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九州へ5

 朝食はわりとシンプル。我が家はこれで良いのです。ただ、やはり味付けが全般に濃いかな?
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 前日は到着が遅く、暗かったので良い写真が撮れませんでしたが、部屋からはこんな景色が見えます。崖沿いにある宿です。
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 チェックアウトして車に荷物を積み込んで、ふとみたら、屋根から水蒸気があがっています。車にも露が落ちています。それが太陽の光で蒸発しているんです。
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 向井側にあるのが折戸温泉。
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 で、中津へ。1時間ほどで到着。車を中津城(中津公園)にとめて歩いて回りました。お城は後回し。先に歴史民俗資料館へ。
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 ここは無料です。外に細川時代に整備が開始された水道についての展示がありました。黒田と小笠原の間で、何故か影が薄い細川時代ですが、無視して良い訳ではありませんね・・・・って、まあ、半分忘れているというか、無視しているのは私なんですが(苦笑)。
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 展示物はありがちなものばかりではありますが、弥生時代からのもろもろがあります。言い換えるとここは昔から人が住んでいた土地だということです。入ってすぐに戦時中(WW2)関係の展示。おもしろいポスターがありました。
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 中津の年表の中に奥平になった頃に人口が10万人弱だったそうです。今の中津市は約8.6万人です。領域が違うから直接比較は出来ませんが。なお、奥平10万石ですが、そのうち中津は6万石。残りは飛び地です。その前の小笠原の時代に不祥事があり減らされたためです(減った分は天領になった)。6万石で10万人。1万石で250人の軍役を適用すると、1500人ですから、1.5%の動員率です。妥当なところでしょうね。石高と人口は必ずしも比例しませんが。
 これは踏み絵です。教科書などによく載っているのとはちょっと違います。
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 2階は江戸時代が中心です。嫁入り用のひな人形は撮影禁止でした。和傘作りが盛んだった町なので、その道具の展示。これは元々和傘屋だった我が家ではなじみのものです。
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 当世具足がありました。胴は錆びてましたが。鉄砲や槍なども少し。耶馬渓鉄道関係の展示も。
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 一通り見て、次は村上医家資料館へいくことにしました。その前に、相方が喉が渇いたというので、どこかでお茶をと思ったら、そばに英会話教室が出来ていたのですが、そこにカフェの表示。そこにいってみました。田舎ではしばしば悩まされるのですが、ここは禁煙。安心できます。コーヒーとパンプキンケーキのセットで650円。まあまあだす。ランチもやっているようですね。今度はお昼はここでいいかも?

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 歩きながら、村上医家資料館へ。ある同級生の家は外科だったんですが、そこがきれいな建物に建て替えていました。看板を見たら、院長の名前は同級生にかわっていました。あいつ、ちゃんと医者になれたんだなあ。良く免許とれたなあ。医者の試験って、意外と簡単なのかな(笑)。こんなのに建て替えて儲かってだねえ、X君。
 で、通りに最近、色々と看板や表示が出来ています。昔はこんなの無かったのですが。まあ、良いことです。ちょっと迷って探してしまいましたがつきました。
 村上家というのは昔から中津で医者をやっている家で、その子孫は今でも病院をやっています。その古い家を資料館にしています。
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 残念ながら撮影禁止です。ただ、詳しい説明をしてもらえました。受付がある場所は当時の待合室で、園となりが診察室。診察台は竹で編んだベッドでした。
 解体新書の話などしてくれました。解体新書の実質的翻訳者は中津の前野良沢なので。有名な表紙はターヘル・アナトミアのものと思われがちですが、実際には違います。単なる翻訳書ではなく、当時、入手出来た色々な書籍を元にしたものです。それと奥平昌高が作らせたオランダ語辞書のバスタールド辞書などもありました。
 村上家の九代田長は増田宗太郎と一緒に大分県初の田舎新聞を出版したそうですが、当時のそのうれしさがよくわかる手紙が展示されていました。増田宗太郎はその後、西南戦争で中津隊を率いて参戦し、戦死したので、創刊一周年(だったと思いますが)の記念行事をした際に増田宗太郎の追悼ではないかと警察ににらまれてそうではありませんということを書いて警察へ提出した釈明書が残されていました。
 そして、多分、八代春海だと思いますが、軍医として官軍の一員として戊辰戦争に参加しています。この時の官軍の旗があり、これだけ頼み込んで撮影させてもらいました。
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 庭には当時の麻酔に使われた朝鮮朝顔が栽培されていた。花が朝顔に似ているものの実際には茄子科だそうです。
 土蔵へ。これは高野長英がかくまわれたとされる場所です。色々な本のオリジナルや当時の写本が展示されています。結構むぞうさに(苦笑)。戻って大正から昭和初期ごろの薬やらなんやら。結構、時間がかかりました。
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 もう一カ所、分館とも言える大江医家資料館があると聞いて、地図をもらって行ってみました。昔はそんなのは無かったのですが。車で移動するような距離ではないので、街を歩きつついきました。
 昔栄えた商店街のアーケードは半分無くなり、残っている側もシャッター通りになりかけて寂しいものです。街の中心部が移動したためですが。名前の通り、お寺が多い寺町を抜けて行きました。赤壁で有名な合元寺(黒田考高が宇都宮一族を謀殺した際に家臣がここで殺されて、その時に血が白壁に飛び散って、以来、塗り替えても赤い血の色が浮かび上がってくるので、赤く塗ったという伝説。ま、実際には白を塗ったら赤が透けて見えたのを気持ち悪がって、赤に塗っただけなんでしょうけどね。)もここにあります。えらく立派な門になってました。もうかってるんですねえ(笑)。 
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 で、15分も歩かないうちにつきました。運動会らしい声が聞こえています。我が母校、北部小学校で運動会をしているようです。
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 ここでも、説明してくれまた。ここも代々医者をやっていた家ですが、わりと最近、市に寄付されて、改装して資料館になったそうです。それで知らなかったんです。村上と比べると内容の程度は落ちます。ここも中は撮影禁止。
 おもしろかったのは、明治時代に書類で、大日本帝国大分県豊前国中津町と書かれていたことです。これが中津人ですねえ(笑)。裏には薬草園があるということでしたが、ハーブ類も多く、当時使われていたものかどうかは?
 で、相方がのど乾いたというので、歩いていたら、朱夏という和傘工房がやっているお店が出来ていてそこでお茶しました。ちゃんとしたコーヒーでしたが、値段もちゃんとしていました(苦笑)。
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 http://mitene.x0.com/wagasa-syuka/10ryouri/10ryouri.html

 傘工房はこっち。今回は時間がなくいきませんでしたが。

http://mitene.x0.com/wagasa-syuka/index.html

 中津は昔から和傘の生産が盛んな土地でしたが、時代の流れて生産者がどんどん減っていき(そのうちの一人が私の祖父)、最後は1軒だけになってしまいました。そこも高齢と後継者がいないことにより、ついには止めてしまい、中津に和傘作りをしているところが無くなったのです。それを残念に思った有志が和傘作りに挑戦したのです。最初は福沢旧居のそばでやっていましたが、はっきり言えば、素人が勝手も分からずにやっていた状態でした。実家に残っていた道具や材料を提供したのもその頃です。ようやく軌道に乗ったようで、商売になってきたそうです。
 で、気が付いたら15時前で、中津城を見る時間どころか、実家の中の様子を見る時間も無くなりました。残念ながらまた今度です。中津城は外からざっとみました。堀と石垣は本物ですが、上に載っている天守閣は鉄筋コンクリート製の模擬天守です。中津城の天守閣はそもそも無かった有ったと議論になっており、少なくとも初期を除けば天守閣が存在していないのは確かです。御殿と呼ばれる殿様のいる建物はありました(が、西南戦争のおり、増田らが放火し、焼失しました。もったいない。)。

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 本丸の跡地は広場になっていて、祇園祭りの時に山車をここで練り回します。普段は駐車場です。神社(中津神社)もあります。

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 神社があるので鳥居があります。写真の右側の鳥居は明治以降に石垣を切り崩して作った道路にたてられたものです。本来の門は左奥に見える鳥居の部分です。

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 昔、学校を建てるために壊された石垣が復元されています。学校そのものはもうずいぶん前に移転しています。我が母校です。城の南側にあったので、城南中学。でも、ここにあったのは昔のある短期間だけで、その後、城の北側の中州へ移転しました。私が通っていた時も中州です。だから、城の北にあるのに城南中学校とはこれいかに?と良く言っていました。そうしたら、数年前、なんと城北中学校と改名してしまいました。北にあるのに城南というのがおもしろかったのに。何故か、校歌も違う歌になっていたし。

 二個所親戚回りをして北九州空港へ向かいました。あ、伯父が退職したのですが、従妹が仕事をやめて普段ごろごろしているといけないといって、こんなかわいい子を送りつけていました(笑)。かわいくて仕方ないようです。まだ、三ヶ月とのこと。

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 帰りの飛行機も737-800。ただし、行と違って新しい機体のようでした。こうして四泊五日の九州旅行は終わりました。
 5日目の走行距離は98km、走行時間は173分、平均時速は34.0km/hでした。5日目はちょっと走ってとまってを繰り返してしまったので平均時速が落ちました。
 5日間で、走行距離510km、走行時間730分、平均時速は41.9km/hでした。

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