はぱっと見は良いのですが、実際に座るといまいちだったのですが、今回はどちらも良好です。ゴルフと比較すると座面がやや小さいですが、許容範囲内です。Highlineはよりスポーティなシートですが、comfortlineのシートでも問題ありません。

 両グレードの違いはそのシートと後は装備(オートエアコン、革巻ステアリングとシフトレバー、リアパーキングアシスト)、それにアルミホールかスチールホイールかという位です。ですから、走行性能に何かしら影響を与える可能性があるのはホイールの違い位で、仕様上の重量も同一です。まあ、ほとんど同じでしょう。

 操作性などは元々特に問題はありません。視界も元々ゴルフよりも良いです。さて、発進。あれ?なんか、少しゴルフ6梅(Trendline)よりものろい気がします。車重は170kg軽いはずなので、動力性能はゴルフ梅よりも良いはずなんですが??ただし、それは発進した際だけの話で、走り出せば軽快で、動力性能には不満はまったく感じません。

 乗り心地は差はほとんどないはずですが、1.4よりも随分良くなっています。多少、リアのばたばた感はありますが、許容範囲内です。タイヤが少し柔らかく、その割りに脚が少し固いような感じもしますが、日本の町なかだとこんなものでしょう。

 エンジンとミッションは良いですね。出足だけ何故かのろい気がしますが、もう少しアクセル踏めばいいだけかもしれません。シフトアップ・ダウンは7速DSGのいつもの切れ味です。6速のような空走感はありません。シフトダウンが気持ちいいです。

 エンジン音は基本的にはゴルフ梅と同じですが、少し印象が違います。全体的にゴルフ梅の方がはるかに静粛性が高いのですが、聞こえてくるエンジン音もゴルフ梅の方がより好ましい音に聞こえます。ただし、これも悪くはありません。ゴルフ竹(Comfortline)よりは良いです。

 全体的にゴルフよりはうるさいです。ゴルフ梅の異常な静かさは別にしても、まあ、やはりゴルフとポロの違いはあるでしょう。停止して、サイドブレーキを引いているとATのような振動がありますが、ブレーキ踏むとクラッチ切りますので振動は収まります。これもゴルフ梅と同じ。ただし、ゴルフ梅だとすっと静かになってアイドルストップか?と思えますが、これはちゃんとエンジン動いています、という音はします。とはいえ、ポロのクラスでは静かな方でしょう。このクラスはもっと騒がしい車が多いですから。意外とロードノイズが大きめですが・・・これも他が相対的に静かなので浮かび上がって聞こえているという部分もありそうです。

 少し気になったのはステアリング。私には軽すぎます。ゴルフでもやや軽めですが、更に軽いです。まあ、相方が運転するのならこの位の方が良いのでしょう。初期の電動パワステでよく感じた変な感じ、とは違います。単にアシスト量が多めなだけです。

 総じて、とても良く出来ています。このクラスの車(全長4m程度の5ナンバーサイズ。一部横幅が少しはみ出して3ナンバーの車もあるけど)として見ると、静粛性含めて、上質、と言えるでしょう。エンジンとミッションは出足が少しのろく感じることを除けば、このクラスの実用車最強(私が運転したことがある車の中では)です。シートも良くなりました。国産のこのクラスがほぼ全てCVTで、それが理由で候補から脱落するので、競合車はほとんど輸入車ですが、その中でも、頭一つ抜きんでています。このクラスで過去最優秀は前期型先代フィエスタでしたが、MTが輸入されなかったので、4ATと7DSGでは勝負になりません。そして、静粛性でもポロの圧勝です。ただし、ステアフィールとハンドリングはそれでもフィエスタだと思いますが・・・・。

 値段もComfortlineなら213万で、1.4からは10万高くなってますが、装備(革巻きステアリングやらアルミやらオートエアコン)を気にしないのなら、お買い得でしょう。装備充実のHighlineでも242万。差額分の装備差があるかと言われると・・・・こっちは割高です。ただし、こっちには、それに我が家が必要とするシートヒーターがアルカンターラ&レザレットシートとのセットオプションでつけられます。それが157500円。つまり、それをつけると258万円でゴルフ梅よりも1万円高いのです。

 ほぼ同じ値段の我が家仕様のHighlineと素のゴルフ6の梅と比べると・・・・やはり車そのものの出来は遙かにゴルフ梅が上です。乗り心地もそうですし、静粛性もそうです。ステアリングも良いです。シートは相方はポロの方が良いといっていましたが、この辺は好みの問題程度でしょう。

 両者とも実際に高速走行はしていませんが、ゴルフ6はゴルフ5のビッグマイナーチェンジで基本プラットフォームは持ち越しでしょうから、我が家のゴルフ5との比較から考えると、やはり高速走行性能差はありそうです。ただし、差が出るのは日本では通常行わない(行えない)領域までいってからではないかと思います。ゴルフは動力性能の差が出にくい平地や坂道での定速走行では、ボクスター・ケイマンに勝るとも劣らない高速安定性を発揮します。動力性能の差で上まではいけないでしょうが、その領域は違法・合法の話の前にサーキット以外では日本では実際に走らせることが物理的に不可能でしょう。

 ですので、街乗りや日本の高速道路での高速巡航ならポロで何ら問題ないと思います。そうであれば、装備をとってポロという選択はありです。また、Comfortlineなら、装備がほぼ同じゴルフ梅よりも44万円安いですから、お買い得でしょう。

 装備を気にしないのならポロのComfortlineはお勧めです。気にするのなら、Highlineでしょう。ただし、その場合は値段がほぼ同じだからとゴルフ梅(Trendline)に試乗すると悩み出すかもしれませんから、試乗しないことをお勧めします(笑)。

 我が家の場合、なっちゃん(ゴルフ5のE)との比較をすべきです。この場合、ゴルフ6梅は、装備(シートヒーター、革巻きステアリング、アルミ、リアパーキングセンサーなど)は負けていますが、それ以外では全て上回っています。試乗して帰りになっちゃんに乗ったらその差に驚きます。静粛性、乗り心地、エンジンの音、全てが違います。基本的には同じプラットフォームと先述しましたが、とてもそうは思えません。もっとも、ゴルフ竹に乗っても、梅との違いに驚きますので、なっちゃんが悪いのではなく。梅が凄すぎます。ただ、そろそろゴルフもMY11に切り替わるようですが、恐らくゴルフ竹もMY11になったら、梅のように静粛性や乗り心地は改善されるのではないかと思います。言い換えると梅はMY11先行モデルではないかと。前回、梅はゴルフ6ではなく、6.5であると言いましたが、あくまで予想ですがMY11からは6.5と言える進化をしているのではないかと思います。この点は、MY11の竹の試乗車が出てきたら乗って確かかたいと思います。

 で、じゃあ、買い換えるの?という話になると装備の面がひっかかります。シートヒーターはやはり捨てがたいですし、革巻きステアリングも相方が固執しています。ほぼ同じ装備の限定車が出たら即決ですが、逆に言えば、現状の梅を買って後から限定車が出たら相当悔しい思いをするだろう・・・と思うと踏み切れません。

 では、ポロです。ポロと比較するとなっちゃんは腐ってもゴルフです。帰りに乗った時に全て負けているとは思いませんでした。
 動力性能、町中の乗り心地、コンパクトさ(取り回しの良さ)、これらはポロが圧勝です。それからリアシートもポロが上です。やや狭いですが、おしりを少し落として座るので、長時間はわかりませんが、短時間なら平坦なゴルフのリアシートよりも快適だと思います。装備もシートヒーターがオプションで付きますし、不足するのはオートライト位。オートライトはなっちゃんにもありませんから、特に不利にはなりません。

 では、なっちゃんはどこが勝っているのか?シートヒーターがポロは2段階に対し、5段階・・・というような細かい話は別にして(他にもポロはアームレストの小物入れが小さいとか、アームレストそのものが邪魔とかありますが)、やはり乗り味でしょう。確かに乗り心地は良くはないです。しかし、ボディやサスペンションの剛性感は、やはりゴルフが上でしょう。路面からの突き上げでどたんどたんして乗り心地は良くなくても、芯の強さを感じます。そこはポロの方がやはり線が細いです。そして静粛性もゴルフ梅との比較とは違い、やはり勝っている部分もあるように思います。エンジンの音の違い、が一番大きいのではないかと思います。相対的に非力なゴルフEはすぐに回転を上げざるを得なくなり、相方曰く、「うなる」のです。そこがないので、ポロが静かに感じますが、遮音性などはやはり一世代前でゴルフ、でしょう。

 なので悩ましいです。普通に日本で乗るなら、ポロが適しているでしょう。ポロが劣るとしたらそれは高速巡航でしょうが、それは日本では「超高速巡航」というべき領域の話です。町なかではポロのコンパクトさが光ります。絶対的な乗り心地はゴルフ6梅が上ですが、対ゴルフ5比ならば、ポロでも勝るでしょう(リアのばたばた感は気になるとしても)。他の車と比較しても、同クラスでは最良です。

 しかし、やはりゴルフはゴルフ。一世代前とはいえ、走りの質感とでもいいましょうか、そういう部分では勝っている部分も多いです。やはり、ゴルフ6梅に限定車が出るのを待ちたい気もします。とはいえ、このサイズでこれだけの走るをすることを考えれば、普段乗る上ではポロが便利です。うーん、悩ましい。ゴルフ6梅が異常に良いのが問題なんです!

 まあ、でも、他メーカーにとっては脅威ですねえ。このクラスでも7DSG。基本的にCVTだけ(一部4AT)の国産車勢では太刀打ち出来ません。強いて言えば、ミニですが・・・・トルコンですからね。C30は明らかにクラスが上ですし。MitoはDCTがそろそろ導入され、大きさ排気量は同クラスですが、値段は一クラス上ですしねえ。DS3/C3は乗り心地は良いかもしれませんが、所詮、4AT(DS3には6MTもあるけど)。エンジンはミニと基本的には同じなので、同じく6ATだったら勝負を挑めたかもしれませんが・・・・。

 惜しまれるのは欧州フォードの撤退です。もし、現行フィエスタが6DCTで導入されていれば、これは好勝負だったことでしょう。でも、エンジンでフォードの負けかなあ。ハンドリングはフォードだと信じたいですが。

 ゴルフにしても、ミニにしても、このクラスのFFでは、今、VWが残念ながら一番ですね。次期相方号はいずれにしても、ポロかゴルフのどちらかになりそうです。何時導入するかはまだはっきりしませんが。

 一応、C3は試乗する予定です。まあ、勝てないでしょうが・・・・乗り心地で圧勝したら、あのルーフまで回り込んだフロントガラスは面白いので、もしかするかもしれません。もっともシートヒーターがないので、シートヒーターを後付けするか、シートヒーター付きのシートと交換するしかないでしょうが。

 なんにしても、ポロを検討しているならゴルフ梅に試乗しない方がいいです。また逆にゴルフ梅を検討しているのなら、ポロには試乗しない方がいいです。どちらも悩み出しますから(笑)。

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今川の動員兵力を再検討

 結論を出す前にちょっと寄り道します。桶狭間の今川軍の兵力は正確な数は不明なのですが、概ね2万程度であろうと推測しました。しかし、ちょっと別の切り口から考えるともっと少なかったのではないかと思えてきました。

 以前、太閤検地のデータから、今川の勢力範囲は駿河、遠江、三河の三国で合計約70万石。1万石で250人を基準にすると単純計算では17500人だが、石高だけで決まる訳ではないので、約二万程度と最大限動員すれば可能な数だと述べました。

 それ自体は間違っているとは考えていません。ただ、その内訳をもう少し考えてみる必要があると思ったのです。

 石高からの国別の動員可能数を推測すると以下程度ではないかと考えます。石高は万石単位、兵数は1000人単位で大ざっぱに書いています(どうせ、概数の推測ですから)。。

国  石高   動員可能兵数
駿河 15万石  4000人
遠江 28万石  7000人
三河 27万石  7000人
合計 70万石 18000人

 以上を今川が遠征に投入出来る兵力の上限と考えます。では、このうち、どれだけが桶狭間に投入されたのでしょうか?参加していたと思われる主要な武将を調べるとある程度、推測出来るのではないかと思います。

 信長公記からはっきり分かるのは、今川義元、松井宗信、松平元康、山田新右衛門(義元討ち死に後とって返して討ち取られるとある)だけです(城の守将は別)。ただし、それ以外の情報から以下の武将も参加していたと思われます。

 瀬名氏俊(瀬名陣地の伝承)、朝比奈泰朝(鷲津砦攻撃)、井伊直盛(討ち死にが伝えられる)、飯尾乗連(討ち死にが伝えられる、一説には落ち延びたとも)。

 それらが全員本当にいたかはわかりませんし、その他に参加していた有力武将がいたかもしれません。当時の文書からユニークな視点で論じている人もいます。この方は信長公記は信頼性が低いと主張されています。まあ、ともかく、今川方の書状から、関係が考えられる武将の名前をあげています。 
http://rek.jp/index.php?mode=category&aim=5oim5Zu95Y-y-E/YeahtueLremWk-WGjeiAgw-E&page=3
 とはいえ、はっきりどこでどうしていたかわからない人物も多く、大身の人物も少ないのでとりあえず、ここではとりあげません。

 ともかく、上記の参加したと思われる今川の武将の領地はどこでしょう?分かる範囲内で調べてみました。

 松井宗信:遠江、二俣城
 朝比奈泰朝:遠江、掛川城
 井伊直盛:遠江、井伊谷城
 飯尾乗連:遠江、曳馬城
 瀬名氏俊:遠江らしい
 山田新右衛門:岡崎城代だった山田景隆??ただし、そうであれば戦死していないはず。

 はっきりしない山田新右衛門以外、見事に全員、領地は遠江です(瀬名氏俊は具体的地名はわかりませんでしたが)。

 この他には、三河 岡崎の松平元康がいます。その他に戦場周辺の城にいたのは、

 鳴海城:岡部元信 本領不明。駿河?(兄正綱は駿河と思われる) 
 大高城:鵜殿長照 三河 上ノ郷
 沓掛城:近藤春景 尾張 沓掛城 

です。

 岡部元信は、岡部正綱の弟とされているようですが、この段階では鳴海城の城代だったのか、それとも鳴海城を与えられたのかはわかりません。

 このほか、信長公記に笠寺砦の守備ついた武将として三浦左馬助(義就)の名があり、彼は桶狭間で討ち死にしたという話があるようです。当時の領地はわかりません。なお、笠寺には他に岡部元信、飯尾豊前(乗連?)、浅井小四郎(義元の馬廻?)、かつら山(葛山氏元の一族?)らがいたと書かれていますが、その後どうなったのかは。岡部元信以外は記述されていないので分かりません。

 いずれにしても、明らかに駿河に本領を持つ武将(少なくとも城主級)は遠征軍には一人も確認出来ません。

 これが意味することは何でしょう?それは動員されたのは主に遠江の兵が中心だということです。それと三河の今川に従属する勢力です。これは当然の話でしょう。戦いは三河と尾張の国境付近です。そうであればまずは三河、次に遠江の兵を動員するのは道理というものです。それでも足らないなら駿河からも送る必要はあるでしょうが、尾張を一気に攻め落とす、という訳ではなく、鳴海城への後詰めであれば、それで十分です。

 勿論、義元自身は旗本などを率いて駿河から遠征してきているでしょう。しかし、おれは駿河の兵力の一部に過ぎないはずです。

 三河は水野氏らへの抑えは必要でしょうし、吉良氏は本拠周辺で守勢をとっていたでしょうから、遠征部隊へ過半が参加、とは行きません。それを踏まえると

国  石高   動員可能兵数 推定動員兵力
駿河 15万石  4000人  2000人
遠江 28万石  7000人  6000人
三河 27万石  7000人  4000人
合計 70万石 18000人 12000人

位ではないかと考えます。駿河の2000人は義元直属の部隊はのみ(当時の正式名称は別にして、要するに義元の親衛隊)が参戦し、主力は遠江衆だと考えます。三河は各地の抑えの兵力が必要なので、4000人程度と考えました。
 とはいえ、実際にはこれに三河で集められた輸送物資の輸送隊も加えられたことでしょう(数千程度?)。ですので、行軍した人数は15000人程度にはなったかと思います。これを三倍に誇張して、45000の大軍であると喧伝したのではないかと考えます。

 今川軍は少なくとも、大高城方面の別動隊と本隊の二つにはわかれていたでしょう。それらも改めて推測し直すと(はっきしりしない山田新右衛門は除いておきます)。

別動隊

朝比奈泰朝 : 遠江衆1000人、三河衆1000人
松平元康  : 三河衆1000人(岡崎)
輸送隊   : 1000人
計 4000人

本隊

松井宗信  : 遠江衆1000人、三河衆1000人
井伊直盛  : 遠江衆500人、三河衆500人
飯尾乗連  : 遠江衆500人、三河衆500人
瀬名氏俊  : 遠江衆1000人
今川義元  : 駿河衆2000人、遠江衆2000人
輸送隊   : 2000人
計 11000人

合計 15000人

ここで言う輸送隊は城へ物資を運ぶためのものであり、各部隊が作戦行動中に必要な物資はそれぞれの部隊で運んでいたはずです。ですので、15000人中輸送隊は3000人しかなかった、12000人は純粋な戦闘部隊だった、というような意味合いで書いている訳ではありません。

 それぞれの武将の兵力は自らの手勢と寄騎、それにこういう言い方が正しいかどうかはわかりませんが、この作戦のために臨時に配属された三河の緒勢力の兵です。

 遠江衆と三河衆の配分は問題ではありません。仮にそうしておくという程度です。ここで言いたいのは、国別の動員可能兵力と参加武将の本領から、推測するとこの程度だったのではないか、ということです。

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最後まで政治的無能

 シリーズ桶狭間の時間ですが、予定を変更し、鳩山首相辞任のニュースをお伝えします・・・ってなところでしょうか。

 まあ、しかし、この人の政治的無能にはあきれかえります。批判する気も失せていましたが、最後位、再度批判してあげましょう(笑)。

 国民が聞く耳を持たなくなった?はあ?ぼくはがんばったのに皆がぼくのことを聞いてくれないといいたのでしょうか?ま、辞めるんだからいいですけどね。

 それはそれとして、せっかく辞任するというカードを切るのはもっとうまく使えば良いのに。

 例えば、普天間問題。辺野古へ行って知事と市長を読んで、その前で、最低でも県外といってきたが果たせずに申し訳ない、その責任をとって辞任するから、なんとか受け入れてもらえないだろうか?とでも面前で言えば良かったと思います。それでもすんなる受け入れられるとは思えませんが、東京で突然、普天間問題の責任とって辞めます、と言われるのと比べるとずいぶん違うと思いませんか?これだと単に逃げただけです。現地で目の前で言えば、少しは責任とったと思ってもらえます。

 ま、前からそうでしたが、政治家には向かない人でした。

 後任が衆参同時選挙に打って出ることはないでしょうから、参議院選挙で民主党単独過半数は夢にもなりませんね。もし、同時選挙、やれたらほめてあげますが。

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清須は遠くにありにけり

 色々読み直したりして、新MOY説を考えていたのですが、色々と試すために桶狭間ゲームを作ってみようと思いました。戦場はそれほど広くないので、私の苦手なマップ作りもそれほど大変ではないよう思えたからです。
 1ヘックス1km、ターン2時間、MPを消費して移動や戦闘を行い、そのターン主導権を握ったプレイヤーだけが双方が行動した後にリアクションを行うことが出来る、1ユニット約500人、などなどルールはぱぱっと思いつきました。

 それに基づいて鳴海城、大高城から沓掛城にかけての地域をマップの下半分に配置してマップを作成していったところ・・・・清須城が入らなくなってしまいました。清須は遠いのです。当時の正確な道はわかりませんが、清須から熱田は約12km。現在の地図で見ても直線距離で概ねそれ位です。つまり、12ヘックスの距離です。熱田から丹下砦まで6ヘックス。丹下砦から善照寺砦までは1ヘックスです。
 では、今川側を見ると沓掛城から大高城まで、色々な桶狭間の合戦図などを参考に作成したマップ上の街道上を移動したとして11ヘックスです。同様に沓掛城から中島砦まで街道を移動すると10ヘックス。史実ではそのような移動は行われなかったようですが、沓掛城から、善照寺砦は5ヘックスです。また、沓掛城から桶狭間周辺は7ヘックス。
 朝、沓掛にいた今川勢が大高城に行くのは、清須から善照寺砦にいくよりも近いのです。熱田から善照寺砦に行くのと、沓掛から善照寺砦に行くのも距離そのものは変わりません。沓掛から中島砦は道の都合で直線距離よりも道のりは長くなるものの、それでも清須から熱田よりも近いのです。
 無論、清須から熱田は完全に織田の勢力圏内であって攻撃を受ける心配はなく、移動に専念すればいいのに対して、沓掛からの移動は織田方の襲撃を警戒しつつ移動しなければならないという違いはあります。
 ただ、沓掛を朝出て、桶狭間で昼食、というのは考えられない距離です。ゲーム上(私のデザインした)、移動するだけなら2ターンで沓掛から中島砦に隣接するヘックスへいけます。
 大高城を目指していたとするとこれも街道を移動すれば2ターンでつけます。早朝、丸根砦と鷲津砦を攻略しておけば、道路移動のまま楽に大高城へつけます。休息は必要だとしても、昼食は大高城でとれるでしょう。

 だから、義元が19日の朝に沓掛を出たのだとすると何故桶狭間にとまらないといけなかったのか?少なくとも大高城へ向かっていたとすると説明が付かないように思います。
 いくら勢力圏内の移動とはいえ、沓掛から大高への距離の1.5倍を信長は午前中に一気に移動しているのですから。無論、信長の軍勢は純粋な戦闘部隊で、今川勢は小荷駄も含んだ大軍で隊列も長いから同じようには移動出来ない、という反論はあるでしょう。とはいえ、信長の軍勢は全員が騎乗している訳ではなく、ほとんどは「歩兵」です。速度に違いがあるとはいえ、1.5倍も速いかと言うと疑問です。ですから、少なくとも、信長が清須を出て善照寺砦に行くのは、沓掛城から大高城へ行くのよりも楽であるとは思えません。

 そうすると義元が「おけはざま山」に人馬を休めていたというのが何を意味するかということを考えると、それは移動中の単なる休憩でも昼食でもなく、当時の戦闘に際してそこを義元の本陣に定めたか、もしくは、そこで一度停止し、行軍隊形から戦闘隊形へ転換していた(装備を整えていた)かのいずれかであろうと思います。「おけはざま山」が良く言われている桶狭間周辺の山であるとすれば、前者にしては戦場から少し遠い気がします。ですので、私は後者だったのではないかと思います。これは義元は大高城を目指していたのではない、ということを意味します。

 それらを踏まえて、次回、新MOY説を述べてみたいと思います。

P.S.ゲームはもし完成したら公開してみようと思いますが・・・・いつになるのやら。また、マップとシステムを作っただけで、テストプレイもしていませんから(苦笑)。

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